ソネット
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この項目では、定型詩について説明しています。その他の用法については「ソネット (曖昧さ回避)」をご覧ください。

ソネット(十四行詩、Sonnet)は、14行から成るヨーロッパ定型詩ルネサンス期にイタリアで創始され、英語にも取り入れられ、代表的な詩形のひとつとなった。

ソネットの形式には大きく3つのタイプがあり、それはイタリア風ソネット、イギリス風ソネット、スペンサー風ソネットである。イギリス風ソネットの中のウィリアム・シェイクスピアが用いた形式はシェイクスピア風ソネット、シェークスピア風十四行詩と呼ばれ、押韻構成は「ABAB CDCD EFEF GG」となる(「Shall I compare thee to a summer's day?」など)。

代表的なソネット作家には、ペトラルカ、シェイクスピア、ジョン・ミルトンウィリアム・ワーズワースなどがいる。
概論

「sonnet」という用語はプロヴァンス語のsonetとイタリア語のsonettoに由来する。ともに「小さな歌」という意味である。13世紀には、それは厳格な押韻構成と特定の構造を持つ14行の詩を意味するようになった。ソネットに関する取り決めは歴史とともに進化した。ソネット作家のことをSonneteerと呼ぶことがあるが、それは嘲笑的に使うことができる。近現代のソネット作家たちは単純にsonnet writersと呼ばれることを選ぶ。ソネット作家で最も有名な人物は154篇のソネットを書いたウィリアム・シェイクスピアであろう。

伝統的に、英語詩では弱強五歩格を使ってソネットを書く。ロマンス諸語では、十一音節詩行アレクサンドランが最も広く使われている韻律である。
イタリア風ソネット

イタリア風ソネット(Italian sonnet)またはペトラルカ風ソネット(Petrarchan sonnet)は、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の回りに集ったシチリア派(en:Sicilian School)のジャコモ・ダ・レンティーニ(en:Giacomo da Lentini)とEtterによって発明された[1]。グイットーネ・ダレッツォ(en:Guittone d'Arezzo)がそれを再発見し、トスカーナに持ち込んだ。グイットーネはトスカーナの言葉に合わせて変え、新シチリア派(1235年 - 1294年)を設立した。グイットーネはおよそ300篇のソネットを書いた。当時のイタリアの詩人では他に、ダンテ・アリギエーリ1265年 - 1321年)、グイード・カヴァルカンティ1255年頃 - 1300年)がソネットを書いた。しかし初期のソネット詩人で最も有名な人物はペトラルカである。

イタリア風ソネットは2つの部分から成り立っている。前半部は八行連(2つの四行連)で問いを提起する。それに続く後半部は六行連(2つの三行連)で、答えを与える。典型的に、九行目は、問題提起から解答への移行を示す「ターン(volta)」となる。問題提起/解答の構造に厳格に従わないソネットでさえ、九行目は詩の口調、雰囲気、立場の移行を示す「ターン」であることが多い。

ジャコモ・ダ・レンティーニのソネットでは、八行連の押韻構成は「a-b-a-b, a-b-a-b」だったが、後には「a-b-b-a, a-b-b-a」となり、それがイタリア風ソネットの標準となった。六行連には、「c-d-e-c-d-e」か「c-d-c-c-d-c」の二つがあって、やがて、「c-d-c-d-c-d」という変化形も採用された。

英語詩のソネットを最初に書いたのは、サー・トマス・ワイアットとサリー伯ヘンリー・ハワードで、イタリアの押韻構成を用いた。同様にイタリア風ソネットを書いた詩人たちには、ジョン・ミルトン、トマス・グレイ、ウィリアム・ワーズワース、エリザベス・バレット・ブラウニングらがいる。18世紀初期のアメリカ合衆国の詩人エドナ・セント・ヴィンセント・ミレイもイタリア風ソネットを多く書いた。When I consider how my light is spent (a)Ere half my days, in this dark world and wide, (b)And that one talent which death to hide, (b)Lodged with me useless, though my soul more bent (a)To serve therewith my Maker, and present (a)My true account, lest he returning chide; (b)"Doth God exact day-labor, light denied?" (b)I fondly ask; but Patience to prevent (a)That murmur, soon replies, "God doth not need (c)Either man's work or his own gifts; who best (d)Bear his mile yoke, they serve him best. His state (e)Is Kingly. Thousands at his bidding speed (c)And post o'er land and ocean without rest; (d)They also serve who only stand and wait." (e)-- ジョン・ミルトン『On His Blindness』
イギリス風ソネット

