タキシード
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「タキシード」のその他の用法については「タキシード (曖昧さ回避)」をご覧ください。
最も基本的なショールカラー、シングルブレストのタキシード姿の男性

タキシード(: dinner jacket, tuxedo)は、男性用の礼服の一つで、基本的には夜間、宴席で着用される物である。その出自から同じく夜間用の正礼服である燕尾服に対して略式の礼装とされるが、21世紀の現代では燕尾服の使用が減ったため、タキシードが実質的な正礼装の様に使われる場合も多い[注 1]。イギリスではディナー・ジャケット(会食服)、その他の欧州諸国ではスモーキング(smoking, 喫煙服)と呼ばれる。(#名称について)

礼服としては、夜間・宴席での服装として、女性のイブニングドレスカクテルドレスに対応する。

日本の結婚式業界では新郎が着用するフロックコート風の衣装を「タキシード」と呼称することがあるが、本来のタキシードとは異なる。
概要メスジャケットにキルトを合わせた衣装。近代スコットランド人の夜会服である。

タキシード(又は軍隊の礼装に多く用いられているメスジャケット)を中心に構成される服装(ドレスコード)のことをブラック・タイと言い[注 2]、黒い蝶ネクタイを着用するのが最も格式が高いとされる。本来は燕尾服に次ぐ略礼装の扱いだが、現代では国や場合により国賓を招いた晩餐会から、気軽なパーティーなど、広く着用されている。

欧米では、昼夜、より厳密には式典と宴席で礼服が区別されており[1]タキシードは基本的に夜間の宴席に着用される。欧米では晩餐会や演劇等が催される時間が日本に比べて遅い場合が多く、平日でも勤務先から帰宅してから改めてそれらに出席することが多いとされるが、日本などの大都市のように通勤時間に1時間以上もかかり勤務先から直行すると、昼と夜を着替えて出席する事は帰宅の心配が不要の宮中晩餐会などに出席する場合以外は難しい、とする見解もある[2][3][4]
タキシードの歴史

19世紀後半、タキシードの原型となるスモーキングジャケットがイギリスで誕生する。この頃は晩餐の食事の席では燕尾服を身にまとい、その後の男性のみの喫煙を伴う談笑の席でこのスモーキングジャケットに着替えられた(くつろぐための格好として、またタバコの匂いの問題等が主な理由である。)
[5]

1870年代初頭、ドイツやフランスのカジノでショールカラー(へちま襟)の尾のない燕尾服を着ることが流行し、これらは、上記のスモーキング、喫煙服のデザインを取り入れたものだったため、同様にスモーキングと呼ばれた。

1876年、当時のイギリス皇太子エドワード7世がこのスモーキングのファッションを英国に取り入れ、ディナー・ジャケットを考案し、パーティーなどで着用するようになる。

1886年ニューヨークのタキシード・パーク倶楽部の正装舞踏会で、全員が燕尾服を着ている中、グリスウォルド・ロリラードという人物が燕尾服に着替えるのを忘れ、真っ赤なスモーキングジャケットを着用したままパーティーに参加したことが米国における始まりであるといわれる(タキシード事件)。これは、彼がその年の夏に訪れたヨーロッパで見た流行のスタイルを取り入れて意図的にそのような格好で現れたのを、周りのアメリカ人たちが「着替え忘れた」と勘違いした、とする説もある。

1890年代には色とりどりのスモーキングジャケットと燕尾服のズボン、シャツ、小物を組み合わせたファッションが若者の間で流行する。この当時からアメリカではタキシードという呼び名が定着した。

1900年代には黒のジャケット、燕尾服用のズボン、ウィングカラーのシャツ、白ベスト、白蝶ネクタイというスタイルが礼装として米国市民権を獲得する。

1910年代には当時カジュアルシャツであったヒダ胸シャツと組み合わせた着こなしが大流行する。

1920年代には夜の正礼装である燕尾服に次ぐ礼服として世界中に認知される。

黒蝶ネクタイと黒のカマーベスト、カマーバンドが用いられるようになり、ブラック・タイと呼ばれるようになる。

それまでショールカラーしかなかったジャケットに、燕尾服に似せたピークトラペル(剣襟)のジャケットが新たに加わる。また、ダブルのジャケットも登場する。


1930年代イギリスにおいて晩餐の席における服装としてこの服装が一般化する。また、このころより白タキシードや色柄もののカマーバンド、蝶ネクタイなどが販売され、用いられるようになる。1920年代に登場したダブルのジャケットが流行する。

1950年代にはピーコック革命の波に乗り、色柄物のタキシードやクロス・タイ、フリル、レース、色物のシャツなどが用いられるようになる。

ピーコック革命の後、タキシードは再び黒一色に戻る。


1966年 イヴ・サン=ローランが女性のためにアレンジしたタキシードを発表する。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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