タイソン・ゲイ
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タイソン・ゲイ

2009年世界陸上ベルリン大会
選手情報
フルネームタイソン・ゲイ
国籍 アメリカ合衆国
種目短距離走
生年月日 (1982-08-09) 1982年8月9日(39歳)
生誕地ケンタッキー州レキシントン
居住地フロリダ州クレルモン
身長178cm
体重75kg
自己ベスト
100m

9秒69(2009年)9秒68(W)(2008年)
200m19秒58(2009年)
400m44秒89(2010年)

獲得メダル

陸上競技
オリンピック
剥奪2012 ロンドン4×100mリレー
世界陸上選手権
2007 大阪100m
2007 大阪200m
2007 大阪4×100mR
2009 ベルリン100m
世界リレー
金2015 ナッソー4×100mリレー


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タイソン・ゲイ(Tyson Gay, 1982年8月9日 - )は、アメリカ合衆国陸上競技選手(短距離)。ケンタッキー州レキシントン出身。身長178cm、体重75kg。目次

1 経歴

2 人物

3 家族

4 自己記録

5 主な成績

6 脚注

7 外部リンク

経歴

幼い頃は地域の野球クラブに所属。当時から足が速く、盗塁を得意としていた。中学3年生(15歳)の時に、陸上クラブに所属していた1歳上の姉の影響で陸上を始める[1]

高校では陸上部に所属し、100mのケンタッキー州チャンピオンに1999年から3年間輝いている。しかし、全国大会では5位に入ったのが最高で、高校時代の自己ベストは100mが10秒46、200mが21秒23だった。陸上部の活動がない時期にはアメフト部にも所属していた[1]

当時の体重は短距離選手としては痩せている65kgほどで、そのせいもあって大学進学の際に強豪校からのスカウトはなかった。そんな中、バートン・コミュニティ大学(2年制)のコーチだったランス・ブラウマンから声をかけられ、2002年に同大学へ進学。1年時にJUCO(2年制大学の全国大会)で100mと200mの2冠を達成。この年は全米選手権にも初出場を果たし、10秒28(+2.4)をマークして5位に入っている。2年時はコーチのランス・ブラウマンが強豪校であるアーカンソー大学に移ってしまい、怪我の影響もありJUCOの連覇を逃すなど結果を残せなかった(100mが3位、200mが2位)。2003年にアーカンソー大学に編入した[1]

2005年、この年専念していた200mで、19秒93の自己記録(当時)を出す。

2005年フィンランドヘルシンキで行われた世界陸上200mで、4着となる。1位から4位までをアメリカ勢が独占したものの、ゲイはアメリカ人選手の中で唯一メダルをもらえなかった。

2006年7月11日、スイスローザンヌで開かれたIAAFグランプリ200mで19秒70の世界歴代5位(当時)・自己記録(当時)で2着となる。優勝は19秒63の世界歴代2位(当時)を記録したゼイビアー・カーターである。

2006年8月18日、スイスチューリッヒで行われたレースで100m9秒84、世界歴代3位タイ(当時)・自己記録(当時)の好タイムで2位となる。優勝は9秒77の世界記録タイ(当時)を記録したアサファ・パウエルである。

2006年9月10日、ドイツシュトゥットガルトで行われた200mフランク・フレデリクスと並ぶ19秒68(世界歴代3位タイ(当時)・自己記録(当時))を記録する。

2007年インディアナポリスで行われた全米選手権では、100mは向かい風0.5m/sの中9秒84世界歴代3位タイ(当時)・自己記録タイ(当時)・大会新で優勝し、200mでも向かい風0.3m/sの中19秒62(世界歴代2位(当時)・自己記録(当時)・大会新)で優勝し、二冠達成。

2007年世界陸上大阪大会では、8月26日の100m決勝で、前半リードしたアサファ・パウエルを後半追い抜いて9秒85(-0.5 m/s)で優勝し、8月30日の200mも向かい風0.8m/sの中19秒76の大会新記録(当時)で優勝、9月1日の4×100mリレーでも37秒78で優勝(第3走者)し、モーリス・グリーン以来の世界陸上三冠を達成した。

2008年5月31日、アメリカニューヨーク州の大会の100mで、追い風1.7m/sの好条件下で自己ベストに迫る9秒85を記録する。優勝は9秒72の世界新記録(当時)を記録したウサイン・ボルトである。

2008年、全米陸上競技選手権で、100mで、6月28日の2次予選で、追い風1.6m/sの好条件下、ゴール手前で流しながらも9秒77の米国新記録(当時)(世界歴代3位(当時)・自己記録(当時))を出し、翌日29日に行われた決勝では追い風4.1m/sという強風の中、9秒68(追い風参考記録)という驚異的なタイムで優勝。しかし7月6日の200m2次予選では、左太ももの肉離れで30m付近で転倒し途中棄権となり、200mでの北京オリンピックの出場を逃した。

2008年8月16日、北京オリンピック100m準決勝で、故障の影響もあってまさかの5位に終わり、決勝進出を逃した。アンカーとして出場した4×100mリレーでも、バトンミスで途中棄権となり、予選落ちした。

2009年5月2日、アメリカテキサス州のレースで、400mで45秒57(自己記録(当時))を記録する。

2009年5月30日、アメリカニューヨーク州で行われた200mのレースで、19秒58(+1.3 m/s)(世界歴代3位・自己記録)を記録した。

2009年8月16日、2009年世界陸上競技選手権大会100m決勝で、9秒71(+0.9 m/s)(世界歴代2位(当時)・米国新記録(当時)・自己記録(当時))という好タイムを出すも2着となる。2着のタイムとしては歴代最高記録。優勝は9秒58(世界新記録)を記録したウサイン・ボルトである。

2009年9月20日、中国上海で行われた100mのレースで、9秒69(+2.0 m/s)(世界歴代2位・米国新記録・自己記録)を記録した。

2010年4月17日、アメリカフロリダ州のレースで、400mで44秒89(自己記録)を記録する。


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