ソナ・ロサ
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「ソナ・ロサ」のその他の用法については「ソナ・ロサ (曖昧さ回避)」をご覧ください。

ソナ・ロサ
Zona Rosa
地区
ソナ・ロサの通り
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座標:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯19度25分32.87秒 西経99度9分50.94秒 / 北緯19.4257972度 西経99.1641500度 / 19.4257972; -99.1641500座標: 北緯19度25分32.87秒 西経99度9分50.94秒 / 北緯19.4257972度 西経99.1641500度 / 19.4257972; -99.1641500
メキシコ
都市メキシコシティ
管轄区域クアウテモク

ソナ・ロサ(スペイン語: Zona Rosa)は、メキシコシティ繁華街。公式にはクアウテモクのフアレス地区の一部にあたり、メキシコシティ歴史地区の少し西に位置する。

はじめ富裕層の外国人やメキシコシティ中心部から引越したい住民の居住地として発達したが、メキシコ革命後は開発が止まった。1950年代から芸術家、知識人、およびメキシコシティのエリートたちが住んでこの地域は再活性化された。一帯はボヘミアン的な魅力を持つ町に変化し、政治家ほかの名士が通う会員制のレストランやクラブが建てられた。ホセ・ルイス・クエバス(英語版)によってこの地にソナ・ロサの名が与えられたのもこの時代である。1980年代になると富裕層向けのビジネスが他の場所に移転し、男性用クラブや売春ほかの犯罪がはびこるようになったが、その後も繁華街でありつづけ、主要な観光地にもなっている。2000年代以降、町の保存と再生のための作業が行われている。

1990年代以降、一帯はメキシコシティのゲイ・コミュニティの中心地になり、またコリア・タウンも形成された[1]
概要ヘノバ通り

ソナ・ロサはフアレス地区の99のブロックのうち24ブロック分に相当し[2]、北はレフォルマ通り、西はバルソビア通り、東はインスルヘンテス通り、南はチャプルテペク通りに囲まれた一帯である[3]

メキシコシティ地下鉄1号線のインスルヘンテス駅が最寄り駅である。駅から北にのびるヘノバ通りは歩行者用で食堂がたちならび、地元の人々にも海外からの旅行者にも人気がある[3][4]

ソナ・ロサはバーやナイトクラブが多く、週末に混雑する。中でもテーブルダンス(ポールダンスなど)を見せる男性用クラブやゲイバーが目立つ[3]。かつてのボヘミアン・知識人の町であった時代を反映してギャラリーや書店も多い[5]。20世紀初期の富裕層の邸宅はヨーロッパ、とくにフランス風の様式で建てられた。そのいくつかは今も残るが、大部分は放棄された[4]

警備の努力はなされているものの、犯罪は今でも問題である[4]

ソナ・ロサは2011年にメキシコシティの21の「バリオ・マヒコ」(魔法の地区)のひとつに選ばれた[6]
歴史放棄された20世紀はじめの建物。アンブルゴ通り

ベニート・フアレスからポルフィリオ・ディアスにいたる20世紀はじめまでの時代に、この地に外国人の投資と居住が誘致された。この地はまたメキシコシティの中心部から移り住む場所を探していたエリートたちをも引きつけた[3][4]。当時この地はカフェ、菓子店、緑地などが立ち並び、ヨーロッパ風の雰囲気を醸し出していた。通りの名前もハンブルクロンドンコペンハーゲンニースリヴァプールなどのヨーロッパの都市にちなんだ名称がつけられた[4]

メキシコ革命によってこの地の開発は停止した。当時の邸宅は今も残っているが、大部分は放棄された[4]。しかし一帯は20世紀の大部分を通じて主要な繁華街のひとつとしての生命を保ちつづけた[7]。高級カフェ、レストラン、ギャラリー、宝石店は当時ほどではないが今も富裕層を引きつけている[3][7]

1950年代に芸術家や知識人が歴史地区チャプルテペク公園を結ぶこの地に集まり、一帯は再び活気を持つようになった[3][4]。当時開店したバー、クラブ、レストラン、カフェ、書店、ギャラリーなどは一帯にボヘミアン的魅力を与えた[3][8]。1960年代までに政治家、画家、作家たちが居住したり働いたり訪問するようになった[4]。クラブとレストランは会員制でドレスコードがあった。当時のボヘミアンと上流社会の混在を評してホセ・ルイス・クエバスは「赤には純朴にすぎ、白には軽薄にすぎる。したがって丁度ピンク」(es demasiado ingenua para ser roja, pero demasiado frivola para ser blanca, por eso es precisamente rosa)であると言った。ここからソナ・ロサ(ピンク地帯)という名称が生まれた[9]

メキシコシティ地下鉄が開通した1960年代末以来、この地域は排他性を失い、犯罪が増加した[3]。しかし本当に劣化がはじまったのは、主に1980年代の経済危機と1985年のメキシコ地震の被害を被ったためにブティックやギャラリーなどの古きよき商売がこの地を去ってからである[3][4]。会員制の事業にかわって男性用クラブ、ゲイバー、マッサージパーラーが増え、ソナ・ロサはピンクというより赤(風俗街)に近くなった[4][7]。観光地としてファーストフード店、ナイトクラブ、バーなどが創業し、未成年の飲酒や売春の問題を起こすようになった。宝石店などの貴重品店は大量生産品や土産物を売るようになった[4][9][10]

1997年に制度的革命党民主革命党に道を譲ると、メキシコシティ政府はソナ・ロサの復興に興味を持ち、ツーリスト警備の警察が導入され、事業の規制、インフラの整備、観光の促進などが2000年代に進められた[3][11]。結果は半分成功、半分失敗であり、犯罪は減少したが[4]、町の風俗街化は止まらなかった[3]。インフラの整備工事に時間がかかりすぎ、商売の邪魔になるという苦情も寄せられた[12][13]


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