ソユーズの一覧
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ソユーズの一覧(ソユーズのいちらん)では、過去のソユーズ宇宙船の機体の名称と概要(計画のみで終わったものを含める)を挙げる。

ソユーズ、サユース(ロシア語:Союз〔サユース〕、英語:Soyuz〔ソユーズ〕)は、ソビエト連邦及びロシア連邦の1 - 3人乗り有人宇宙船

ソユーズ計画そのものについてはソユーズソユーズ計画を、ソユーズ宇宙船を打ち上げるソユーズロケットについてはソユーズR-7 (ロケット)を、ソユーズ宇宙船の派生で無人補給船バージョンについてはプログレス補給船を、ソユーズ宇宙船の次期モデルだと一時考えられていたリフティングボディ構造の宇宙船についてはクリーペルをそれぞれ参照。
月飛行目的

ソユーズ宇宙船はアポロと同様に月面に人を送り込むことを目的に計画された。結局ソ連は月に人を送り込むことができなかったが、無人のソユーズ宇宙船(ゾンド)はアポロよりも早く月を周回している。

以下にはその月に人を送り込む目的で計画されたソユーズ宇宙船のモデルを記述する。
ソユーズA

ソユーズA

全長7.5 m
直径2.72 m
容量9 m3
乗員3人
運用期間1963年(計画のみ)
主目的月への有人飛行
ソユーズA-B-C (7K-9K-11K) 月周回案。右からA (7K), B (9K), C (11K)

ソユーズA(ソユーズ7K)有人船、ソユーズB(ソユーズ9K)推進船、ソユーズC(ソユーズ11K)補給船をそれぞれ別のロケットで打ち上げ、軌道上で一列にドッキングして月接近飛行を行うというコンセプトがセルゲイ・コロリョフによって提案されたものの、計画のみで終わった。

ソユーズAは前から順に軌道船・帰還船・機械船が並ぶ構造、機械船の左右に太陽電池パネルを搭載するなど、実際に最初に飛行したソユーズ7K-OKをはじめ、その後のソユーズシリーズの基本となるものはこの時点でほぼ全て計画されていた。

en:Soyuz A
ソユーズ7K-L1

ソユーズ7K-L1

全長4.88 m
直径2.72 m
容量4 m3
乗員2人
運用期間1967年 - 1971年
主目的有人での月周回飛行

ソユーズ7K-OKをベースに、ソユーズL1計画(月周回飛行)のために、後述する7K-L3と平行して計画されていた機体。ソユーズではなくゾンドとして、ゾンド45678号が生物を乗せて月を周回した他、数機が打ち上げに失敗している。

「ゾンド」とはロシア語で「無人計測器」の意味だが、ソユーズではなくこの名称で実験をしていたのは、アメリカ側に計画を悟られなくするためであったと思われる。

重量軽減のため、他のソユーズシリーズにある軌道船が省かれ、乗員も2人になっている。

1970年10月30日、ソ連政府からL1計画の中止が求められると同時に、7K-L1の役割も消えた。

en:Soyuz 7K-L1
ソユーズ7K-L3

ソユーズ7K-L3

全長10.06 m
直径2.93 m
容量不明
乗員2人
運用期間1967年 - 1974年
主目的月着陸船を伴っての月有人飛行
同スケールのCSMとLOK

ソユーズ7K-OKをベースに、ソユーズL3計画のため、7K-L1と平行して計画されていたモデル。7K-L3ではなく7K-LOKと表記されることもある。

アポロ月宇宙船CSM(司令・機械船)LM(月着陸船)の間を通路で直接行き来できたが、LOK(月軌道船)とLK(月着陸船)を結ぶ通路はなく、LKのクルーは宇宙遊泳して乗り移る。このために新型の宇宙服が開発され、改良を重ねてISS(国際宇宙ステーション)でも使われている。

7K-L1と違って太陽電池パネルがなく、代わりに燃料電池を搭載するため、外見はCSMに似ている。また軌道船には月面から戻ってきたLKとドッキングする時のために目視確認用の「キューポラ」がある。帰還船には7K-L1と同様の厚い耐熱シールドが備えられ、再突入時には大気圏上層部で「水切り」することになっていた。

