ソフトベンダーTAKERU
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出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2022年5月)
ブラザーミュージアムに展示されている3代目TAKERU

ソフトベンダーTAKERU(ソフトベンダー・タケル)は、1986年に日本のブラザー工業の安友雄一が中心となって開発した、世界初のパソコンソフト自動販売機。本サービスは、自動販売機を通じてフロッピーディスクにゲームのデータを書き込むという仕組みで知られている。サービスの運営は、当初ブラザー工業TAKERU事務局が行い、自動販売機のほか郵便での通信販売も行っていたが、1994年5月21日にJOYSOUNDを運営している子会社のエクシング 通信システム事業部に業務移管され[1]1997年2月に全サービス終了[2]

1985年にテスト機SV-2000[注 1]15台でスタートし、1986年4月21日にソフトベンダー武尊として正式にサービスを開始した。1986年に2代目のSV-2100が導入され16ビットパソコンに対応、3代目は NEW TAKERU という名称のSV-2300が1991年春から夏にかけて導入された。

稼動を開始した当時はまだ8ビット御三家など8ビットパソコン全盛の時代であり、パッケージソフトウェア販売がパソコンゲームを含むソフトウェア全般の販売経路の主流だった。その頃にいち早く「自動販売機」という形でオンライン販売を開始したTAKERUは、パソコン通信ですら「趣味人(マニア)の特殊な行為」だった時代に、全く新しい流通形態を築こうとした先駆的業態である。

その一方で、サービス展開当初から高額な通信費やラインナップの貧弱さといった課題に悩まされてきており、2000台の設置を目標としていたものの、設置台数は最盛期でも300台だった[3]

それでも、通信カラオケJOYSOUNDなど、本サービスのネットワークを応用して生まれたサービスも存在する[3]

2016年11月26日には、ブラザー工業により公式の30周年記念イベントが開催された[4]
前史

1983年にブラザー工業がアンテナショップ「コムロード」を立ち上げた際、商品の一つであるパソコン用のソフトの売れ行きがソフトによってばらつきがあり、中には不良在庫になってしまうものもあった[5]。また、ブラザーは電気通信事業の自由化(1985年)以前から、情報ネットワークサービスキャプテンシステムに参加するなど、NTTとも接点があった[6]。そこで、若手社員だった安友雄一は通信を用いた「ニューメディア」によって在庫を解消することを思いついた[5][6]。安友は2016年のアスキーとのインタビューの中で、速度の遅さや高額な通信費という課題を抱える「ニューメディア」によるサービスは実現性が薄いものの、大変だけどやってみようという気持ちで企画を立ち上げたと振り返っている[5]
動作

利用者は画面の指示に従って購入ソフトウェアを選択、指定金額を支払うとブランクメディアが出てきて、これをフロッピーディスクドライブやROMライタ等の書き込み装置にセットしてソフトウェアを書き込ませ、フロッピーディスクケースやプリントアウトされたマニュアルと共にソフトウェアを入手する。

CPUボードは自社製で、初代と2代目のメインCPUはNEC V30であった。3代目は、大きさは1565×1220×570mm。メインCPUはIntel 80386SXに、ROMカセット・VAN回線を廃止、TAKERU CLUB用カードリーダー・CD-ROM・フロッピーディスク(5インチ・3.5インチ)・INSネット回線・ハードディスクの容量を増量・感圧式タッチパネル(ブラウン管モニタ)・五千円札と一万円札の入金等に対応[7][8]。筐体の色は、初代が白色の筐体に青色の線と筐体の上部・右側は灰色の塗装、2代目が赤色と灰色の塗り分けでモニターの下に黄色のロゴ、3代目は灰色と黄色の塗り分けである。本体内にはパッケージに収められた何も記録されていない各種ブランクメディア(記憶媒体)が蓄えられている。

CD-ROMドライブを内蔵し、ここから読み出したデータを各種メディアに書き込んだほか、コンピュータネットワークVAN回線インテック Ace Telenet・Tri-P)・ISDN回線)経由でソフトウェアをダウンロードして取り寄せることができた。サービス開始当初はCD-ROMドライブが一般に利用されておらず、コンシューマーゲームなども含めCD-ROMドライブの利用が始まったのは、2年後の1988年にPCエンジンCD-ROM2が発売されたのが最初である。
機能

FM TOWNSFM-7FM77AVダイナブック(東芝)Classic Mac OSMSXX1PC-88(mkII・SR以降)・PC-98EPSON_PCシリーズ対応)・Windows3.195)・X68000のソフトと、各社ワープロのテンプレート・クリップアートを販売していた。初期にはFM-7X1のカセットテープメディアの販売も行っていた。また末期にはCD-ROM写真集・パッケージソフトの通信販売も行っていた。

説明書および領収書は内蔵プリンターで印刷されるが、ドットインパクトプリンターであり、数ページ分のマニュアルでは少々印字に時間がかかった。3代目のNEW TAKERUではレーザープリンターになり印刷時間は1ページ当たり15秒となった。加えてメディア書き込みも3.5インチ2DDの場合で約70秒多少待たなければならなかった。マニュアルが10ページを超える場合は別送となるため、TAKERU CLUB会員以外は印刷された引換券を郵送でTAKERU事務局に送る必要があった。

フロッピーディスクケースは5インチ・3.5インチフロッピーディスク共用で、紙製の緑→青→黄色→プラスチック製の緑→黒色と変遷した。後期には有無を選べるようになり、その後廃止された。

筐体には、タッチパネル方式CRTディスプレイが主なユーザーインターフェイスとして組み込まれ、5インチ・3.5インチフロッピーディスクドライブ、MSX用ROMカートリッジ差し込み口(初代・2代目のみ)、説明書印刷用プリンター、フロッピーディスク・フロッピーディスクケース取り出し口が内蔵されている。

内部には、データキャッシュ用のハードディスクドライブ(2代目までは20MB)、メニュー画面データ格納用のCD-ROMドライブが内蔵されている。自動販売機としての金銭識別機や、媒体のストックも蓄えられていた。試作機ではPC-9800シリーズで制御していたことから、CPUは2代目まではIntel 8086互換のV30(μPD70116)を、3代目はIntel 80386SXを、OSDR-DOSを用いていた。

内蔵されたCD-ROMやキャッシュ内にデータの無いソフトウェアはVAN回線(2代目まで)・ISDN回線(3代目のみ)でダウンロードし、フロッピーディスクや専用のROMカートリッジに書き込んで販売することにより、店頭に在庫がなくても販売を可能としていた。


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