時2008年6月22日 - 2011年12月25日
場所.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯14度23分35秒 東経104度40分49秒 / 北緯14.39306度 東経104.68028度 / 14.39306; 104.68028
498人死亡[1](タイは64人死亡と言った)[2]
1人兵士行方不明[3]
3人住民死亡[4]
65人超えの兵士と住民負傷130人兵士死亡[5]
(カンボジアは141人死亡と言った)[6][7][8]
2人住民死亡[9][10]
140人超えの兵士と住民負傷
タイとカンボジアの国境紛争(タイとカンボジアのこっきょうふんそう)は、2008年に始まったプレアビヒア寺院の帰属をめぐるタイとカンボジアの国境紛争である[11]。
歴史の背景詳細は「プレア・ビヘア寺院事件」を参照
両国の国境問題は、1863年フランスがカンボジアを植民地化した後、20世紀初頭にタイ(当時はシャム)の領土であった現在のカンボジア北部がフランス領に割譲されたことに始まった。その際、ダンレック山地の分水嶺が国境線と定められたが、フランスが定めた国境線とタイの主張するダンレック山地の分水嶺が一致しない事態が生じ、プレア・ビヒア寺院は正に帰属がはっきりしなかった。
第二次世界大戦後は、タイが自国の警備兵をプレア・ビヒアに常駐させて実効支配していたが、独立後のカンボジアが同寺院の領有権の確認を求めて国際司法裁判所に提訴、1962年の判決で寺院周辺におけるカンボジア側の主権が認められている。タイ側は不満を示しながらも、つい最近まで同判決に従ってきた[12]。 2008年初、カンボジアがプレアビヒア寺院遺跡を世界遺産に登録するように、ユネスコの世界遺産委員会に申請した。ユネスコの世界遺産委員会が、プレアビヒア寺院遺跡をカンボジアの世界遺産に登録することにした。それに対して、タイ国内の政治団体や市民団体がこの合意に激しく反発した。 同年7月、タイ軍兵士が国境を越えてカンボジア領に侵入し集結した。同時に、カンボジア軍もタイとの国境地帯に数百人規模の部隊を配備した。 同年10月、両軍間はプレアビヒア寺院から数キロしか離れていない国境地帯で銃撃戦を進め、カンボジア兵2人が死亡、タイ兵7人が負傷した[13]。 2011年4月、カンボジアは国際司法裁判所にプレアビヒア周辺の国境未画定地域の領有権に関する判断を求めた。同年7月、国際司法裁判所は紛争地域に非武装地帯を設定し、両国に即時撤兵するよう命じた。2012年7月、両軍は国境の紛争地域から撤兵した[14]。2013年11月、カンボジアの提訴を受けた国際司法裁判所は寺院周辺の土地もカンボジアに帰属すると判断し、懸案の領有権問題は一旦終結した[15]。
軍事衝突
撤兵
脚注^ 3 KIA on October 15, '08 ⇒[1], 2 KIA on April 3, '09 “アーカイブされたコピー
^ “ ⇒Govt probes claim 64 killed”. Bangkok Post. 2011年2月7日閲覧。