タシュケント
Ташкент
艦歴
起工1935年1月11日
オート社リヴォルノ造船所
進水1937年12月28日
竣工1939年5月6日
引渡1939年10月22日
所属 赤色黒海艦隊
戦没1942年7月2日
除籍1942年
要目
艦種嚮導駆逐艦
艦型20号計画型
タシュケント(ロシア語:Ташкентタシュキェーント)は、イタリアで建造されたソ連の嚮導駆逐艦(Лидер эскадренных миноносцев)である。艦名は元はウズベキスタンの首都タシュケントに因んだものであるが、直接的にはロシア内戦時の殊勲船の名称を記念したものである。艦隊では、その艦体色と役割から「空色の巡洋艦」(“Голубой крейсер”ガルボーイ・クリェーイスィル)と呼ばれて親しまれた。ソ連では、大祖国戦争における勝利のために大きな功績のあった英雄的な艦として記憶されている。目次 1930年代、イギリス、フランス、日本、アメリカ合衆国、イタリアでは高性能の大型駆逐艦を巡る建艦競争が巻き起こっていた。一方、ワシントン海軍軍縮条約に参加しなかったソ連では、この時期には第二次五ヶ年計画
1 概要
1.1 開発
1.2 建造
1.3 兵装
1.4 実戦
1.5 セヴァストーポリの戦い
1.6 南ロシアへの脱出
1.7 復帰
2 関連項目
3 外部リンク
概要
開発
その後、ソ連は嚮導艦の戦術的価値のさらなる向上のため、42.5 kn以上の高速力と20 knで5000浬の航続力の実現を根幹とした非装甲型嚮導偵察艦の基本計画を立案した。この計画は、海外の建艦技術を導入するためイタリアの造船会社に発注することが決定され、「I型」(типа ≪И≫チーパ・イー)と呼ばれるようになった。「I」とは、旧来駆逐艦クラスの艦艇に形容詞による名称をつけてきたソ連・ロシア海軍の伝統に則り、「インポールトヌイ」(輸入の)、あるいは「イタリヤーンスキイ」(イタリアの)という語の頭文字であるとされた。また、この艦はこれも駆逐艦風の名称で「イタリヤーネツ」(イタリア人)とも渾名された。
建造 1939年、公試を実施するタシュケント
計画書を提出したイタリアの造船会社3社のうち、オート社の計画が最も優れていると判断された。ソ連と契約を結んだオート社は、計画に基づいた新型艦を1937年1月11日にリヴォルノ造船所で起工した。起工に伴い、「I型」は正式にタシュケントと名付けられた。レニングラート、キエフ、ミンスクなどソ連構成共和国の首都名を戴いた他の嚮導艦と違い、「イタリヤーネツ」に対してはロシア内戦中に戦没したヴォルガ小艦隊の曳船タシュケント(旧称第7号曳船)に因んでの命名がなされた。
タシュケントの起工に伴い、ソ連では3隻の同型艦を建造することが決定された。建艦は1938年から1939年にかけて行われることが予定された。