ゾディアック事件
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ゾディアック事件
Zodiac Killer
場所
アメリカ合衆国
カリフォルニア州
日付1968年 - 1974年
概要カリフォルニア州で発生した連続殺人事件
死亡者5人(自称37人)
負傷者2人
犯人不明(犯人の親族を名乗る人物有)
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犯人の似顔絵犯行声明文の末尾に書かれていたゾディアックのシンボルマーク。ケルト十字に酷似している。

ゾディアック事件(ゾディアックじけん、: Zodiac Killer)は、アメリカ合衆国で発生した連続殺人事件。現在も継続捜査中未解決事件である。

「ゾディアック」とは英語黄道帯を意味する語だが、犯人が声明文の中で「私はゾディアックだ(This is the Zodiac speaking.)」の一節を頻繁に用いたことでその名称として知られるようになった。
概要

1968年から1974年にかけて、カリフォルニア州サンフランシスコ市内で若いカップルを中心に少なくとも5名が殺害された。犯行後に警察やマスコミへ多量の犯行声明文を送りつけたことから、「劇場型犯罪」の一つとして有名である。

アメリカでも特に有名な未解決殺人事件として知られ、現在に至るまで真犯人についての証言や主張が多く寄せられている。1986年ロバート・グレイスミスが事件について独自の調査を行った『Zodiac』という本を出版した。彼はサンフランシスコ・クロニクル(犯行声明文が送られた新聞社の一つ)に風刺漫画家として在籍しているときに、事件に遭遇し、関心を持っていたためである。
一連の事件
レイク・ハーマン道路の殺人デービッド・アーサー・ファラデーとベティー・ルー・ジェンセン

1968年12月20日、レイク・ハーマン道路 (英: Lake Herman Road) のベニシア(英語版)市内側で、17歳のデービッド・アーサー・ファラデー(英: David Arthur Faraday)と16歳のベティ・ルー・ジェンセン(英: Betty Lou Jensen)が射殺された。2人は高校生であり、その日は最初のデートだった。2人はジェンセンの自宅から3ブロックほど離れたところにあるホーガン・ハイ・スクール(英: Hogan High School)で開催されるクリスマス・コンサートに出席する予定だった。しかし、コンサートへ向かう代わりに友人の元を訪ね、それから地元のレストランに立ち寄った。その後、レイク・ハーマン道路へ車で向かった。午後10時15分ごろ、ファラデーは母親が所有するランブラーを砂利道の待避所に停めた。その待避所はあまり人がおらず、恋人たちが2人きりで過ごせる場所であると知られていた。午後11時を過ぎてまもなく、2人の遺体が近所に住むステラ・ボージス(英: Stella Borges)という人物により発見された。ソラノ郡保安官事務所が事件を捜査したが、手がかりは得られなかった[1]。ジェンセンは「セシリア・シェパード」という芸名で活動していた俳優でもあった。

ロバート・グレイスミスは得られた科学捜査データを元に、午後11時前に別の車が犯行現場の待避所に入ってきて、カップルの車の隣に停まったと推定した。犯人は自分の車から出て2人の車の方へ歩いていき、おそらく2人に車から出るように命じたのだろうと推測した。ジェンセンが最初に車から出たようで、犯人はファラデーが車から降りかけた途中でファラデーの頭を撃ったようだ。その後、犯人はジェンセンの背中を5回撃ったが、ジェンセンは逃げようとしていたらしく、その遺体は車から8メートルほど離れた場所で発見された。犯人はそれから車に乗って走り去ったようである[2]
ブルー・ロック・スプリングスの殺人

1969年7月4日の午後12時前、19歳のマイケル・ルノー・マジョー(英: Michael Renault Mageau)と22歳のダーリーン・エリザベス・フェリン(英: Darlene Elizabeth Ferrin)はバレーホにあるブルー・ロック・スプリングス・パーク(英: Blue Rock Springs Park)に車で入った。その場所はレイク・ハーマン・ロードの殺人現場から6キロメートルほど離れたところにあった。2人がフェリンの車の中にいたところ、別の車が来て、2人の車の隣に停まったが、すぐに走り去った。それから10分後にその車が戻ってきて、2人の車の後ろに停まった。運転手が車を降りて、2人の車の助手席側に近づいてきた。その人物は懐中電灯と9ミリ口径のルガーを持っていた。犯人は2人の目に懐中電灯を向けたのち、2人に対して5回発砲した。銃弾は2人に命中し、いくつかはマジョーの体を貫通してフェリンにも当たった。犯人は2人の車から歩き去ったが、マジョーの呻き声を聞くと引き返し、さらに2人に2回ずつ発砲した。その後、車に乗って現場を去った[3]

