ソルジェニーツィン
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アレクサンドル・イサーエヴィチ・ソルジェニーツィン
Александр Исаевич Солженицын
Alexandr Isaevich Solzhenitsyn
1994年のロシアへの帰還
誕生 (1918-12-11) 1918年12月11日
ロシア社会主義連邦ソビエト共和国 キスロヴォツク
死没2008年8月3日(2008-08-03)(89歳)
ロシア モスクワ
職業作家
主な受賞歴1970年 ノーベル文学賞
1983年 テンプルトン賞
ウィキポータル 文学
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ノーベル賞受賞者
受賞年:1970年
受賞部門:ノーベル文学賞
受賞理由:「ロシア文学の不可欠な伝統を追求したその倫理的な力に対して」[1]

アレクサンドル・イサーエヴィチ・ソルジェニーツィン(ロシア語:Александр Исаевич Солженицынアリクサーンドル・イサーイェヴィチュ・サルジニーツィン;ラテン文字転写の例:Alexandr Isaevich Solzhenitsyn、1918年12月11日 - 2008年8月3日[2])は、ソビエト連邦小説家劇作家歴史家1990年代ロシア再生の国外からの提言者である。ロシア文字からそのままローマ字にするとAleksandr?だが、英文ではAlexander?と表記されることが多い。ソビエト連邦時代の強制収容所グラグを世界に知らせた『収容所群島』や『イワン・デニーソヴィチの一日』を発表し、1970年ノーベル文学賞を受賞。1974年にソ連を追放されるも、ソ連崩壊後の1994年に帰国した。

ソルジェニーツィンの生涯は、彼の人生を左右した二つの価値観、つまり父譲りの愛国心と、母譲りのキリストへの信仰心に彩られている。愛国者として彼は大祖国戦争に従軍し、国外追放の身であってもロシアの再生を提言した。信仰者としての彼は、ロシアが愛国心の方向を誤った時、断固の基準に立って幾多の人生の試練に神の信仰によって立ち向かった。彼はノーベル文学賞よりも、宗教界のノーベル賞とされるテンプルトン賞が嬉しかったという。また国外追放後にソ連市民権が回復すると彼は喜んでロシアに帰還した。
生涯
ソ連にて

アレクサンドル・ソルジェニーツィンは1918年にロシア・ソビエト連邦社会主義共和国北カフカースキスロヴォツク(現在のロシア、スタヴロポリ地方)で生まれる。母親のタイシャ・ソルジェニーツィナ(旧姓シチェルバク)はウクライナ人[3]、敬虔なクリスチャンであった。彼女の父親は卑賤の身から努力して成功を成し遂げ、コーカサス山脈北部の麓、クバン地域に大きな屋敷を構えた。第一次世界大戦の間、タイシャはモスクワで学んだ。彼女はそこでコサック出の帝政ロシア軍士官、イサーイ・ソルジェニーツィンと出会い結婚した。ソルジェニーツィンの両親や家族関係、家庭環境は『一九一四年八月』の第一章、『赤い車輪』などに描写されている。

1918年にタイシャはアレクサンドルを身ごもる。イサーイは義勇兵の砲兵士官としてドイツ戦線で戦ったが、妻の妊娠を確認してまもなく猟銃による事故のため死亡した。アレクサンドルは貧しい環境の中、未亡人となった母親とおばによって育てられた。その幼年期はロシア内戦によって占められた。1930年までに一家の家産はコルホーズとなった。後年ソルジェニーツィンは、母親は生き残るために夫が帝政ロシア軍士官であったことを秘密にしていたことを述懐している。母親は再婚せず、タイピスト速記者として働きながらソルジェニーツィンを教育し、その文学的、科学的な学識を励ました。彼女は敬虔なクリスチャンとしてソルジェニーツィンを育て上げ[4]、1944年に死去した[5]

1936年初め頃までにソルジェニーツィンは第一次世界大戦およびロシア革命に関しての作品のコンセプトやキャラクターを考案していた。これらは結局『一九一四年八月』の幾つかの章に結実している。文学を学びたかったが地元には適当な大学が無く、倹しい家計も理由になりソルジェニーツィンはロストフ州立大学(en/ru))で数学を学び、同時期にモスクワ哲学・文学・歴史研究所(ru)の通信教育課程を修了している。また、後のモスクワ演劇界の大御所ザワツキー(ru)の下で俳優修行を始めたが、発声の問題で断念した。後年収容所の中で俳優を志願したが、それも実現しなかった。

大学在学中の1940年4月7日にソルジェニーツィンは化学専攻の学生であったナタリヤ・レシェトフスカヤと結婚した[6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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