ソフトウェア・シンセサイザー(software synthesizer)とは、コンピュータ上でシンセサイザー機能を提供するソフトウェアである。広義にはCPUによって音信号を合成するソフトウェアすべてを指すが、狭義には歴史的に専用ハードウェアで提供されてきた楽器用シンセサイザーの発音回路をコンピュータソフトウェアによってデジタル信号処理で再現したもの、およびその楽器としての類型を指す。
短縮してソフトシンセ(soft synth)、実体がないためヴァーチャルシンセ(virtual synth)などと呼称されることもある。なお「ソフトシンセサイザ(SOFTSYNTHESIZER)」はヤマハの登録商標(登録日本第4026952号)である。
歴史
1950年代)が開発した音響処理プログラム「MUSIC
現在オープンソースで入手可能な Csound, CMix, CMusic, SAOL等も、このMUSICシリーズの子孫にあたる。
1960年代)は、MUSIC IV上でFM合成手法を発見した(論文発表は1973年)。この方式は後にハードウェア化され、NED シンクラビア、ヤマハ GS-1、DXシリーズ等で製品化された。
1969年、イギリスのElectronic Music Studios (EMS)は、電子音楽スタジオの機器のパラメータ管理・制御用にミニコン2台(DEC PDP-8)を導入し、世界初のディジタル制御スタジオ・システム EMS MUSYS III を構築した。このシステム(もしくは1972年前後の DOB (Digital Oscillator Bank))の上で、世界初のサンプリング楽器が実現されたと考えられている。[1][2] 1970年代、ギリシャ出身の現代音楽作曲家ヤニス・クセナキスは、UPICと呼ばれる図形入力式のコンピュータ楽器の開発をCEMAMu
1970年代
1973年頃ダートマス大学のキャメロン・W・ジョーンズ、シドニー・アロンゾ、教授で作曲家のジョン・アップルトンらは、モーグ・シンセサイザーに強い影響を受け、大型コンピュータを活用したディジタルシンセ「ダートマス・ディジタル・シンセサイザー」の開発を開始した。[3] 1975年には高価な大型コンピュータに代わる専用プロセッサ「ABLEコンピュータ」を開発し、ニュー・イングランド・ディジタル社(NED)を設立して製品販売を開始した。その後、遅くとも1977年にはシンクラビアIを発売し [4]、1979年にはシンクラビアIIを発売して、FM合成やシーケンサー機能の他、サンプリング機能や分析/再合成機能も提供した。
1975年オーストラリアのキム・ライリーとピーター・ヴォーゲルは、独自にディジタル・シンセの開発を決意してフェアライト社を設立し、ホビーストの手による2CPU構成のマイコン制御シンセの権利を譲り受けて、初期の開発を開始した。その後1975-1977年の初期モデルQasar I/II/M8を経て、1979年フェアライトCMIを発売した。イギリスでは著名ミュージシャン・コミュニティとのコネクションを活用した一括売り込みが功を奏し、サンプリング音楽の一大ブームを巻き起こした。なおサンプリング機能は開発の早い時期から利用可能だったが、開発者はモデリング合成にこだわっていたため、開発が難航して発売時期が遅れたと言われている。[5] 1980年代中頃、MITのBarry VercoeはMUSICの子孫にあたるCsoundの開発を開始し、非リアルタイム音響合成を提案した。 1986年頃、Palm Products GmbH
1980年代
1980年代後期、デジデザイン社はハードウェア・サンプラーを併用する方式の Softsynth、Turbosynthを発売した。Softsynthは倍音加算合成とFM合成を搭載、Turbosynthはグラフィカルな音色合成アプリケーションで、いずれもMac上で波形を合成後、ハードウェア・サンプラーにMIDI転送して演奏するセミ・リアルタイム処理だった。 1990年代中期?後期、汎用CPUの性能が向上し、一般向けPC上で「リアルタイム音響合成」が充分可能となり、ソフトウェア・シンセサイザーの製品や規格が相次いで登場した。 1993年、インテルはCOMDEX基調演説で、PC用ソフトウェア・シンセサイザーのデモを行った(i486用)。その後インテルはソフトウェア開発から手を引いたが、同開発を行ったSeer Systems社はプロフェット5の設計者デイヴ・スミスを社長に迎え、1996年Sound Blaster AWE64製品に WaveSynth を提供 (Waveguide物理音源
1980年代末期、作曲支援ソフトウェアの一機能としてPCMソフトシンセ機能を提供する製品も登場したが(例: Bogas Productions社のSuper Studio Session等)、その音質水準は収録に耐えるレベルではなかったため、多くの場合、作曲時に便宜的に使用されるに留まった。
1990年代
1994年QuickTime Musical Instrumentsが登場、1995年フリーソフトのTimidty等が登場し、PC上でソフトウェア・シンセサイザーが実用となった事を多くの人が確認する契機となった。
1996年、スタインバーグ社はスタジオ環境をソフトウェア上で実現するVSTプラグイン規格を発表、まずはソフトウェア・エフェクターが音楽製作の世界で実用化され始めた。同年には、折からのアナログシンセ・ブームに乗って d-lusion社のRubberduck [6]、プロペラヘッド・ソフトウェア社のReBirth RB-338、Linux上のUltraMaster Juno 6[7]等々が相次いで登場し、ハードウェアの代替としてソフトシンセが実用化され始めた。1998年プロペラヘッド・ソフトウェア社は、アプリケーション型シンセのDAW連携規格ReWireを提供、1999年にはスタインバーグ社がソフトウェア音源用プラグイン規格「VSTインストゥルメンツ」を発表するなど、ソフトシンセ製品の連携やモジュール化が進んだ。
1998年、Nemesys社のソフトウェアサンプラーGigasamplerはハードディスクストリーミング技術を実用化し、巨大サンプリング音源の先陣を切った。それまでMacを愛用した音楽スタジオも、Gigasamplerを使うために専用PCを導入するようになり、音楽製作におけるPCシェア変動の一つのきっかけとなった。
一般向け分野では1998年、QuickTime Music SynthesizerやMicrosoft GS Wavetable SW Synthといった、GM/GSフォーマット規格対応の簡易なPCMソフトシンセがOSに付属されるようになり、PCにおけるMIDIデータの演奏が広く一般化した。 ストレージ容量の増大とともに、ギガバイト単位の大容量サンプルライブラリーが多数登場する。サンプルライブラリーが肥大化する一方で、Modartt社のPianoteq
2000年代
1980年代以来、世界のシンセサイザー市場は現在でも、「ハードウェア領域では」日本の楽器メーカーが一大勢力を築いている。2000年代になり、「ソフトシンセ領域」はNative InstrumentsやPropellerheadなどヨーロッパのベンチャー企業が索引していった。これにより、シンセサイザー全体の勢力地図は大きく塗り替えられていった。日本のメーカーでもそれに対応するような動きを見せているところがある(KORGのiELECTRIBE for iPadやiMS-20 for iPadなど)。