ゾクチェン
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ゾクチェン
白いア字と五色のティクレ
チベット語
チベット文字:??????????
ワイリー方式:rdzogs chen
IPA発音表記:[ts?kt???]
蔵文?音:Zogqen
THDL式:Dzokchen
その他の表記:Dzogchen
中国語
繁体字:大究竟、
大圓滿、
大成就
簡体字:大究竟、
大??、
大成就
?音:daji?jing,
dayuanm?n,
dachengjiu

ゾクチェン(: ??????????、rdzogs chen)は、主にチベット仏教ニンマ派(古派)と、チベット古来の宗教であるボン教に伝わる教えである。ゾクチェンという言葉はチベット語で「大いなる完成」を意味する「ゾクパ・チェンポ」(???????????????、rdzogs pa chen po)の短縮形であり、人間を含むあらゆる生きもの(一切有情)の「心における本来の様態」(sems nyid、セムニー)、またはあるがままで完成された姿のことを指している。

また、その姿を理解することにより、速やかに優れた覚醒の境地に至ることができるとされている。

漢訳は「大円満」あるいは「大究竟」、英語では Great Perfection などと訳される。アティヨーガ(atiyoga)とも呼ばれる。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}日本や欧米ではゾクチェンの修行者をゾクチェンパと呼称することもある[要出典]が、チベット仏教では一般的用法ではない。
起源

学術的には、9世紀頃までにニンマ派のゾクチェンの原型が成立していたと推察されている。その成立には中国の頓悟禅の影響があったのではないかと指摘される[1]。ゾクチェンの三部、セムデ(心部)とロンデ(界部)とメンガクデ(秘訣部)の内、特にセムデとロンデにおいてに通ずる面があると言われている[2]

ゾクチェンにの影響があるとする主要な説には、次の3つがある。[3]
東洋学者のジュゼッペ・トゥッチの研究による「中国禅の摩訶衍(まかえん)禅師の影響がある」[4]とする説。

インド学の山口瑞鳳の研究による摩訶衍禅師からランダルマの破仏までの間に「九世紀の初期に完成度の高い中国禅が中国から入り、影響を与えた」[5]とする説。

日本の諸研究による「摩訶衍禅師より以前に、敦煌文献・他に見られるような禅の影響があった」[6]とする説。

これらのうち、はじめの2説についてはいずれも有力とされるが、後述するようにサムイェー寺の建立を771年とし、摩訶衍禅師の「サムイェー寺の宗論」は792年のことであるから、いずれもニンマ派における歴史上のパドマサンバヴァが説いたとされる、ニンマ・カマのゾクチェンにはそれらの説はあてはまらない。[要出典]

ゾクチェンの起源はボン教にあるという説もあり、この説を採る僧はボン教とニンマ派の双方に存在する[7]。ニンマ派の伝承では、インド北西にあったと言われるウッディヤーナ(英語版)(U??iy?na)で生まれたガラプ・ドルジェ(英語版)(dga' rab rdo rje)が人間界においてゾクチェンの教えを伝えた重要な祖師とされる。一方、ボン教の経部(カンギュル)に属する『シャンシュン・ニェンギュー』(zhang zhung snyan rgyud)[註 1]は、ゾクチェンを西チベットにあった古代シャンシュン王国より伝来した教えとしている。これについて、東チベット出身のゾクチェンのラマであるナムカイ・ノルブは、ボン教文献を調査して両者の起源を考察し、ウディヤーナ国はシャンシュン王国の属国であったか、両国には何らかのつながりがあったのではないかという仮説を立てた[8][註 2]。ナムカイ・ノルブは、修行法の面ではロンデととの関連性は見出し難く、また、メンガクデはより密教的で、発想面でもきわめて独特であるという[8]

ゾクチェンにおいては青空を見つめる瞑想の他に、空間を見つめる瞑想「アーカーシャ」[註 3]、睡眠中の瞑想「ミラム」(夢見)[註 4][9]、暗闇の瞑想「ヤンティ」[註 5][10][11]等々、さまざまな実践法があることが知られている。
ゾクチェンとチベットの諸宗派

ゾクチェンは他の宗派や学派に類を見ない哲学的見解を有する独特な瞑想体系である。ニンマ派のゾクチェンとボン教のゾクチェンに大別され、それぞれの宗派(教派)の教義の中心をなしている。また、ゾクチェンとは原初の境地を指す言葉であって、特定の宗派だけに内属するものではないと主張する向きもある。リメー運動(超宗派運動)が盛んであった東チベットで生まれ育ち、後にイタリアやその他の国でゾクチェンの伝授を行うようになったナムカイ・ノルブは、かつてチベットでは自分の帰依する宗派や根本ラマ以外に別の派からも教えを伝授されるのはよくあることであった、ということを強調し、チベット仏教の主要宗派のすべてにゾクチェンの系譜を受け継ぐ人がいたとしている[12]
チベット仏教

チベット仏教のゾクチェンの教えはニンマ派の真髄の一つであり、ニンマ派の教義に深く結びついていて、その開祖パドマサンバヴァがその信仰の源であると考えられてきた。今日セムデの一部を構成している最初期のゾクチェン文献は8世紀頃にまで遡ることができる[13]。それはチベット仏教のいわゆる前伝期に当たり、新訳諸派の台頭とともにパドマサンバヴァの信徒たちがはじめてニンマ派(古派)と呼ばれるようになるずっと前のことである。チベット仏教の僧は他宗派の師からも灌頂や教えを受けている場合があり、ゾクチェンはチベット仏教の長い歴史の中でサキャ派カギュ派ゲルク派に属する人に伝えられることもあった。新訳派の間ではインドのサンスクリット経典に含まれない偽経であるとして批判的な学者が多かったが、ゾクチェンに関わりのある人物も輩出している。カギュ派では、ロンチェンパと同じ師のクマラーザの下で学んだと伝えられ、ロンチェンパにも成就法を授けたカルマパ3世ランジュン・ドルジェ (1284-1339) が殊に著名である。ランジュン・ドルジェはカギュ派のマハームドラー(チャクチェン)とニンマ派のアティヨーガを統合し、その教えはカルマ・ニンティクと呼ばれている[14]。ゲルク派ではダライ・ラマ5世13世14世もゾクチェンの師として知られているが、ゲルク派の座主ではないが高位のラマであるダライ・ラマがゾクチェンを取り入れることは、かねてよりゲルク派の保守層の一部で論争の種となっている[15]


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