16世紀初期にソネットをイングランドにもたらしたのはトーマス・ワイアットだった。ワイアットならびに同時代人のサリー伯のソネットは主としてイタリア語のペトラルカ、フランス語のピエール・ド・ロンサールの翻訳だった。ワイアットがソネットをイングランドに紹介している一方で、サリー伯は英語のソネットの特徴となる押韻構成、韻律、四行連への分割、などを行った。フィリップ・シドニーの『アストロフェルとステラ』(1591年)は、ソネット連作を大変流行させた。続く20年間に、シェイクスピア、エドマンド・スペンサー、マイケル・ドレイトン(en:Michael Drayton)、サミュエル・ダニエル(en:Samuel Daniel)、ブルック男爵フルク・グレヴィル(en:Fulke Greville, 1st Baron Brooke)、ウィリアム・ドラモンド・オブ・ホーソーンデン(en:William Drummond of Hawthornden)など多くの詩人たちがソネット連作を発表した。それらのソネットは基本的にペトラルカの伝統にインスパイアされていて、一般に詩人の女性への愛情を扱っていた。ただしシェイクスピアのソネット連作は例外だった。17世紀にはソネットは他のテーマのためにも書かれるようになり、たとえばジョン・ダンジョージ・ハーバートは宗教的ソネットを、ジョン・ミルトンは瞑想的な詩としてソネットを使用した。シェイクスピアとペトラルカなどの押韻構成はこの時代を通して人気があった。

ソネットの流行は王政復古期には時代遅れになり、1670年からワーズワースの時代までソネットはほとんど書かれなくなった。ソネットが復活したのはフランス革命の時だった。ワーズワースは数篇のソネットを書き、その中でも最も有名なのが『The world is too much with us』(en:The world is too much with us)とミルトンに向けたソネットである。ワーズワースのソネットは基本的にミルトンのものを手本にしている。ジョン・キーツパーシー・ビッシュ・シェリーもソネットを書いた。キーツのソネットは部分的にシェイクスピアにインスパイアされた公式かつ修辞的なパターンを用いた。一方シェリーはラディカルに革新し、『オジマンディアス』(en:Ozymandias)というソネットではシェリー独自の押韻構成(「ABABACDCEDEFEF」)を創造した。19世紀を通してソネットは書かれたが、エリザベス・バレット・ブラウニングの『Sonnets from the Portuguese』(en:Sonnets from the Portuguese)とダンテ・ゲイブリエル・ロセッティのソネットの他には、成功した伝統的ソネットはあまりなかった。ジェラード・マンリ・ホプキンスも(しばしばスプラング・リズムで)ソネットを書いた。その中でも最良のものは『The Windhover』で、さらに10-1/2行のカータル・ソネット(後述)の『Pied Beauty』や、24行のコーデイト・ソネット(後述)の『That Nature is a Heraclitean Fire』などの変化形のソネットを書いた。19世紀の終わりになると、ソネットは柔軟性のある多目的形式に応用されるようになっていた。

この柔軟性は、20世紀にさらに広げられた。モダニストの時代の詩人では、ロバート・フロスト、エドナ・セント・ヴィンセント・ミレイ、E・E・カミングスがソネットを書いた。ウィリアム・バトラー・イェイツ半韻を用いたソネット『Leda and the Swan』(en:Leda and the Swan#In poetry)を書いた。ウィルフレッド・オーエンのソネット『死すべき定めの若者のための賛歌』(en:Anthem for Doomed Youth)も20世紀初期のソネットである。W・H・オーデンはその生涯を通じて2つのソネット連作と数篇のソネットを書いて、押韻構成の幅を相当に広げた。また、オーデンの『The Secret Agent』(1928年)は英語で書かれた最初の押韻されていないソネットである。半韻、韻のない、さらには韻律のないソネットが1950年以降とても人気になった。そのジャンルでおそらく最も知られているのは、シェイマス・ヒーニーの『Glanmore Sonnets』と『Clearances』(両方とも半韻を使っている)と、ジェフリー・ミル(en:Geoffrey Hill)の中期のソネット連作『An Apology for the Revival of Christian Architecture in England』であろう。しかし、1990年代は形式主義者が復活したようで、ここ10年ほどは伝統的なソネットがいくつか書かれている。
シェイクスピア風ソネット

ところでイタリア風ソネットの導入後まもなく、イングランドの詩人たちは完全にネイティヴな形式への発展をしはじめた。その詩人たちとは、サー・フィリップ・シドニー、マイケル・ドレイトン、サミュエル・ダニエル、サリー伯の甥にあたるオックスフォード伯エドワード・ド・ヴィアー、それにシェイクスピアなどである。


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