タイノ族
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タイノ族 (タイノぞく、Taino) は、キューバイスパニョーラ島ハイチドミニカ共和国)、プエルト・リコ、そしてジャマイカを含む大アンティル諸島バハマ諸島に先住していたインディアン民族である。日本語表記ではタイノ人もあり、アラワク人やタイノ・アラワク人と表記される場合もある[1]

タイノ人についての文字による記録は、15世紀以降にイスパニョーラ島プエルト・リコ島に滞在したヨーロッパ人の見聞をもとにしている。そのため研究はこの2島に関するものが中心となっている[2]。タイノ人の起源は、南アメリカアラワク族にあるとされる。タイノ人が使ったタイノ語は、南アメリカからカリブ海までの広範囲で使用されたアラワク語族に属する。このため南アメリカからアラワク族が航海してきたものと推測されている[3]プエルト・リコのジャチボニク・タイノ族の部族国旗

タイノ人という呼称は、1492年スペイン人が到着した時点では存在せず、それぞれの島ごとに自称していた。たとえばプエルト・リコ島のタイノ人はボリンクエン、バハマ諸島のタイノ人は小さい島を意味するルカヨを自称していた。タイノという単語はタイノ語で「善」や「高貴」を意味しており、別の民族であるグアナハタベイ人(英語版)やカリブ族(アイランド・カリブ人)と区別する自称として使われていた。これがのちに学者によってタイノ人として総称されることになった[4]

タイノ人は、大西洋を渡ってきたコロンブスの船団に最初に接触した西半球の人々だった。スペイン人との間に、コロンブス交換とも呼ばれる病気穀物工芸品習慣などのやりとりがあり、病気や強制労働によって人口が減少した[5]。長らく絶滅したとされてきたが、DNAの調査によってタイノ人に連なる人々がいることが判明した[6]
地理バハマ諸島(黄緑)、大アンティル諸島(黄色)、小アンティル諸島(赤色)
自然環境

西インド諸島は南米のオリノコ川の河口のトリニダード島トバゴ島から中米のユカタン半島、北米のフロリダ半島にかけて分布している。西インド諸島の連なりは大きく3つに分かれており、バハマ諸島大アンティル諸島小アンティル諸島がある[7]

天候植生は、ほぼ全島が熱帯に属する[注釈 1]海洋生物種魚介類水鳥マナティ海亀などが豊富だった。陸上の動物は、キューバ島とイスパニョーラ島にはナマケモノが生息していたが最初の定住者の狩猟によって絶滅したと推測される。他の島には、ウティアと呼ばれるネズミイグアナを超える大きさの動物は生息していない。植物はヤシグアバソテツが豊富だった[9]

カリブ海は長さ1500マイル、幅が350マイルにおよぶ。この地域に住んでいた人々はカリブ海を横断するのではなく、鎖状に連なる島々を伝って移動したと考えられている[7]
区分諸集団の位置。クラシック・タイノ(赤)、ウェスタン・タイノ(オレンジ)、イースタン・タイノ(ピンク)、グアナハタベイ人(灰色)、アイランド・カリブ人(緑色)。

タイノ人はバハマ諸島と大アンティル諸島の全域、小アンティル諸島の北部に住んでいた記録がある[4]。イスパニョーラ島とプエルト・リコ島は最も人口が多く文化的に複雑で、クラシック・タイノとも呼ばれる。ジャマイカ島、キューバ島、バハマ諸島の住人をウェスタン・タイノ、東と南の島々の住人をイースタン・タイノとも呼ばれる。イスパニョーラ島とプエルト・リコ島の西にある島の住人はサブ・タイノ人とも呼ばれる[10]。人口は、かつてのスペインの記録では、イスパニョーラ島に10万人から100万人、プエルト・リコ島とジャマイカ島に合わせて60万人が住んでいたとされていた[10]。その後の研究でスペイン人が記述した人口は多すぎたとされている。2020年に発表された研究によれば、遺伝子データをもとにしたところイスパニョーラ島の人口は数万人だったとされる[11]

キューバ島の西部には、別の民族であるグアナハタベイ人(英語版)が住んでおり、グアドループ島にはカリブ族(アイランド・カリブ人)が住んでいた[4]
歴史

考古学による土器の研究によると、タイノ人の文化的な祖先オリノコ川三角州からギアナとベネズエラ海岸に着いたのち、西インド諸島へと進んで原始的な住民を支配下においたとされる[12]歴史時代のタイノ人は、オスチオノイド・シリーズと呼ばれる様式にそって土器を作っており、起源をたどる証拠となった[注釈 2]
タイノ人以前

タイノ人が来る以前の西インド諸島は、紀元前7000年から紀元前6000年には中米や南米から人間が移住していた[11]紀元前4000年頃に石器時代またはパレオ・インディアン時代が始まり、中米から移住したカシミロイドと呼ばれる民族集団によって剥片石器が使われていた[14]。カシミロイドはイスパニューラ島を中心に陸型の生活をおくり、季節に応じて移動していた[15]。カシミロイドの狩猟によって、イスパニョーラ島のナマケモノなどの大型動物は絶滅したと推測される[16]

紀元前2000年頃に原始的時代またはメソ・インディアン時代が始まり、南米から移住したオルトイロイドと呼ばれる民族集団によって磨製石器骨器・貝殻を研磨した器具が使われていた[14]。オルトロイドはプエルト・リコ島を中心に海型の生活をおくり、海岸線に定住した[17]

カシミロイドとオルトイロイドはモナ海峡をはさんで生活しており、交流があったと推測される。カシミロイドの技術であるフリントを素材にした道具の痕跡がプエルト・リコ島でも発見されている[18]
タイノ人の祖先の移住

タイノ人の祖先にあたる民族集団はサラドイドやオスチオノイドと呼ばれ、土器文化で農耕を行なっていた。サラドイドは南米から西インド諸島に移住し、カシミロイドとオルトイロイドの境界まで定住を進めた。サラドイドは地域別に発展し、(1) トリニダード島・トバゴ島、(2) ウィンドワード諸島、(3) リーワード諸島バージン諸島、(4) バージン諸島以外の大アンティル諸島とバハマ諸島に分かれて独自の習慣を作り上げた[19]。南米に残ったサラドイドもおり、トリニダード島・トバゴ島などで交易用に送った土器が発見された[20]


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