『タイス』(Thais, フランス語発音: [ta.is])は、ジュール・マスネが作曲した3幕7場の「抒情劇('comedie lyrique')」と題されたオペラの一つ。有名な『タイスの瞑想曲』はヴァイオリンと管弦楽のための間奏曲であり、第2幕の場の間に演奏される。これはよく演奏されるコンサートピースの一つであり、他の様々な楽器のために編曲がなされている。詳細は「タイスの瞑想曲」を参照
目次
1 概要
2 原作とリブレット
3 初演の後
4 2つの版の違い
5 配役
6 あらすじ
6.1 第1幕
6.2 第2幕
6.3 第3幕
7 主な録音・録画
8 脚注
9 出典
10 関連項目
11 外部リンク
概要 シビル・サンダーソン
初演は1894年3月16日パリのオペラ座である(これを「オリジナル版」と呼ぶ)。主演はアメリカ合衆国のソプラノ歌手シビル・サンダーソン(英語版)であり、彼女のためにマスネはタイトルロールを書いた[1]。本作は初演のちに、作曲者によって改訂され、1898年4月13日に同じ劇場で初演された(これを「改訂版」と呼ぶ)。『マノン』と『ウェルテル』以降のマスネ作品として、『タイス』は最も上演されるオペラの一つである。『タイス』は1956年までパリ・オペラ座で700回近く上演されたが[2]、本作においてマスネの音楽描写は円熟の域に達している[3]。タイス役は、マスネがシビル・サンダーソンのために書いたもう一人のヒロイン『エスクラルモンド(英語版)』と同様に歌うのが難しく、才能に恵まれた歌手のために用意されたものである。現代の歌手にはキャロル・ネブレット、 アンナ・モッフォ、ビヴァリー・シルズ、レオンティン・プライス、ルネ・フレミング、エリザベス・フットラル(英語版)が含まれる[4][5]。
原作とリブレット アナトール・フランス ルイ・ギャレ(1892年)
教権反対を主張するアナトール・フランスの小説『舞姫タイス(英語版)』を原作としている。リブレットはルイ・ギャレ(英語版)によってフランス語で脚本化された。『タイス』はビザンチン帝国統治下のエジプトが舞台である。そこでは修道僧、アタナエル (Athanael) がアレクサンドリアの高級娼婦(クルチザンヌ)でヴィーナスの信者であるタイス(聖タイス(英語版))をキリスト教に改宗させよう試みるが、しかし彼の彼女へのこだわりが欲望に由来していることが後に露呈する。すなわち高級娼婦の心の真の純潔が明らかにされるとき、宗教人のさもしい性質も明らかにされるのである。本作にはしばしば一種の宗教的なエロティシズムが内在すると書かれ、多くの物議をかもした。なお、原作の小説との大きな違いは修道士パフニュスがアタナエルに変更されている点とタイスとアタナエルの過去の経歴に関する記述が省略されている点、幕切れでアタナエルが自らが醜い吸血鬼のような形相になっていることに気づいて驚愕するところが「慈悲を!」と叫んでタイスのもとに倒れるという結末に変更されている。また、原作で記述されているタイスの生い立ちでは幼少のころ面倒見てくれていた奴隷アーメースによってキリスト教の洗礼を受けていた[6]。『新グローヴ オペラ事典』によれば「ギャレの手腕は見事で、二人の主役の中心的状況を巧みに描いている。二人の精神は全く反対方向に進んで行きながら、すれ違いざまに一瞬、邂逅するのである。二人の魂が出会うオアシスの場面(3幕第1場)はまさにこの作品の核となっている」[7]。また、このリブレットは「心理的かつ哲学的であるように意図されているため、動作の欠如が指摘される」という見解もある[8]。
初演の後 マリア・クズネツォヴァ
本作のイタリアでの初演は1903年、ミラノのテアトロ・リリコ・インテルナツィオナーレ(英語版)で、タイトルロールはリナ・カヴァリエリ(英語版)、アタナエルはフランチェスコ・マリア・ボニーニ(英語版)である[9]。アメリカ合衆国 での初演は1907年11月25日にニューヨークのマンハッタン劇場にて行われた。配役はメアリー・ガーデン 、シャルル・ダルモレス(英語版)、モーリス・ルノー(英語版)ら、指揮はカンパニーニであった[10]。メアリー・ガーデンにとっては米国デビューとなった。イギリス初演は1911年7月18日にロンドンのコヴェント・ガーデンロイヤル・オペラ・ハウスにて行われた。配役はエドヴィナ、ジリー、ダルメルらで、指揮はパニッツァであった[11]。本作は20世紀初頭にはアメリカでも人気があったが、メアリー・ガーデンとジェラルディン・ファーラーに負うところが多かった。他にマリア・イェリッツァ、マリア・クズネツォヴァ(英語版)、アイノ・アクテ(英語版)、リリアーヌ・ベルトン(英語版)、ニノン・ヴァラン、ジェオリ・ブエ(英語版)が含まれる[12]。ジェオリ・ブエは1952年初めて本オペラを録音した。日本初演は1921年に第2回ロシア歌劇団により帝国劇場にて行われた[13]。邦人による初演は1956年 4月13日に藤原歌劇団により、産経ホールにて行われた。指揮はガエタノ・コメリであった[14]。
2つの版の違い マルティン・ファン・メーレによる1901年版の小説へのイラスト
オリジナル版で、マスネは弟3幕第2場に、アタナエルが庵室で眠る「誘惑の場面」を含めた。この場面は改訂版では除かれた。オリジナル版の第1場が第2場になり、新しい第1場が改訂版では加えられた。さらに、7ピースを含んだバレエの場面が第2幕の終わり近くに加えられた。オリジナルの「誘惑の場面」はいまはオペラから派生したバレエ組曲として独自に演奏される。
オリジナル版(1894年)改訂版(1898年)
第1幕第1場テバイステバイス