ソビエト連邦の首相は、ソビエト連邦(ソ連)に於ける行政府の長ではあるが、度重なる政府機構の改組により呼称も変わっているため、ここではそれについても述べる。
ソビエト連邦人民委員会議議長「ソビエト連邦人民委員会議」も参照
十月革命直後の1917年11月、人民委員会議の設立に関する布告が出され、その長としてウラジーミル・レーニンが人民委員会議議長(じんみんいいんかいぎぎちょう、ロシア語: Председатель Совета Народных Комиссаров, 英語: Chairman of the Council of People's Commissars)に就任した。翌1918年に公布されたロシア・ソビエト憲法において人民委員会議がロシア・ソビエト共和国の行政府として規定されると同時に、人民委員会議議長が行政府の長(首相)としての職務を遂行することも規定された。1922年12月にロシア・ソビエト共和国を中心としてソビエト連邦が成立すると、その行政府としてソビエト連邦人民委員会議が1923年7月に設置され、レーニンが初代議長に就任した。
氏名在任期間副議長(太字は第一副議長)党指導者
ウラジーミル・レーニン1923年7月6日
- 1924年1月21日レフ・カーメネフ
アレクセイ・ルイコフ
アレクサンドル・チュルパ
ヴラス・チュバーリ( - 1925年5月21日)
マミヤ・オラヘラシュヴィリ( - 1925年5月21日)
ヴァレリヤン・クイビシェフ (1926年1月16日 - 1926年11月5日・1930年11月10日 - )
ヤン・ルズターク (1926年1月16日 - )
グリゴリー・オルジョニキーゼ (1926年11月5日 - 1930年11月10日)
ヴァシーリー・シュミット (1928年8月11日 - 1930年12月1日)
ヴャチェスラフ・モロトフ1930年12月19日
- 1941年5月6日
ヤン・ルズターク( - 1937年5月25日)
ヴァレリヤン・クイビシェフ( - 1934年5月14日・1934年5月14日 - 1935年1月25日)
アンドレイ・アンドレーエフ(1930年12月22日 - 1931年10月9日)
ヴァレリー・メジュラウク(1934年4月25日 - 1937年2月25日・1937年10月17日 - 1937年12月1日)
ヴラス・チュバーリ(再任・1934年4月24日 - 1938年7月4日)
ニコライ・アンチポフ(1935年4月27日 - 1937年6月21日)
スタニスラフ・コシオール(1938年1月19日 - 1938年5月3日)
ラーザリ・カガノーヴィチ(1938年8月21日 - )
ニコライ・ヴォズネセンスキー(1939年4月4日 - 1941年3月10日・1941年3月10日 - )
ニコライ・ブルガーニン(1938年9月16日 - )
アンドレイ・ヴィシンスキー(1939年5月31日 - )
ロザリヤ・ジェムリャチュカ(1939年5月8日 - )
アレクセイ・コスイギン(1940年4月17日 - )
ミハイル・ペルヴーヒン(1940年4月17日 - )
レフ・メフリス(1940年9月6日 - )
ヴャチェスラフ・マルイシェフ(1940年4月17日 - )
クリメント・ヴォロシーロフ(1940年5月7日 - )
ラヴレンチー・ベリヤ(1941年2月3日 - )
マクシム・サブーロフ(1941年3月10日 - )
ヨシフ・スターリン1941年5月6日
- 1946年3月15日
ニコライ・ヴォズネセンスキー
ヴャチェスラフ・モロトフ(1942年8月16日 - )
アナスタス・ミコヤン
ラーザリ・カガノーヴィチ( - 1944年5月15日・1944年12月20日 - )
ニコライ・ブルガーニン( - 1944年5月15日)
アンドレイ・ヴィシンスキー( - 1944年5月15日)
ロザリヤ・ジェムリャチュカ( - 1943年8月26日)
アレクセイ・コスイギン
ミハイル・ペルヴーヒン( - 1944年5月15日)
レフ・メフリス( - 1944年5月15日)
ヴャチェスラフ・マルイシェフ( - 1944年5月15日)
クリメント・ヴォロシーロフ
ラヴレンチー・ベリヤ