ソニー・キング
プロフィール
リングネームソニー・キング
本名ローレンス・ジョンソン
(ラリー・ジョンソン)
身長186cm
体重115kg(全盛時)
誕生日1945年??月??日
出身地 アメリカ合衆国
ルイジアナ州
ニューオーリンズ[1]
スポーツ歴ボクシング
デビュー1960年代後半
引退1980年代中盤
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ソニー・キング(Sonny King、本名:Lawrence "Larry" Johnson、1945年[1] - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。ルイジアナ州ニューオーリンズ出身のアフリカ系アメリカ人。
第4代WWWF世界タッグ王者。リングネームは、プロボクシング元世界ヘビー級王者のソニー・リストンにあやかって付けられた[1]。 プロボクサーとして活動後、アーニー・ラッドとの親交を通してプロレスラーに転向、ザ・シークの牛耳っていたNWAデトロイト地区でデビューする[2]。ベビーフェイスの黒人選手として、ボボ・ブラジルのパートナーにも起用された[1]。1970年2月には日本プロレスに初来日、2月14日に東京の世田谷区体育館にてジャイアント馬場とシングルマッチで対戦している[3][4]。 1971年よりWWWF(現:WWE)に参戦。翌1972年5月22日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにてチーフ・ジェイ・ストロンボーと組み、キング・カーティス・イヤウケア&バロン・ミケル・シクルナからWWWF世界タッグ王座を奪取する[5][6]。1カ月後の6月27日にプロフェッサー・タナカ&ミスター・フジに敗れて短命王者に終わったものの、WWE初の黒人チャンピオンとしてその名を残すこととなった。WWWFには1973年まで出場して、ラッド、フレッド・ブラッシー、スタン・スタージャック、ジミー・バリアント、レイ・スティーブンス、ムーンドッグ・メインとも対戦した[7][8]。 1974年からはNWAのミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリングを主戦場に、ジョニー・バレンタイン、イワン・コロフ、スーパー・デストロイヤー、チャック・オコーナー、リック・フレアーらと対戦[9]。バレンタインとは反則裁定なしのノーDQマッチやボクシング・マッチなどでも抗争を展開した[10]。その後はアラバマのガルフ・コースト地区に進出して、1977年3月11日にリップ・タイラーを破りNWAアラバマ・ヘビー級王座を獲得[11]。同年8月には、スタン・ハンセン、ブラックジャック・マリガン、ロディ・パイパー、ザ・ハングマン、ペッツ・ワトレーらと共に新日本プロレスの『闘魂シリーズ』に来日している[12]。
来歴