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タイ洪水 (2011年)水が溢れるバンコク都内の様子
発災日時2011年7月31日 - 2012年1月16日
被災地域 タイ王国 北部・中部
人的被害
死者815人
建物等被害
被害総額1兆4250億バーツ(457億米ドル)円
(2011年時価)
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タイ洪水(2011年)は、2011年のモンスーン期にタイで起こった洪水。チャオプラヤー川流域で甚大な被害を出し、メコン川周辺でも洪水が発生した。7月から始まり3か月以上続いた洪水は、2011年11月5日の時点で446人が死亡し230万人が影響を受けたと見られ、また被害総額は1567億バーツ(4,000億円弱)と想定されている。600万ヘクタール以上が浸水し、うち30万ヘクタールは農地であった。北部のチエンマイ県から、チャオプラヤー川流域の支流に存在する中部のバンコクまで、58の県に浸水が及んだ。この洪水は、「流出した水量と、影響を受けた人数に関して最悪の洪水」であると言われている。7つの主要な工業団地も最大で3m程度浸水し、それが40日程度続くと考えられている[1]。
世界銀行の推計では、自然災害による経済損失額の大きさでは、東日本大震災、阪神・淡路大震災、ハリケーン・カトリーナに次ぐ史上4位である(2011年現在)[2]。
背景タイの地形図。チャオプラヤー川の支流は、北部の山岳地帯から流れ始め、中央の平野部で合流し、南のタイランド湾へ注ぐ。東北部の台地からはチー川とムン川が流れており、タイとラオスの国境となるメコン川に流れ込む。「タイ王国#気候」も参照
熱帯性気候に分類され湿潤な気候であるタイでは、様々な小地域で季節的に激しい鉄砲水が起こりがちである。鉄砲水はタイ北部から始まり、チャオプラヤー川を通って下流のタイ中部の平野に広がる。東北部の台地ではメコン川に注ぐチー川とムン川に流れ込み、あるいは沿岸部の岡の側を通り東部に広がる。ベトナムや半島の南部を襲った熱帯低気圧の残滓は一般に降水量を増加させるため、それによってさらなる洪水のリスクをもたらす。複数のダムや灌漑用水路、放水路といった排水制御システムは整備されていたものの[3]、特に農村地域では、洪水の被害を防ぐためには不十分なものだった。タイの首都バンコクはチャオプラヤー川の河口部に位置し洪水になりがちな場所であったが、2001年に始まった排水トンネルシステムなど、頻発する洪水を防ぐための多大な努力が払われていた[4]。1995年にバンコクで大きな洪水が起きた後は小規模な洪水があったのみであり、洪水対策はある程度の成功を収めたと考えられていた。
しかし、他の地域では、例えば2010年にも深刻な洪水被害を受けている地域もある。
またそもそも洪水の危険性を認知していなかったという訴えもある[5]。
洪水2011年10月19日の洪水の範囲を示す衛星写真。水は濃紺で表している。
2011年のタイにおける大きな洪水は、モンスーン期が過ぎた後、台風平成23年台風第8号(アジア名:ノックテン)がベトナム北部へ上陸したことから始まった[6]。台風はタイ北部および東北部において多量の降雨をもたらし、多くの県で7月31日から鉄砲水が発生した。その後一週間で13人の死亡が確認され、東北部の多数の県で浸水が進んだ。中部高地の県にも、ヨム川とナーン川からあふれ出た水が流れ、洪水が広がった。タイランド湾沿岸部のプラチュワップキーリーカン県も影響を受けた[7]。
9月19日までに、ほぼ全ての中部低地の県が洪水による影響を受けた。その中にはバンコクと北側の県境に位置する県もあった。水門が壊れたことによって、チャオプラヤー川の流水が灌漑用水路を通じて流れ出し、広い地域の水田を水没させた。しかし、これらの地域が貯水池として働くことによって、バンコクへの洪水の被害を軽減したとも考えられている[8]。
9月末?10月初頭には、さらに3つの台風がインドシナ半島に上陸した。タイ国内の大部分のダムは、既に貯水可能な容量の限界に近いか、容量を超えていたため、下流の洪水を更に悪化させる可能性がありながらも、放水量を増加させなければならなかった[9]。