2機の7K-L3が無人でN-1ロケットの最上部に取り付けられ、打ち上げ実験が行われた。ロケットは2回とも爆発したが、宇宙船は(1983年のソユーズT-10-1のように)打ち上げ脱出システムによって切り離され、わずかな距離だけ飛行した。1974年6月23日、政府からソユーズL3計画の中止が言い渡された。実際に宇宙に飛び立った機体は1機もなく、計画中止後はN-1も含めて全てスクラップにされた。

en:Soyuz 7K-L3
LK(月着陸船)詳細は「LK (着陸船)」を参照

LK(月着陸船)

全長5.20 m
直径4.50 m
容量5 m3
乗員1人
運用期間1970年 - 1971年
主目的月着陸

アポロ宇宙船のLM(月着陸船)に似ているが、LMの3分の1の重量で1人乗り。

コスモス379398434号が無人テスト機として打上げられている。同一スケールのLKとLM
地球周回目的

有人での月飛行を目指して作られたソユーズだが、ソ連が有人での月飛行計画を中止した後は、もっぱら地球を周回する軌道に限定して使用された。1960年代から1970年代にかけて人が死亡する事故を2度起こしているものの、1971年以降は現在に至るまで死亡事故は起きていない(ただし間一髪で助かった事故は何度か発生している)。様々なバリエーションが存在し、現在はソユーズMSが運用されている。
ソユーズ7K-OK

ソユーズ7K-OK

全長7.95 m
直径2.72 m
容量9 m3
乗員3人
運用期間1967年 - 1971年
主目的地球低軌道への宇宙飛行士のフライトおよび各種実験

初めて実用化されたソユーズ宇宙船のタイプ。ちなみに乗員が3人とあるが、中が狭く、3人の定員いっぱいまで乗船すると与圧服が着られなかった。最初の9機はドッキングは可能だが機体同士を直接行き来できるハッチはなく、乗り移る場合はエアロックから出て、軌道船の外壁を伝って移動しなければならなかった。

ソユーズの無人試験飛行はコスモス衛星として行われた。ソユーズ1号での初有人フライトにはウラジーミル・コマロフが選ばれたが、大気圏再突入後、減速用パラシュートが開かずにそのまま地表に激突し、コマロフは死亡してしまった。これが最初の宇宙飛行中の事故死だと言われている。これ以降ソユーズの打ち上げは1年半中断した。

その後ソ連はソユーズ2号を無人で飛行させ、3号から再び有人で飛行するようになった。ソユーズ3号は無人の2号の姿を確認できるまでに接近した。次のソユーズ4号と5号はドッキング装置を有しており、軌道上で初の宇宙船同士のドッキング実験を行い、4号の飛行士が5号に、5号の飛行士が4号に乗り移って地球に帰還した。5号は着陸時の逆噴射エンジンが作動せず、着陸時の衝撃でボリス・ボリノフ飛行士が重傷を負った。さらにその次の6号、7号、8号が宇宙空間でランデブー(編隊飛行)を行った。

9号では、宇宙空間に長期滞在し、生活することが可能かどうかの実証のため、18日間におよぶ長期の飛行を成し遂げた。
実績

コスモス133140186188212・213・238号 無人テスト機。

ソユーズ1号 1967年4月23日 - 4月24日 クルーはウラジーミル・コマロフ1人。帰還時の事故で死亡。

ソユーズ2号 1968年10月25日 - 10月28日 無人での打ち上げ。

ソユーズ3号 1968年10月26日 - 10月30日 クルーは1人。2号と200mの距離まで接近する。

ソユーズ4号 1969年1月14日 - 1月17日 5号とドッキング。クルーは打ち上げ時1人、帰還時3人。

ソユーズ5号 1969年1月15日 - 1月18日 クルーは打ち上げ時3人、帰還時1人。帰還時の事故でクルーが壁に顔を叩きつけ、前歯を折る怪我。

ソユーズ6号 1969年10月13日 - 10月18日 7号、8号と編隊飛行。7号と8号のドッキングを撮影する予定だった。

ソユーズ7号 1969年10月12日 - 10月17日 6号、8号と編隊飛行。4・5号と同じように8号とドッキングする予定だったが設備故障のため行われず。

ソユーズ8号 1969年10月13日 - 10月18日 6号、7号と編隊飛行。

ソユーズ9号 1970年6月1日 - 6月19日 クルーがソ連で行われた選挙に宇宙空間から投票。

en:Soyuz 7K-OK
ソユーズ7K-OKS詳細は「ソユーズ7K-OKS」を参照

ソユーズ7K-OKS

全長7.95 m
直径2.72 m
容量9 m3
乗員3人
運用期間1971年


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