タイガー級防空巡洋艦
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タイガー級巡洋艦

基本情報
艦種巡洋艦
(軽巡洋艦防空巡洋艦ヘリコプター巡洋艦)
運用者 イギリス海軍
就役期間1945年 - 1979年
前級マイノーター級
次級カウンティ級 (防空艦)
インヴィンシブル級 (航空母艦)
要目
#諸元表を参照
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タイガー級巡洋艦(タイガーきゅうじゅんようかん、英語: Tiger-class cruiser)は、イギリス海軍巡洋艦の艦級。元々はスイフトシュア級軽巡洋艦の発展型として建造されていたが、この設計では1隻が建造されたのみで[1]、残り3隻は、第二次世界大戦終結後しばらく放置されたのちに防空巡洋艦に設計変更して建造され、更にこのうち2隻はヘリコプター巡洋艦に改装された[2][3]
軽巡洋艦
来歴

1941年秋に作成された1941年度補正計画では、イギリス海軍が同年度で計画していた重巡洋艦4隻のうち3隻が、フィジー級の系譜となる軽巡洋艦に振り替えられることになった。これらの3隻は、フィジー級の改良型として同年度の本計画で建造されていたスウィフトシュア級よりも更に改良された設計を採用することになり、これが本級となった[4]

本級は、極めて複雑な変遷をたどることになった。1941年度補正計画に盛り込まれたのは「ディフェンス」「シュパーブ」「タイガー」であった。またスウィフトシュア級として計画されていた「ベレロフォン」も、建造が中断されていたことから、タイガー級の設計によって建造されることになった。1942年度計画では更に7隻の建造が予定されていたが、このうち実際に命名されたのは「ブレイク」「ホーク」の2隻のみであった[4]。そして1941年度補正計画艦のうち、「タイガー」は後に「ブレイク」と改称されたのち、更に「ベレロフォン」と改称されて、1944年度計画のネプチューン級へと振り替えられたが[4]、結局、ネプチューン級の計画自体がキャンセルされた[5]。一方、この改称に伴って、艦級名を維持するため、元々「ベレロフォン」として建造されていた艦が「タイガー」と改称されて、ネームシップを引き継いだ[6]

大戦の終結とともに、設計の改訂が検討されるようになった。既に工程が進んでいた「シュパーブ」はそのまま建造されたが、それ以外の4隻については様々な計画が俎上に載せられた。しかしいずれも実現せず、1945年10月に「ホーク」の建造はキャンセルされ、残り3隻も、造船所の要員を空母「イーグル」「セントー」に配分するため[4]、1946年7月より、建造作業は棚上げ状態となった[6]
設計

基本設計はスウィフトシュア級をベースにしているが、船体幅はやや広げられた[4]。船首楼型で3?4インチ (76?102 mm)の水線部装甲をもち、砲塔とその下部を4インチ以下の装甲で囲むという設計は、戦間期のイギリス巡洋艦に共通したものであった[7]

機関はフィジー級以降の構成が踏襲された。ボイラーはアドミラルティ式3胴缶4基で、蒸気性状は圧力400 lbf/in2 (28 kgf/cm2)、温度250 °F (121 °C)とされた。蒸気タービンはパーソンズ式ギアード・タービン4基で、72,500軸馬力を発揮した[1]。ただし制御装置や計測・監視・操縦装置などの周辺機器は新型化・高性能化されている[8]
装備

主砲としては、50口径15.2cm砲(BL 6インチ砲Mk XXIII)を3連装のRP 10 Mk XXIV砲塔に搭載する計画であり[9]、「シュパーブ」はこの仕様で建造された。同砲は、リアンダー級で採用されて以降、イギリス軽巡洋艦の主砲として連綿と搭載されてきた砲であり、同艦が最後の搭載艦となった[2]射撃指揮装置としては、盲目射撃に対応して275型レーダーを備えたMk.VI HA方位盤が搭載され、外見上の特徴となった[4]

対空兵器としては、45口径10.2cm高角砲(QF 4インチ砲Mk XVI)10門(連装5基)と39口径40mm高角機銃(ヴィッカース QF 2ポンド・ポンポン砲)18門(4連装4基+単装2基)を搭載する計画であり、「シュパーブ」はこの仕様で建造された[2]。またこれに加えて、70口径20mm機銃10門も備えていた[1]。その後、1955年の時点では、ポンポン砲4連装4基は維持されていたほか、56口径40mm単装機銃10基(機力操縦2基+人力操縦8基)が搭載されていた[10]
防空巡洋艦「タイガー」の艦首側からの艦影 「タイガー」の艦尾側からの艦影
来歴

1947年9月、砲術部長(DGD)は、棚上げ状態になっている3隻のタイガー級巡洋艦の有用性はまだ残っていると指摘して、活用法が検討されるようになった。当時、次世代の対空兵器としてシースラグ艦対空ミサイルの開発が進められていたが、順調に進んだとしても、装備化は1958年になると考えられていた。これに対し、本級は他の艦よりも改良された船体・機関を備えていたことから、来たるべきシースラグ搭載艦の防空力を100点とすると、他の大戦世代巡洋艦が20点であるのに対し、本級は40点に相当すると試算された[4]。また新しいハーミーズ級航空母艦は、2基目のカタパルトを設置する代償として中口径砲を全廃していたことから、1948年3月には、これを援護するための防空艦が必要であると主張されるようになった[10]

このことから、これらの3隻は設計を変更し、新世代の対空砲を搭載した防空艦として建造されることになった。ちょうど朝鮮戦争と時期が重複し、また財政的な問題もあって作業は計画より遅延し、1959年3月から1961年3月にかけて順次に竣工した。上記の通り、本級はシースラグ搭載艦の就役までの漸進策としての性格があったが、実際には、シースラグ搭載のカウンティ級駆逐艦の就役開始よりも20ヶ月先行できただけであった[10]


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