タイモン・ドッグ
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タイモン・ドッグ
Tymon Dogg
出生名Stephen John Murray
[1]
別名タイモン、ステップ・マーレイ
生誕1951年(72 - 73歳)
イングランド リヴァプール[2]
出身地 イングランド ロンドン[2]
ジャンルフォークパンクロックワールド
担当楽器ヴァイオリンギターピアノハーモニウム
活動期間1967年 -
共同作業者ザ・メスカレロス
公式サイト ⇒www.tymondogg.net

タイモン・ドッグ(Tymon Dogg、出生名:ステファン・ジョン・マーレイ (Stephen John Murray)、1950年 - )は、イギリスのシンガーソングライターであり、ピアノ、ヴァイオリン、ギター、ウード、自作のハープなど多彩な楽器をこなす演奏家である。自身の音楽活動だけでなく、ザ・クラッシュや後にザ・メスカレロスジョー・ストラマーと共演している。まだ10代で「タイモン」の偽名で過ごしていた1960年代後半に、ビートルズムーディー・ブルースといった有力ミュージシャンによって見出された。
初期 - タイモン

ステファン・マーレイの音楽遍歴は、14歳の時にハーモニカとギターでボブ・ディランドノヴァンのカヴァーをリヴァプールのペパーミント・ラウンジや、有名なキャヴァーン・クラブで演奏していたことから始まる。学校では物静かだった彼は、ミュージシャンと学生の区別をつけるため「タイモン」という偽名を使うことを覚えた。

スペンサー・リー(現在はBBCマージーサイドのDJ)は1965年にタイモンと出会い、この若きミュージシャンに曲作りを勧めた。彼は地元でのプロモーターになり、ライブ出演の手配、レコード会社へのデモテープ発送などを手伝った。

1968年のある日、サウスポートの印刷所で働いていたタイモンはリーからの電話を受けた。リーはタイモンにロンドンのパイ・レコードを訪れるために休みが取れるか聞いた。バンドリーダーでパイの経営陣の一人、キリル・ステープルトンがタイモンとの契約に興味を示しているというのだ。パイは彼がヒットシングルを出すことを確信し、1年分の賃金に相当する前金を与えた。しかし、この商業的プレッシャーは若き音楽家には圧倒的にのしかかった。

タイモンはすぐにリヴァプールを離れ、ロンドンでアレンジャー兼プロデューサーのジェリー・マーティンと曲作りを始めた。マーティンはカナダのポップ・シンガーで、イングランドでプロデューサーになることを目論んでいた。タイモンの最初のシングル「ザ・ビター・ソウツ・オブ・リトル・ジェーン」は1968年1月にリリースされた。この曲にはレッド・ツェッペリンジョン・ポール・ジョーンズがベースで、ジミー・ペイジがリード・ギターで参加していた。マーティンはレコードの発売直前にクビになり、レコードはパイによりささやかに宣伝された。

ピーター・アッシャー(元ピーター&ゴードン)がタイモンに興味を持ったのはこの頃である。アッシャーはアップル・レコード・レーベル最初のタレントを探す役割を負っており、アメリカのシンガーソングライター、ジェームス・テイラーと契約をすませ、新たな興味深い才能を探していたのである。ポール・マッカートニーはタイモンの「ザ・ビター・ソウツ・オブ・リトル・ジェーン」を聴き、この曲の新ヴァージョンを制作することを望んだ。マッカートニーは彼のやり方に従えばもっといい曲になることを確信していたが、タイモンはこれを断った。双方の音楽性に対する意見の相違のため、レコーディングは棚上げになった。タイモンはしばらくヨーロッパへバスキング (en:Busking) の旅に出た。

イングランドに帰国すると、BBCのDJデイヴ・シモンズが彼にムーディー・ブルースを紹介した。彼等はタイモンの曲を聴き、自身の新レーベルであるスレッショルド・レコードに彼を欲しがっていた。最初の契約は1969年10月に、タイモンとブリティッシュ・ロック・バンド、トラピーズとの両方とに行われた。2か月後の12月、タイモンとトラピーズはムーディー・ブルースのツアーのサポートを行った。タイモンとムーディー・ブルースはシングル「アンド・ナウ・シー・セズ・シーズ・ヤング」をリリースした。
1971年-2000年 - タイモン・ドッグ

1971年、タイモンはジョン・グレアム・メラー(ジョー・ストラマー)と友人になる。彼等は他の数人と、ロンドンのパルマース・グリーン、アッシュグローヴ18番地(ヴォミット・ハイツとして知られる)でフラットを共有した。1971年9月、ヴォミット・ハイツの面々と仲間たちはハレスデン、リドリー・ロード34番地のフラットに引っ越した。

