ソドミー法
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ソドミー法(ソドミーほう、英語: Sodomy Law、発音: [?s?d?mi l?'?])は、特定の性行為性犯罪とする法律である。ソドミーの言葉が明確にどの性行動を示すかは、ほとんど法のなかで詳細に説明されないが、裁判などでは主として「自然に反する」と見なされる性行動を指すとされる。「自然に反する性行動」は婉曲的な表現であり[1]、ここでの性行動は一般的に口内性交肛門性交獣姦が含まれる。この法が異性のカップルに適用される事例は稀である。

ソドミー法やこれに類する法律は古代にその起源を持ち、特定の性行動に対する宗教的な規制と関連している。現代においては宗教的な規制以外の理由でソドミー法が支持されることもある。
歴史

アッシリアの法典(紀元前1075年)では、「男性が戦友と性交渉を持った場合は宦官に処す」と記している。これは軍隊内での男性間の性交渉を有罪とする法律において、現在記録の残っているなかで最も古いものある[2]。『Lex Scantinia』は古代ローマで用いられた法律である。同性間の性行為を規制する内容が含まれているが、行動を禁止するものではなかった。男性奴隷が解放されるまでの間は、彼らを同性愛の対象として使うことが違法とされていなかった。

西洋社会においてソドミー法の規制が最も大きかったのは、聖書が成立してキリスト教の世界観が生まれてからのことになる。新約聖書ではソドミーを批難する記述がある[3]イングランドではヘンリー8世が "buggery" (男女を問わず、肛門性交全般および獣姦)を犯罪化する最初の犯罪法『Buggery Act 1533』(en)を制定し、違反者の刑罰に絞首刑を規定したが、実際には1861年までは刑罰は実行されなかった。

ウィリアム・ブラックストンの『イギリス法釈義』(en)によると[4]、ソドミーの犯罪は「自然に逆らう不快で忌まわしい罪」もしくはそれに類する表現でしばしば定義され、 何が具体的な行為であるかという点を広く解釈させる結果になったと述べている。

イギリスの大学副総長 ジョン・フレドリック・ウォルフェンデン(en)らによって「成人同士の合意による同性間性行為を犯罪から除外するべき」とするレポート 『ウォルフェンデン委員会のレポート』(en)が1957年に出された後、アメリカ合衆国を含む多くの西側諸国で同性愛行為に限定して禁じる法律の撤廃に動き始めた。2003年6月に、アメリカ合衆国最高裁判所ローレンス対テキサス州裁判にて、自宅内における成人間の合意による私的で非商業的な性行為を倫理に基づき州法が犯罪とすることは、人々の自由とプライバシーに立ち入る正当な理由に足らないとして違憲である判断を下した。

ヨーロッパ、北米、中米、南米の国々ではソドミー法が多くの国で撤廃されたが、ベリーズ、ギアナおよびカリブ諸島(アンギラ、アンティグア・バーブーダ、バルバドス、ドミニカ国、グレナダ、ジャマイカ、セントクリストファー・ネイビス、セントルシア、セントビンセントおよびグレナディーン諸島、トリニダード・トバゴ共和国)には現在でも存在している。

アジアにおいては欧米を起源としたソドミー法は、中華人民共和国、台湾、北朝鮮、韓国、ベトナムでは施行されたことがない。日本、カザフスタン、フィリピン、タイ、インドでは撤廃されている。その他の国では同性間に限定した何らかの規制が存在している。

イスラム教国ではイスラム法の規定によるソドミー罪があり、アラビア語では????(リワート)と表記されている。イスラム教国では刑罰が過酷でイラン、サウジアラビア、アフガニスタンなど現在でも死刑が科される国がある。
国別のソドミー法
オーストラリア詳細は「en:LGBT rights in Australia」を参照

オーストラリアは植民地時代の1788年にイギリスのソドミー法に準じていた。19世紀の間は植民地議会よって多くの刑法が成立し、連邦成立後は連邦議会によって行われた [要出典]。

