タイソン・フューリー
Tyson Furyカナダ・ケベック州のボクシング会場にて(2017年)
基本情報
本名タイソン・ルーク・フューリー
(Tyson Luke Fury)
通称The Gypsy King
(ジプシー・キング)
階級ヘビー級
身長206 cm
リーチ216 cm
国籍 イギリス
誕生日 (1988-08-12) 1988年8月12日(35歳)
出身地 イングランド
グレーター・マンチェスター州マンチェスター
スタイルオーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数36
勝ち34
KO勝ち24
敗け1
引き分け1
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タイソン・フューリー(Tyson Fury、1988年8月12日 - )は、イングランド出身の男性プロボクサー。マンチェスター出身。元WBAスーパー・IBF・WBO世界ヘビー級統一王者。元WBC世界ヘビー級王者。弟のヤング・フューリー、異母弟のトミー・フューリー、従弟のヒューイ・フューリー、ネイサン・ゴーマンもプロボクサー。 アイリッシュ・トラヴェラーの家系にアイルランド人の両親のもと、6ヵ月半の早産で体重わずか1ポンド(約450グラム)で、イギリスのマンチェスターにて生まれる。医者から長生きはしないだろうと言われ幼少期は病気がちだった[1][2]。名前は父親がマイク・タイソンにちなんでつけた[2]。出自であるジプシーにアイデンティティーを濃く持っており、ジプシーの集会などで非合法のベアナックル・ボクシングの試合を何戦も行っていた[3]。 父親のジョン・フューリーもプロボクシングとベアナックルボクシングの元選手で、幼少の頃からタイソン・フューリーのトレーナーを務めていたが、2011年に喧嘩相手の目をえぐり失明させ、懲役11年の刑で刑務所に服役した。その後2015年に仮出所してフューリーのチームに復帰したが、この犯罪歴のためにアメリカのビザが許可されず渡航できない[4][5][6]。ウラジミール・クリチコ戦などで一時期フューリーのトレーナーに就いていた叔父のピーター・フューリーも、イギリスの世界的犯罪組織の中で一大麻薬帝国を築き、逮捕及び10年間の服役経験がある。 父親のジョン・フューリーの手ほどきで12歳からボクシングを始めた。 2006年、AIBAユース世界ボクシング選手権で銅メダルを獲得した。 2006年、イギリスの全国選手権でデビッド・プライスに敗れた[2]。 北京オリンピック代表にデビッド・プライスが選出され、フューリーは選考から漏れたことでプロ転向を決めた。
来歴
アマチュア時代
2010年6月25日、エセックス州ブレントウッドのブレントウッド・センター・アリーナでジョン・マクダモットとBBBofCイングランドヘビー級王座決定戦を行い、9回1分8秒TKO勝ちを収め9ヵ月ぶりの再戦を制し、王座の再獲得に成功した。
2011年7月23日、ウェンブリー・アリーナでBBBofC英国並びにコモンウェルスイギリス連邦ヘビー級王者デレック・チゾラと対戦し、12回3-0(2者が117-112、118-111)の判定勝ちを収め王座の獲得に成功した。
2011年11月12日、トラフォードのトラフォード・パーク
でネベン・パイケッチと対戦し、3回2分44秒TKO勝ちを収め初防衛に成功した。2012年4月4日、ベルファストのオデッセイでマーティン・ローガンとアイルランドヘビー級王座決定戦を行い、5回終了時TKO勝ちを収め王座獲得に成功した。
2012年7月7日、サマセット州クリーブドンのクリーブドン・ハンド・アリーナでビニー・マダロンとWBOインターコンチネンタルヘビー級王座決定戦を行い、5回1分35秒TKO勝ちを収め王座獲得に成功した。
2012年12月1日、ベルファストのオデッセイでケビン・ジョンソンとWBC世界ヘビー級挑戦者決定戦決定戦を行い、12回3-0(2者が119-108、119-110)の判定勝ちを収めWBC王座への挑戦権獲得に成功した。試合後の記者会見でベット・ミドラーの「愛は翼にのって」を歌った[7]。
2013年4月30日、アメリカのニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン・シアターでスティーブ・カニンガムとIBF世界ヘビー級2位のクブラト・プレフへの挑戦者決定戦で対戦。。2回に右ロングフックでダウンを奪われあわやストップ負け寸前まで追い詰められ、5回にはホールディングで減点されるも、その後は形勢逆転し最後は右フックでカニンガムを失神させてカウントアウト。7回2分55秒KOで勝利した。試合後にリング上でマイクを握りリッキー・バン・シェルトンの「Keep it between the lines」を歌った[8]。
2013年9月28日にデビッド・ヘイとの対戦が決定していたが、ヘイが試合1週間前にスパーリングで目尻をカットして試合が2014年2月8日へ延期された[9]。しかし、ヘイが今度は手術が必要なほどの重傷を右肩に負い、医者から引退勧告を受け試合中止となった。
2014年4月18日、高速道路で渋滞を避けるため緊急車両用の路肩を走行していたところ警察に交通違反で逮捕された。この際、フューリーは警官に向かって「俺はボクサーで、スーパースターだ、有名人なんだぞ」と言い放った[10]。
2014年7月26日、デレック・チゾラと対戦予定だったが、試合8日前のスパーリング中にチゾラが左拳を骨折し欠場となり[11][12]、チゾラのスパーリング相手をしていたアレクサンダー・ウスティノフが代わりの対戦相手になることが試合4日前に緊急決定した[13]。しかし前日計量を終えて、当日リングへ上がるだけとなっていたが、叔父で元トレーナーのヒューイ・フューリーが急病で入院したため、タイソン・フューリーの精神面への影響を考慮したトレーナーのピーター・フューリーが欠場させることを決め、結局試合は中止されることとなった[14][15][16]。
2014年11月22日、エクセル展覧会センターでEBU欧州、WBOインターナショナルヘビー級王者デレック・チゾラとBBBofC英国ヘビー級王座決定戦でし、チゾラの10回終了時棄権によるTKO勝ちを収め王座の獲得に成功した[17][18][19][20][21][22]。