タイコンデロガ砦包囲戦
デファイアンス山から見下ろしたタイコンデロガ砦
戦争:アメリカ独立戦争
年月日:1777年7月2日 - 6日
場所:ニューヨーク州 タイコンデロガ砦
結果:イギリス軍の勝利
交戦勢力
大陸軍イギリス軍
ヘッセン=カッセル
指導者・指揮官
アーサー・セントクレア ジョン・バーゴイン
ウィリアム・フィリップス
戦力
正規兵と民兵:約3,000[1]正規兵:約7,000[2]
インディアンとカナダ民兵:約800[3]
損害
戦死:7名、負傷:11名[4][5]戦死:5名[5][6]
アメリカ独立戦争
大区分
西部戦線 - 南部戦線 - ボストン方面作戦 - カナダ侵攻作戦 - ニューヨーク・ニュージャージー方面作戦 - サラトガ方面作戦 - フィラデルフィア方面作戦
小区分
レキシントン・コンコード - ボストン - バンカーヒル - グレートブリッジ - ロングアイランド - ホワイト・プレインズ - トレントン - プリンストン - オリスカニー - ベニントン - ブランディワイン - サラトガ - ジャーマンタウン - ホワイトマーシュ - モンマス - ジブラルタル - ロードアイランド - ワックスホー - スプリングフィールド - キャムデン - キングスマウンテン - カウペンス - ギルフォード - ホブカークスヒル - グリーンスプリング - ユートースプリングス - ヨークタウン - ブルーリックス
海戦
アメリカ独立戦争の海軍作戦行動 - バルカー島 - 第1次ウェサン島 - サン・ビセンテ岬 - マルティニーク島 - ポルト・プラヤ - ドッガー・バンク - チェサピーク湾 - 第2次ウェサン島 - セインツ
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タイコンデロガ砦包囲戦(タイコンデロガとりでほういせん、英: Siege of Fort Ticonderoga)は、現在のニューヨーク州北部、シャンプレーン湖の南端近く、タイコンデロガ砦で1777年7月2日から6日にかけて行われた戦闘である。ジョン・バーゴイン中将が率いる8,000名のイギリス軍が砦より高い位置にある陣地を占領し、砦の守備隊を包囲する寸前にまで迫った。この動きによって砦を守っていたアーサー・セントクレア将軍の指揮する大陸軍3,000名は砦とその周辺の防御陣地から撤退することになった。幾らかの砲撃が交わされ損失も出たが、形の上の包囲戦も会戦も無かった。7月6日にバーゴイン軍がタイコンデロガ砦とインデペンデンス砦を無抵抗で占領し、その前衛隊は退却する大陸軍を追った。
タイコンデロガ砦は事実上難攻不落と広く信じられており、アメリカの防衛のためには重要な地点だったので、これが抵抗も無く陥ちたことはアメリカの世論と軍事集団のなかに大騒ぎを引き起こした。セントクレア将軍とその上官であるフィリップ・スカイラー将軍は大陸会議に非難された。この2人とも軍法会議では無罪となったが、その軍歴は傷つけられた。スカイラーはこの軍法会議の時までにその指揮権をホレイショ・ゲイツに引き渡しており、セントクレアはアメリカ独立戦争において、以後、野戦指揮官に就くことは無かった。
目次
1 背景
1.1 イギリス軍
1.2 大陸軍の守備隊
1.3 シュガーローフ
2 イギリス軍の進軍
3 大陸軍の撤退
4 戦いの後
5 政界と大衆の非難
6 脚注
7 参考文献
8 関連図書
9 外部リンク
背景詳細は「サラトガ方面作戦」を参照
アメリカ独立戦争の初期にあたる1775年9月、大陸軍はカナダ侵攻作戦を開始した。この侵攻は1776年5月にケベックに到着したイギリス軍の大部隊によってタイコンデロガ砦まで追い返され、7月には悲惨な結末で終了していた。