『ウォルフェンデン委員会のレポート』によると、南オーストラリア州のドン・ダンスタン(英語版)オーストラリア労働党下の州政府は1972年に「成人間の私的な合意」に類似するものに法的擁護を同州内に取り入れた。この擁護は Murray Hill(元国防大臣 Robert Hill の父)によって法案提起され、1975年に州のソドミー法は撤廃された。

1970年代には 『Campaign Against Moral Persecution』(道徳的批難に反対するキャンペーン)が注目を集め、 オーストラリアのゲイ・レズビアンコミュニティの受け入れに寄与した。南オーストラリア州以外でのソドミー関連法の撤廃は1976年から1990年にかけて段階的に行われた。この流れの例外にタスマニア州があり、オーストラリア連邦政府(en)と国連の自由権規約人権委員会の指導によって1997年に撤廃となるまでソドミー法が存在した。男性同性愛の非犯罪化は、オーストラリア首都特別地域は1976年、ノーフォーク島は1993年、前述の南オーストラリア州は1975年、ビクトリア州は1981年にそれぞれ実施された。上記の合法化に際して、性的同意年齢をはじめとした性的指向による格差は統一化された[要出典]。西オーストラリア州は1989年に男性同性愛の非犯罪化を法修正[5]にて実施、ニューサウスウェールズ州ノーザンテリトリーは1984年に非犯罪化を実施したが、ニューサウスウェールズ州とノーザンテリトリーは性的同意年齢を18歳に、西オーストラリア州は21歳とした。1997年より各州および地域はソドミー法の性的同意年齢の年齢格差の解消に動きだし、2002年に西オーストラリア州が、2003年にニューサウスウェールズ州とノーザンテリトリーがそれぞれ行った。トーネン対オーストラリア政府裁判(en)およびクルーム対タスマニア州裁判後の1997年にタスマニア州はソドミー法を撤廃し、オーストラリアの州法にソドミー法は存在しなくなった。その後タスマニア州は『Relationships Act 2003』を以て2004年に同性カップルの権利をオーストラリアで最初に認めた州になる[6]。 現在、クイーンズランド州では、クイーンズランド州刑法208条により、肛門性交の性的同意年齢が最も高い18歳に定められ、口内性交および性交が16歳まで禁止されている [7]。この年齢規制はカナダと同様である。
ブラジル詳細は「en:LGBT rights in Brazil」および「en:Homosexuality legal in Brazil」を参照

ブラジルの刑法は成人間の合意による性交渉に制限を設けていないが、強姦の禁止法と子供の保護に関する法律を定めていて、成人と14歳以下の行為については起訴対象としている[8]。ブラジル軍刑法 ? DL 1.001/69- には、みだらな行為とみなされる接触行為を犯罪とする235条が存在し、これは同性間に限らず軍管理下の全域に適用されている。同法には「少年愛やその他のみだらな行為について」という主旨の題名が付けられている。同国の同性愛権利活動家達はブラジル国軍は殆どが男性に限られている現状では軍内部の同性愛者の魔女狩り行為に軍刑法が加担していると主張している。
カナダ詳細は「en:LGBT rights in Canada」を参照

1859年以前のカナダでは、ソドミーを取り締まる根拠を英国法に依っていた。1859年にカナダ法規による buggery law は強化されて、罰則に死罪を設けた。この罰則は1869年まで適用された。1892年に行われた刑法の大幅改定の一環として、同性愛男性の全ての性行動("gross indecency" =品位にかける淫らな行為)を対象としたより広範囲の規制法案が通過した。刑法の変更は1948年と1961年に行われ、ここでは男性同性愛者を「犯罪的性的精神病質者」「危険な性的違反者」とみなした。当時の法においてこれらは無期限の実刑判決が科された。判決を下されたなかで最も知られた例の一つはGeorge Klippertで、1969年にカナダ最高裁判所は彼を危険な性的違反者として終身刑の判決を下した。その後、彼は1971年に出所している。

