ソーダ工業
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電解法によるソーダプラント

ソーダ工業(ソーダこうぎょう)は、無機化学工業の一分野であり、電解ソーダ工業とソーダ灰工業の総称である[1]塩化ナトリウムの分解により、水酸化ナトリウム(苛性ソーダ)、塩素水素炭酸ナトリウム(ソーダ灰)などの基礎化学原料を製造する[2]。工業の発展により、水酸化ナトリウムに比べ塩素の需要が増すことから、国によっては塩素工業とも呼ぶ[3]
技術と製品

炭酸ナトリウムはソルベー法、水酸化ナトリウムと塩素は電解法により製造される。電解法はさらに隔膜法、水銀法、イオン交換膜法などに分類できる。隔膜法は電解槽の陽極側と陰極側をアスベストの隔膜で仕切るものであるが、溶液を濃縮して塩化ナトリウムを析出除去する工程でエネルギーを要することと、製品に塩化ナトリウムが残存し、品質が劣るという欠点がある。水銀法は純度が高い水酸化ナトリウムが得られるが、水銀の毒性があることから、日本では行われなくなった。

日本での主流であるイオン交換膜法では、電解槽をフッ素系高分子ポリマー製のイオン交換膜で仕切り、陽極側に塩化ナトリウムの飽和水溶液、陰極側に純水を満たす。これに電流を通すと、陽極から塩素ガス、陰極から水素ガスが発生し、陰極側の液はイオン交換膜を透過したナトリウムイオンにより水酸化ナトリウム水溶液となる[4]。水素ガスは洗浄・冷却を経て、圧縮水素としてボンベに詰めて出荷される。塩素ガスは洗浄・冷却・脱水を経て、ボンベに詰めた塩素ガスや液体塩素、塩化物などとして出荷される。水酸化ナトリウムは、蒸発缶で50%まで濃縮した苛性ソーダ液、あるいは固形工程を経て、固体苛性ソーダとして出荷される[5]

イオン交換膜法で水酸化ナトリウムを1トン製造する場合、原料の塩化ナトリウム1.5トンと、約2,500kWhの電力を必要とし、0.886トンの塩素と、0.025トンの水素が副生する[6]。原料の電気分解に多くの電力を要するのが特徴であり、日本ではソーダ工業全体で年間あたり約100億kWhの電力を消費する。そのうち約9割が電気分解、残りがポンプ動力や工場の照明などに使われる。これはアルミニウム精錬フェロアロイ工業、カーバイド工業に次いで大きなもので、日本の産業用電力の3%、化学工業の消費電力の18%を占める[6]自家発電比率は63%[7]で、産業用電力の自家発電比率31%[8]に比べ高い値となっている。24時間操業の工場では、電力需給調整の観点から夜間は主に電力会社深夜電力を利用している[9]。日本のソーダ工業の省エネ技術は世界で最も進んだものであり[10]、電力原単位(水酸化ナトリウム1トンの製造に要する電力)は1965年度の3,465kWh/tから2010年度の2,445kWh/tまで減少した。これは、消費電力の少ないイオン交換膜法の普及によるものである[11][7]。日本の化学メーカーの東亞合成カネカは、燃料電池の技術を応用してさらに電力消費の少ないガス拡散電極法の実用化に向けた研究を進めている。これは水素ガスを併産しない代わり、電力消費量はイオン交換膜法に比べ2/3程度となる[12]。イオン交換膜法 : NaCl + H 2 O ⟶ NaOH + 1 2 Cl 2 + 1 2 H 2 {\displaystyle {\ce {NaCl + H2O -> NaOH + {\frac {1}{2}}Cl2 + {\frac {1}{2}}H2}}} ガス拡散電極法 : NaCl + 1 2 H 2 O + 1 4 O 2 ⟶ NaOH + 1 2 Cl 2 {\displaystyle {\ce {NaCl + {\frac {1}{2}}H2O + {\frac {1}{4}}O2 -> NaOH + {\frac {1}{2}}Cl2}}}

原料となる塩化ナトリウムは、日本の全需要804万トンのうち75%、605万トンがソーダ工業用として消費された[10]海水塩はにがりが多く不向きであるため[13]原料塩はすべて輸入で賄われており、産地はオーストラリア5割、メキシコ4割、インド1割で構成されている[14]。製造コストに占める割合は、原料の輸入塩が1割強、電力が3割強となっている[15]

製品の需要は、水酸化ナトリウムでは化学薬品26%、無機薬品15%、パルプ工業11%、水処理7%、化学繊維石油化学工業各4%など。塩素では塩化ビニル31%、無機薬品9%、塩素系溶剤8%、クロロメタン7%、酸化プロピレン6%、ウレタン原料5%など。炭酸ナトリウムはガラス製品32%、板ガラス24%、無機薬品11%、石鹸および洗剤8%、化学薬品7%、鉄鋼5%などとなっている。水素はボイラー燃料として自家消費されるほか、純度が高いことから半導体製造にも使われる[16]。ソーダ工業自体は無機化学工業であるが、製品はこのように有機化学工業を含め、幅広い分野で使用される。
歴史

ソーダ工業の歴史は数千年前まで遡り、その頃エジプトで発見された天然ソーダを原料としたガラス製品が地中海沿岸で発展した。一方、油脂を木のと煮詰めた物の洗浄効果が発見され、これは石鹸の基となった。のちにソーダ原料として木灰より海草の灰が適していることが分かると、産地である地中海沿岸では16世紀から17世紀にかけてヨーロッパ主要国による争奪戦に発展した。スペイン継承戦争に敗れ、天然ソーダの主要産地であるスペインのバリラからの供給が断たれたフランス政府は1775年に製造法の懸賞を行った。ニコラ・ルブラン1783年ルブラン法を発明し、この懸賞に応募した。19世紀に入ると、ルブラン法はイギリスに伝わり、飛躍的に普及した。19世紀後期に大量の電力が得られるようになると、1890年ドイツで直立隔膜法、1891年アメリカで水平隔膜法、1899年にイギリスで改良直立隔膜法が相次いで開発された。一方、ベルギーの化学者エルネスト・ソルベーは、コークスの燃焼により副生するアンモニアを使用して炭酸水素ナトリウムを製造するソルベー法を開発した。ソルベーは、ソルベー法技術の独立的組合組織であるソルベー・シンジケートを構築。同技術に着目したイギリスのブラナーとモンドはブラナモンド社 (Brunner Mond) を設立し、ソルベーに工業実施権を持たせる代わりに、販売権を一手に引き受けた。1890年、ルブラン法の事業者はユナイテッドアルカリ社 (United Alkali Company) を設立してこれに対抗したが、1907年には全世界のソーダ生産量の90%がソルベー・シンジケートによるものとなり、1926年には、ユナイテッドアルカリ社はブラナモンド社のグループに取り込まれ[17]、ノーベル工業社 (Nobel Industries) 、イギリス染料社とともにインペリアル・ケミカル・インダストリーズ(ICI)を設立した[13]
日本における歴史日本舎密工業 1908年頃


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