7月5日の午前0時40分ごろ、男性がバレーホ警察に通報し、自分が2人を襲ったと主張した。通報者は6か月半前にジェンセンとファラデーを殺害したのも自分であると述べた。警察は通報の電話がスプリングス・ロードとトゥオルミ・ストリートの交差点にあるガソリンスタンドの公衆電話から発信されたことを突き止めた。その場所はフェリンの自宅から500メートルほど離れた場所にあり、バレーホ警察署からはほんの数ブロックの距離だった[4]。フェリンは病院で死亡が確認された。マジョーは顔や首、胸を撃たれたが生き延びた[5]。マジョーによれば、犯人は26歳から30歳ほどの白人男性で、体重は88キログラムから91キログラム、もしくはそれより上、身長は173センチメートルほどだったという。また、髪は短く、薄茶色で、癖毛だったという。
最初の手紙"I like killing people because it is so much fun it is more fun than killing wild game in the forrest because man is the most dangeroue anamal of all to kill something gives me the most thrilling experence it is even better than getting your rocks off with a girl the best part of it is thae when I die I will be reborn in paradice and all the I have killed will become my slaves I will not give you my name because you will try to sloi down or atop my collectiog of slaves for my afterlife ebeorietemethhpiti"-ゾディアックの408の記号の暗号を解読したもの。1969年8月に解読された。誤記も含めて忠実に解読している[注 1][6]

1969年8月1日、犯人によって書かれた3通の手紙がバレーホ・タイムズ・ヘラルド(英語版)、サンフランシスコ・クロニクルサンフランシスコ・エグザミナーの各社に届けられた。手紙の内容はほとんど同一で、レイク・ハーマン・ロードとブルー・ロック・スプリングスでの殺人の犯人は自分であると書かれていた。それぞれの手紙には、408の記号で書かれた暗号文の3分の1が記載されていた。犯人は暗号文には自身の正体が記されていると主張した。犯人は各新聞社に暗号文を新聞の1面に掲載することを要求し、そうしなければ週末の夜に12人殺すと脅迫した[7]

サンフランシスコ・クロニクルは翌日の新聞の4面に3番目の暗号を掲載した。暗号の隣に掲載された記事では、バレーホ警察署長のジャック・E・スティルツ(英: Jack E. Stiltz)による「我々警察は手紙が犯人によって書かれたものであると確信していない」という発言が引用された。スティルツ署長は、手紙の送り主に自身の正体を示す証拠とともにもう1通手紙を送ることを要求した[8]。犯人が予告した殺人は起こらなかった。暗号文の残りの2部も最終的には掲載された。

1969年8月7日、新たな手紙がサンフランシスコ・エグザミナー社に届いた。その手紙はDear Editor This is the Zodiac speakingという書き出しで始まった。この手紙で犯人は初めて「ゾディアック」という名義を使用した。この手紙はスティルツ署長の要求に応えたもので、手紙の書き手がファラデー、ジェンセン、フェリンを殺害した犯人であることの証明になった。手紙の中で、ゾディアックは殺人事件について一般には非公開の情報まで記載していたのである。暗号を解読すれば自分を捕まえられるという警察に宛てたメッセージも記していた[9]

1969年8月8日サリナスに住むドナルド・ハーデン(: Donald Harden)とベティ・ハーデン(英: Bettye Harden)が暗号文を解読した。『猟奇島』からの引用と思われる文もあったが、綴りに誤りが見られた。死後の奴隷を集めているという記述もあった[注 2]。解読された暗号には犯人の名前は無かった。ゾディアックは自分の正体を明かせば奴隷集めが遅くなるか止めることになるから正体は秘密にすると記していた[6]
ベリエッサ湖の殺人ベリエッサ湖の景色ブライアン・ハートネルの車のドアに記された、ハートネルとセシリア・シェパードを襲った事件に関するゾディアック自身の犯行声明

1969年9月27日、パシフィック・ユニオン・カレッジ(英語版)の学生である20歳のブライアン・カルビン・ハートネル(英: Bryan Calvin Hartnell)と22歳のセシリア・アン・シェパード(英: Cecelia Ann Shepard)はベリエッサ湖(英語版)(英: Lake Berryessa)でピクニックを楽しんでいた。場所はツイン・オーク・リッジと砂嘴で繋がる小さな島である。2人のもとに白人男性が近づいてきた。その男性は身長は約180センチメートル、体重は77キログラムを超える程度で、処刑人のような黒いフードを被り、両目の覗き穴にはクリップ留めのサングラスを掛けていた。胸部には胸当てのようなものがあり、それには7センチメートル四方の円と十字を組み合わせた記号が白色で描かれていた。男性は銃を持っており、ハートネルによれば45口径だったという。フードの男はコロラド州モンタナ州にある2単語で構成される名の刑務所から逃げ出した囚人であると称した (後にある警察官が、その男性が言及していたのはモンタナ州ディアロッジ(英語版)<英: Deer Lodge>にある刑務所のことではないかと推測している)。


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