カナダの現行法では、18歳以上の合意に基づく肛門性交を認めているが、行為者2人以外に人が居ないことが条件となっている。カナダで施行されたソドミー法は『Criminal Law Amendment Act, 1968-69』(Bill C-150)で、1969年6月27日にカナダ国王の裁可を受けている。法案は「政府は国民の寝室には立ち入らない」 [9]という発言で有名なピエール・トルドーによって下院に提起され[10]た。

1995年に、オンタリオ連邦控訴裁判所(en)は R. v. M. (C.) の裁判で、2人のいずれかもしくは両方が16-18歳である場合のカナダ刑法(en)の第159条は、カナダ人権と自由の憲章(en)の第15条(en)が定める権利の平等に違反しているという判断を下した。この件については再び裁判に掛けられたことがない。似たケースの判決は1998年にケベック連邦控訴裁判所(en)での R. v. Roy裁判がある[11]。刑法の例外として、結婚した異性夫婦間においては適法とする第159(2)(a)条の項目がある[12]
中華人民共和国詳細は「中華人民共和国におけるLGBTの権利」を参照

清朝の1647年に成立した「清律(英語版)」には、ソドミーの中で?姦(又は鶏姦、肛門性交)を禁ずる「鶏姦罪条」(: ?姦罪條)が設けられた。明代末期の社会の混乱に対応させたもので、?姦條では違反した者に1ヶ月の懲役と100回の重い打撃刑が科せられた。

最高人民法院は1957年に自発的行為に基づくソドミーは犯罪行為ではないとする判断を下しているが[13]文革後の1979年の刑法では、成人男性間の私的で非商業的な合意に基づく性行為も「流氓罪」として、拘留や労働教育刑、罰金の対象になった[14]

それでも1997年の刑法改定で流氓罪は取り消され、同性愛行為は非犯罪化された[15] 。そして2001年には中華人民共和国衛生部の精神疾患リストから除外された。
香港詳細は「en:LGBT rights in Hong Kong」を参照

同性間の肛門性交については、香港刑事犯罪条例(Hong Kong Crimes Ordinance)の第118C条[16]にて、両人とも21歳以上でない場合は禁止されており、違反者両方に終身刑を科す規定がある。第118F条[17]では、私的でない同性間の肛門性交を法律で禁止しており、5年間の収監を罰則にしている。異性間の肛門性交については、第118D条[18]にて21歳未満の女性に対して行為を行った男性は終身刑を科す規定がある。私的な範囲の行為か否かという区別はない。

2005年に香港市民の申し立てによる司法審査を受けたHartmann 判事は、これら4条例(第118C条、第118F条、第118H条[19]、第118J条[20])が男性同性愛者に対して差別的なものであり、香港特別行政区基本法と民権条令に違反しているとの見解を下した。これにより同性間の性行動の種類に関わらず、同意年齢が21歳から16歳に引き下げられたとみなされている。 しかしながらこの判断後の裁判において、同罪について有罪・無罪の両方の判決が出ており、また違憲とされた4条例の改訂の動きはまだない。
マカオ

マカオ特別行政区は、マカオ刑法(pt:Codigo Penal de Macau)の第166条および168条[21]にて性別に関わらず17歳以下の肛門性交を禁じており、違反者には最長10年(相手が14歳未満の場合)または4年(相手が14-16歳の場合)の収監を罰則にしている。
台湾詳細は「中華民国におけるLGBTの権利」を参照

台湾では、中華民国刑法(中華民國刑法)[22]の第10条で肛門性交を女性器の性交や口内性交と並ぶ性行為の一種として定義している。性的同意年齢は18歳と定め、第277条[23]や子供や若者の性的商売を禁止する条例 を規定して、未成年者の性的接触を防止している。これらには性別による区別がなく、同性愛も他の指向と同様に扱われる。
デンマーク詳細は「en:LGBT rights in Denmark」を参照

1933年、デンマークはヨーロッパで3か国目に同性愛が完全に合法となった。性的同意年齢は1977年に15歳と規定されている。
フランス詳細は「en:LGBT rights in France」を参照

