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疫病や生物兵器などによる破滅フィクションの中に、ゾンビもしばしば登場する。
ゾンビによる世界の終末(ゾンビによるせかいのしゅうまつ)とは、SFやホラーなどのフィクション作品に見られる、いわゆる終末もの (Apocalyptic / Post-Apocalyptic Fiction) と呼ばれる筋書きの一種とされる。ここで扱うのは「ゾンビによる終末もの」、すなわち人類に敵対的なゾンビが広範囲に(時には全地球的な規模で)出現し、文明がその脅威にさらされるというシナリオである。
多くの場合、ゾンビに攻撃(噛みつかれる、もしくは引っかかれるなど)された者もゾンビ化(感染)するため、数量は指数関数的に拡大していき、通常の軍事組織や治安維持組織が持つ掃討能力を圧倒する大発生が伝染病のように発生した結果、文明社会は孤立したわずかな生存者を残す程度にまで一挙に崩壊する。ゾンビ同士での共食いは発生せず、何らかの理由で無限あるいはそれに近い長時間食事を取らずとも行動し続けるため、時間による解決も望めない。この突然の四面楚歌の状況下で、生存者たちは食料や必需品を求めて知恵を絞りつつ、人類の命運を賭けて奮闘することとなる。 ゾンビによる世界の終末を描いた作品には、いくつか共通の設定が見られる。 物語は通常、災厄の渦中に放り込まれた少数の生存者グループの成り行きを中心に捉える。最初にゾンビ発生の様子を描き、当局への支援要請とその敗退、そして一挙に訪れる破局、これに続く残存者らの生き残りへの闘い、といった展開を辿るものが多い。破滅に直面した登場人物らがいかなる反応を示し、非常事態の中でその人格がどのように変貌するかに焦点を当てるのが、典型的である。多くの場合、登場人物らは通常の生活よりも恐怖や自己防衛本能といった、より原始的な動機に行動を支配されるようになる[2][3]。 元凶となるゾンビはゆっくりと動き回るものが多い。これは映画『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』で最初に広く知られたゾンビ像である[1]。近年は、伝統的なゾンビよりも強靭かつ敏捷なゾンビを描くものも現れている[4]。 大抵の「ゾンビによる終末もの」を通じて語られるのは、文明は真の脅威の前では根本的に脆弱であり、いかなる代償を払ってもほとんどの個人は善なる存在の恩恵にあずかることができない、という世界観である[5]。こうした物語は、この分野の嚆矢となった映画『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』が製作された1960年代の不安定な世相に深く関わっていると指摘される[6][7]。また、観衆や読者は、自らが抱える「世界の終末」への不安を対象化する手がかりとして、こうした物語を享受することもできる[8]。 現代社会の在りように疑問を持つ悲観主義の人々にとっては、鎮圧不可能なゾンビによる終末は死の欲動を満たし、自然状態への回帰を想起させる[9]。 『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』以降、「ゾンビの侵襲による社会の崩壊」という主題を扱ったゾンビ関連作品は膨大な数に上る[10]。キム・パフレンロス (Kim Paffrenroth) は、「いかなるモンスターに増してゾンビは完全かつ文字通りに黙示的である…彼らは我々がそれぞれ予期している通りの世界の終わりを告げてくれるのだ」と述べている[10]。 多数の映画作品やビデオゲームを背景に、「来たるべきゾンビ・アポカリプス」に備えるべく、マニアが武器の製作[11]、あるいはゾンビ大量発生時のサヴァイヴァルについての啓蒙ポスター販売などを行なっている[12]。
特徴的な構成要素
災厄を惹起するのは、これまでに知られていない新世代のゾンビである。このため、同種の事態の先例がなく、合理的なアプローチを立てることができない[1]。
ゾンビに傷付けられた者もゾンビ化し、共に人間を襲う。後に生き延びることになる者も、敵に対面して対応を余儀なくされるまでは事態を飲み込めず、信じようとしない[2]。
当初、当局はその情報を信じず、その間にゾンビはもはや処置が不可能なほど蔓延する。こうなるとゾンビはいかなる既存の科学技術を投入しても対処できず、舞台となった社会は滅亡の淵へ追いやられる。そして、世界は完全にゾンビの支配下に入り、少数の生存者はその只中で生き残りを賭けた闘いを強いられ、仲間割れや意見対立を引き起こすこととなる[2]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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