1972年の春、タイモンとメラー(ニューポート・カレッジ・オブ・アートを中退し、5月にロンドンに戻っていた)はロンドン地下鉄で夜通しバスキングを行う。22歳のタイモンと20歳のメラーはグリーン・パーク駅やヨーロッパ中でバスキングをした。この時期、タイモンはメラーに重大な影響を与えた。左利きのメラーに右構えでウクレレのコードを弾くように教え、これが後にザ・クラッシュでギターをかき鳴らすスタイルへと繋がっている。

1972年4月にリドリー・ロード34番地のフラットを追い出され、ロンドンのマイルス・ビルディングにフラットを移した。しばらくはリドリー・ロードの面々も一緒にいたが、そのほとんどは1972年にドーセットのブランドフォード・フォーラムにある農園に移った。

1973年、タイモンは初めてヴァイオリン・ライブを行った。この頃、タイモンは名を「タイモン・ドッグ」に変えた。1974年、彼はロンドンのマイダ・ヒル、チッペンハム・ロード23番地の“ショートライフ”ハウスに何人かと住んでいた。ジョン・メラーもニューポート・アート・スクールを去った後、ここに住んでいる。

1975年と1976年、タイモンはメラー(この時にはジョー・ストラマー)のパブ・ロックバンド、The 101'ersのライブ・サポートを行った。タイモンは101'ersが結成されたチェリー・ピッグ・ドッグ・クラブの常連であり、時々ジャムにヴァイオリンで参加した。ストラマーは結局1976年に101'ersを去り、ザ・クラッシュに加わる。

1976年、タイモンは初のフルレングス・ソロ・アルバム『タイモン・ドッグ』(『アウトロー・ナンバー・ワン』として知られる)を発表。このアルバムはわずか500枚のみプレスされた。このアルバムで彼はピアノ、ヴァイオリン、ギター、ヴィオラ、チェロ、マンドリン、ハーモニカ、グロッケンシュピール、ハーモニウム、ショーム、シンバルといった楽器を一人で演奏した。1977年末、フォーク・パンク・トリオ「ザ・フールズ」をドラムのリチャード・デュダンスキ、ベースのロン・ハーヴェイと結成した。

1980年にザ・クラッシュは4作目のアルバム『サンディニスタ!』を発表。タイモンは「ルーズ・ザ・スキン」を作曲し歌とヴァイオリンも担当しただけではなく、エレクトリック・レディ・スタジオで「ライトニング・ストライクス」にヴァイオリンのオーヴァー・ダブも追加した。『サンディニスタ!』のレコーディング中ミック・ジョーンズはエレン・フォーリーの2作目のアルバム『スピリット・オヴ・セントルイス』の制作もしておりタイモンの書いた3曲がこのLPで使用された。

『サンディニスタ!』レコーディングの最終段階でイングランドのウェセックスに戻り、タイモンとストラマーはブルームズバリー、ギルバートプレイスにジョージア王朝風のスクワットを見つけた。彼等はそこでタイモンの後のパートナー、ヘレン・チェリーと暮らした。

1981年から1982年には、タイモンはイアン・ハンターの『双璧のアウトサイダー』でヴァイオリンを弾き、1982年に自身の2作目のアルバム『バトル・オヴ・ウィルズ』を出している。また彼はクラッシュの『コンバット・ロック』でピアノも弾いている。自身の3作目はストラマーとグリン・ジョーンズのプロデュースで制作されたが、リリースされることは無かった。1984年にはポイゾン・ガールズのEP『プライス・オヴ・グレイン』でヴァイオリンを弾いている。その後、ヘレン・チェリーとフルジヴォアズというデュオを結成し、1987年にアルバム『ニュー・エイジズ・ソングズ』とシングルを発表した。ソロ・アルバムの『リレントネス』も1989年に発表した。
2000年 -

タイモンが再び旧友ジョー・ストラマーと組んだのは11年後の2000年である。ストラマーは新しいバンドザ・メスカレロスを結成しており、その年の11月にタイモンは正式メンバーとして加わった。結局およそ2年の間にこのバンドで70以上のライヴをこなした。セカンド・アルバム『グローバル・ア・ゴー・ゴー』ではほとんどの曲の共同制作に携わり、ヴァイオリン、マンドリン、スパニッシュ・ギター、アコースティックギター、エレクトリックギターを多彩な曲で演奏した。

ストラマーは2002年12月22日に死去、スペインのグラナダで2003年8月20日に追悼コンサートが行われた。タイモンはこれにミック・ジョーンズ、リチャード・デュダンスキ、ジェム・ファイナー、トム・ラードナー、ジュリアン・ヘルナンデスと「ジ・アミーゴス」として参加した。

2006年3月、新バンド「The Quikening」を伴ってイングランドを周った。シングル「グアンタナモ」は9月にアナログ12インチでリリースされ、CDは2007年6月にリリースされた。新しいバンドのデビューとともに、ハープ風の弦楽器(彼はこれを「新世界のハープ」もしくは「ピラミッド・ハープ」と呼ぶ)の特許を取った。


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