フランス革命下で「1791年の刑事法典」(fr)の成立により、成年同性間の合意における私的な性行為を罰する法律は存在しなくなった。しかしながら「社会的良識に対する罪」といった他の法律による制限が19世紀まで行われていた。(ジャン=ジャック・レジ・ド・カンバセレスの項目を参照)

1960年に、ポール・ミルギュ(fr)が ≪ fleaux sociaux ≫(社会悪)のリストにアルコール依存や売春と並べて同性愛を追加するミルギュ修正条項(fr)を議会に提出した。これによって同性愛者が公衆で性行動を行った場合の罰則が拡大し、異性装クルージング(en)で捕まった同性愛者は警察による弾圧の対象となった。1960年の法律は1981年に撤回された。

1982年に、フランソワ・ミッテラン大統領下でヴィシー政権が1942年に制定した性的同意年齢の格差(同性間=18歳、異性間=15歳)を解消した[24]仏国民議会で Jean Foyer 議員がこの法改正に対する反対声明を述べた[25]
ドイツ詳細は「en:LGBT rights in Germany」を参照

「男性間の姦淫」を有罪と規定する刑法175条が1871年から1994年まで存在していた。東ドイツの性的同意年齢は1957年に21歳と規定され、西ドイツも同様に1969年に規定した。その後東ドイツでは1968年、西ドイツでは1973年に18歳へと引き下げられ、東ドイツでは1988年に同性間と異性間双方の性行動に関する格差を解消した。この決定はその後1994年のドイツ再統一に際して継承され、ドイツ全土に適用された。

現代のドイツ語における「ソドミー」の語は英語と意味が異なり、肛門性交ではなく獣姦を指す。
ジブラルタル詳細は「en:LGBT rights in Gibraltar」を参照

刑法115条で「他人または動物との肛門性交」を禁じており、第116条で「他の男性との淫らな行い」を禁じている。第115条および116条の違法行為は、男性2人が私的な合意に基づくもので、かつ18歳以上でなかった場合に限り有罪との条件がある。前述の法では男性への肛門性交を異常行為としているが、女性には適用されていない。さらに「私的」の範囲を2人に限定し、3人の場合には違法となる。性的同意年齢については、異性間および女性同性間は16歳としているが、男性同性間は18歳としている。
ハンガリー詳細は「en:LGBT rights in Hungary」を参照

ハンガリーにおける同性愛は1962年に非犯罪化されたが、刑法199条にて合意の上であっても14歳から20歳の未成年者を相手に行為を行った場合は20歳以上の成人に限り有罪とされた。1978年にはこの年齢が18歳に下がり、次いで2002年にはハンガリー憲法裁判所が199条を撤回し、性的指向やジェンダーに関わらず、性的同意年齢を14歳と定めた。

1996年には「非登録の同棲制度に関する法 1995」がジェンダーや性的指向の制限なく全てのカップルに適用され、2009年7月1日より「登録パートナーシップに関する法 2009」が施行され同性カップルにパートナーシップ登録が可能となった。異性カップルには結婚制度があるので、彼らにとっては制度の重複状態になっている[26]
アイスランド詳細は「en:LGBT rights in Iceland」を参照

アイスランドでの同性愛は1940年から合法だが、性的同意年齢の統一は1992年となった。1996年にシビル・ユニオン制度がアルシングで可決された。この制度開始後に、養子縁組やレズビアンの人工授精の解禁(2007年6月27日)など追加の制度変更が続いた。同性結婚は2010年より合法化された。
インド詳細は「en:Homosexuality in India」を参照

インドはイギリス領インド帝国の時代から刑法に反ソドミーの法律を引き継いでいるが、それ以前の慣習法集などには類する法律が存在していなかった。インド刑法(en)の第377条は、インド憲法(en)が認めている「生存権、自由権、平等権」の基本権利の侵害が指摘され[27] 、2009年7月2日にデリーの高等裁判所はジェンダーの区別なく成人間の合意に基づく私的な性行為に限り同法を適用できないとする判断を下した[28]


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