ソールズベリー侯爵
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ソールズベリー侯爵
Marquess of Salisbury

創設時期1789年8月10日
創設者ジョージ3世
貴族グレートブリテン貴族
初代ジェイムズ・セシル(7代ソールズベリー伯)
現所有者ロバート・ガスコイン=セシル(7代ソールズベリー侯)
相続人エドワード・ガスコイン=セシル(クランボーン子爵)
相続資格初代侯爵の直系嫡流の男系男子
付随称号ソールズベリー伯爵(E
クランボーン子爵(E)
エッセンドンのセシル男爵(E)
モットー遅くても誠実に(Seo Sed Serio)

ソールズベリー侯(英語: Marquess of Salisbury)は、グレートブリテン貴族侯爵位の一つ。

第7代ソールズベリー伯爵(第5期)ジェイムズ・セシル1789年に叙せられたのに始まる。ソールズベリー侯として最も有名なのは、19世紀末から20世紀初にかけて3度イギリスの首相を務めた3代ソールズベリー侯ロバート・ガスコイン=セシルである。2019年現在の当主は7代ソールズベリー侯ロバート・ガスコイン=セシルである。
歴史ソールズベリー侯爵セシル家本邸ハットフィールド・ハウス

イングランド女王エリザベス1世の宰相初代バーリー男爵ウィリアム・セシルには長男トマス(1542?1623)と次男ロバート(1565?1612)という二人の息子があったが、父の政治的な立場は次男ロバートが引き継ぎ、ロバートはエリザベス朝末からステュアート朝初期にかけて宰相を務めた[1]

ステュアート朝初代国王ジェームズ1世からも重用されたロバートは、1603年5月13日イングランド貴族爵位ラトランド州におけるエッセンドンのエッセンドンのセシル男爵(Baron Cecil of Essendon, of Essendon in the County of Rutland)、ついで1604年8月20日にはクランボーン子爵(Viscount Cranborne)、1605年5月4日にはソールズベリー伯爵(Earl of Salisbury)に叙された[2][3]。なおロバートがソールズベリー伯爵位を与えられた同日に兄トマスもエクセター伯爵(Earl of Exeter)に叙せられている[4]

初代伯ロバートは、ジェームズ1世との邸宅交換でハートフォードシャーにあるハットフィールド・ハウスを手に入れ、以来現在に至るまでここがソールズベリー伯爵・侯爵セシル家の本拠となっている[5]

初代伯の息子の2代伯ウィリアム・セシル(1591-1668)は、清教徒革命後のイングランド共和国国務会議のメンバーになるなど[6]、共和国政界の中枢で活躍する貴族としては珍しい人物となった[7]

7代伯ジェイムズ・セシル(1748-1823)の代の1789年8月25日グレートブリテン貴族爵位ソールズベリー侯爵に叙せられた。これがソールズベリー侯爵家の創始となった。初代侯はトーリー党の政治家として活躍し、1816年から1823年までリヴァプール伯爵内閣で郵政長官(英語版)を務めた[8][9]

2代ソールズベリー侯ジェイムズ・セシル(1791-1868)もトーリー党・保守党の政治家として活躍し、ダービー伯爵内閣で王璽尚書(在職1852年)や枢密院議長(在職1858年-1859年)を務めた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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