タイタニック_(客船)
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座標: .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯41度43分57秒 西経49度56分49秒 / 北緯41.73250度 西経49.94694度 / 41.73250; -49.94694

タイタニック
タイタニック号
基本情報
船種客船オーシャン・ライナー
クラスオリンピック級客船
船籍 イギリス
運用者ホワイト・スター・ライン
母港リヴァプール
経歴
起工1909年3月31日
進水1911年5月31日
竣工1912年3月31日
処女航海1912年4月10日
最後1912年4月15日に沈没
要目
総トン数46,328トン
全長269.1 m
全幅28.2 m
高さ53 m
喫水10.5 m
ボイラースコッチ式ボイラー 24基 / 補助 5基
主機関レシプロ4気筒エンジン2基
蒸気タービン1基、
計 50,000 hp (37 MW)
推進器混成3軸、3枚羽スクリュー推進
速力23ノット (42.6 km/h)
旅客定員1等旅客 833人
2等旅客 614人
3等旅客1006人
乗組員899人
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タイタニック(英語: RMS Titanic、ロイヤルメールシップ・タイタニック)は、20世紀初頭に建造されたイギリス船籍のオーシャン・ライナー

ホワイト・スター・ライン社が保有するオリンピック級客船の2番船であったが、処女航海中の1912年4月14日深夜に氷山に衝突し、その際の損傷による浸水が原因となって翌15日未明に沈没した。
概要

タイタニックは、イギリスのホワイト・スター・ライン社が北大西洋航路用に計画し、造船家のアレクサンダー・カーライル(英語版)とトーマス・アンドリューズによって設計され、北アイルランドベルファストにあるハーランド・アンド・ウルフ造船所で建造された豪華客船である。タイタニックの正式名称「RMS Titanic」のRMS(Royal Mail ShipまたはSteamer)は遠洋郵便船(英国郵便汽船)を意味する艦船接頭辞であり、船上でステーショナリーの購入、手紙の投函も可能だった[1]。タイタニックはホワイト・スター・ラインが保有する3隻のオリンピック級客船の2番船であり、姉妹船にオリンピックブリタニックがある。

処女航海中の1912年4月14日深夜、北大西洋上で氷山に接触、翌日未明にかけて沈没した。犠牲者数は乗員乗客合わせて1,513人(ほかに1,490人、1,517人、1,522または1,523人、1,609人などさまざまな説がある)であり、戦時中に沈没した船舶を除くと20世紀最大の海難事故であった[注 1]。生還者数は710人だった。タイタニックとその事故は、しばしば映画化されるなどして、世界的にその名を知られている。詳細は「タイタニック号沈没事故」を参照
造船

vinolia otto toilet soapの看板に描かれたタイタニック

タイタニックの設計図(その後B甲板が大幅に変更される)


建造中のタイタニック

建造中のタイタニック(船尾スクリュー)

タイタニックの進水式でのピリー卿とイズメイ、1911年5月31日

タイタニックの造船計画は、20世紀初頭に造船業としての勢力を保っていたハーランド・アンド・ウルフの会長ウィリアム・ピリー卿が、1907年ロンドンのメイフェアの夕食会でホワイト・スター・ラインの社長ジョセフ・ブルース・イズメイ (J. Bruce Ismay) に大型客船3隻の造船を提案したことに始まる。
設備

ホワイト・スター・ラインは当時白熱していた北大西洋航路における「ブルーリボン賞」と呼ばれるスピード競争にはあまり興味を示さず、ゆとりのある快適な船旅を売りにしており、タイタニックもスピードよりも設備の豪華さに重点を置いて設計されていた。もっとも、特等および一等船室は贅沢な造りではあるものの、船体下層ではレシプロ蒸気機関の振動が響くなど、快適とは言いがたい船室もあった。

船室は一等、二等、三等に分かれていた。一等船室はボートデッキからEデッキ、二等船室と三等船室はDデッキからGデッキにあり、三等船室は主としてFデッキやGデッキにあった。一等船室にはスイートルームも存在した[2]

煙突は4本あるが、4本目の煙突は厨房・喫煙室・ボイラー室などの換気用であり、殆ど煙が排出されないダミー的なものであった(ただし煙突内部に厨房の石炭コンロや喫煙室の暖房からの細い排煙路が存在するため、完全に煙が出ないわけではない)。これは船の美観を重視したためで、実際「4本目の煙突はダミー、伊達であり、乗客が持ち込んだペットを預かるスペースとして使用されていた」という調査・証言もある[注 2]

ボイラー室は6つあり、合計29基の石炭ボイラーが設置されていた。その後方には2基の3段膨張4気筒レシプロ蒸気機関があり、左右の直径7mのスクリューを駆動していた。中央にある直径5mのスクリューは蒸気機関を通過したあとの低圧蒸気でタービンを回して駆動するもので、燃費を改善する目的があった[注 3]
大階段

一等客専用の階段である[3]。タイタニックの室内装飾の目玉であり、精巧なウィリアム&メアリー様式(英語版)を基調とし、ルイ14世様式(英語版)風の手すりに縁どられている[2]。この階段でDデッキまで下りてくると一等のダイニングルームの大広間に直接入れるようになっていた[2]

大階段最上部(画像は姉妹船オリンピック号の物)

再現された大階段(テネシー州ピジョン・フォージ(英語版)にあるタイタニック博物館(英語版))

再現された大階段(同前)

大階段の智天使像(同前)

大階段の構造

一等客室

一等船室やスイートルームには贅の限りが尽くされた[2]。お金があれば、三部屋、四部屋、五部屋といったように続き部屋をそっくり借り切ることもできた[2]。部屋の装飾様式はルイ様式(ルイ14世様式(英語版)、ルイ15世紀様式(英語版)、ルイ16世様式(英語版))、帝国様式、ジャコビアン様式(英語版)、ジョージアン様式、アン女王様式、レジャンス(フランス摂政時代)様式、旧式・現代式のオランダ様式など部屋ごとに異なった。一番高級なのはBデッキのパーラースイートであり、リビングルーム、2つのベッドルーム、専用のバスルームに加え専用のプロムナードデッキ(遊歩道)も付いている。その金額は片道で4350ドル、ほぼ1000ポンドに近い額で、これは1997年時の換算で8万ドルに相当する金額である。当時最も高額な「海上不動産」だったといわれる[3]

アダム様式(英語版)のB-51

オランダ様式のB-57

ルイ16世様式(英語版)のB-58

古オランダ様式のB-59


B-60


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