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(国旗)(国章)
国の標語:なし国歌:Qolobaa Calanked(ソマリ語)
祖国を賛美せよ
公用語ソマリ語(第一)
アラビア語(第二)1
首都モガディシュ1
最大の都市モガディシュ
政府
大統領ハッサン・シェイク・モハムド
首相ハムザ・アブディ・バーレ
面積
総計637,657km2(45位)
水面積率1.6%
人口
総計(2022年)12,386,248人(78位)[1]
人口密度19.4人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(xxxx年)xxx,xxxソマリア・シリング
GDP(MER)
合計(2017年)70.52億[2]ドル(???位)
1人あたりxxxドル
GDP(PPP)
合計(2017年)204.4億[2]ドル(148位)
1人あたり1,815ドル
独立
- 宣言
- 承認イギリスとイタリアより
1960年7月1日2
通貨ソマリア・シリング(SOS)
時間帯UTC+3 (DST:なし)
ISO 3166-1SO / SOM
ccTLD.so
国際電話番号252
データには原則としてソマリランドを含む。
注1 : 2012年制定の暫定憲法より[3]
注2 : ソマリア北部は、1960年6月26日にイギリスから独立し、ソマリア南部は、1960年7月1日にイタリアから独立し、同時に両者は合併してソマリア共和国となった。
ソマリア連邦共和国(ソマリアれんぽうきょうわこく)、通称ソマリアは、東アフリカのアフリカの角と呼ばれる地域を領域とする国家。エチオピア、ケニアおよびジブチと国境を接し、インド洋とアデン湾に面する。
1991年勃発の内戦により国土は分断され、事実上の無政府状態が続いていた。のちにエチオピアの軍事支援を受けた暫定政権が発足し、現在では正式な政府が成立したが、依然として一部地域を他の国家であると主張する政府が統治している。現在の国土はソマリア連邦共和国政府が統治する中南部と、91年に独立宣言した旧英領のソマリランド共和国(首都ハルゲイサ、国際的に未承認、東部地域でプントランドと領土紛争)の北部、おもに南部に展開するイスラム急進派アッシャバーブ支配域に大きく3分割されている。
また連邦共和国政府内部も、北東部で1998年7月に自治宣言したプントランド(首都ガローウェ)、中部のガルムドゥグ、南部の南西ソマリア、最南のジュバランド(軍閥ラスカンボニが母体)といった自治地域を含有しており、統一はされていない。 正式名称はソマリ語で「Jamhuuriyadda Federaalka Soomaaliya」。アラビア語で「??????? ??????? ?????????」、英語で「Federal Republic of Somalia」。通称Somalia、国民・形容詞ともSomali。日本語の表記は「ソマリア連邦共和国」。 ソマリアの公式国名を「ソマリア民主共和国(Somali Democratic Republic)」とする場合が多かったが、これはモハメド・シアド・バーレ政権下で「ソマリア民主共和国憲法
国名
1960年 - 1969年、ソマリア共和国
1969年 - 1991年、ソマリア民主共和国
1991年 - 2012年、ソマリア(公式国名なし)
2012年 - ソマリア連邦共和国
歴史詳細は「ソマリアの歴史(英語版
10 - 14世紀の間に、アラビア半島南部から遊牧民のソマリ族が移住してきた。彼らは早くからアラブやペルシャと交易していた。
植民地時代詳細は「en:Geledi sultanate」、「en:Sultanate of Hobyo」、および「en:Dervish state」を参照
ソマリ人は元々6つの氏族に分かれ、それぞれの氏族に帰属意識を持って暮らしていた。しかし第二次世界大戦でイギリス軍がイタリア領ソマリランドを占領、またイタリアが占領していたエチオピアも41年に皇帝軍が奪還すると、東部のオガデン地方はイギリスが暫定統治することになり、ケニア北東部を含めイギリス支配の下にソマリ人居住地域は統一されることになった。その中で1943年にはソマリ青年クラブ(後にソマリ青年連盟=SYLに改称)が結成されると、居住区域で反発を続けた。独立直前には、イタリア領ではSYLが、イギリス領でもSYLの影響を受けたソマリランド民族連盟(SNL)が第一党となった[4]。 1960年4月にイタリア領とイギリス領の両リーダーが会談して統合を宣言すると、SYLのアデン・アブドラ・ウスマンが大統領に、SNLのイブラヒム・エガルが首相に就任した。しかしイーガルは半月足らずで国防相に格下げされ@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}南部出身者に占められ[要追加記述]、また植民地時代の定数を引き継いだ議席数は人口比でも南部優位であるなど、南部に優位な政治が取られるようになった。
1886年にイギリスが北部をイギリス領ソマリランドとして領有。このころ、南部はイタリアの保護領であった。
1908年までにイタリアが南部をイタリア領ソマリランドとして領有。第二次世界大戦中、一時はイタリアが全土を占領、イタリア領東アフリカの一部となったが、その後イギリスの施政下に。
1948年に北部がイギリスの保護領に。
1950年には南部がイタリア信託統治領ソマリアに。
独立後