ソチミルコ
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ソチミルコ
管轄区域
ソチミルコの運河を行く小舟、トラヒネラ(スペイン語版)
メキシコシティにおけるソチミルコの位置
座標:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯19度16分30秒 西経99度08分20秒 / 北緯19.27500度 西経99.13889度 / 19.27500; -99.13889座標: 北緯19度16分30秒 西経99度08分20秒 / 北緯19.27500度 西経99.13889度 / 19.27500; -99.13889
メキシコ
行政区画 メキシコシティ
面積
 ? 合計122 km2
人口(2010年)
 ? 合計415,007人
 ? 密度3,400人/km2
等時帯UTC-6 (中部標準時)
 ? 夏時間UTC-5 (中部夏時間)
郵便番号16000?16999
ウェブサイト ⇒www.xochimilco.cdmx.gob.mx

世界遺産
登録名メキシコシティ歴史地区とソチミルコ
区分文化遺産
基準(2), (3), (4), (5)
登録日1987 (第11回)
登録コード412
委員国 メキシコ
地域ラテンアメリカ・カリブ海

ソチミルコ(スペイン語: Xochimilco)は、メキシコの首都メキシコシティ内にある16の管轄区域(demarcaciones territoriales、2016年までは行政区(delegaciones)と呼ばれた)の一つ。メキシコシティ中心部からは南へ28Km離れている[1]。北はコヨアカン(Coyoacan)、トラルパン(Tlalpan)、イスタパラパ(Iztapalapa)の各区に、西はトラウアック区(Tlahuac)に、南東はミルパ・アルタ区(Milpa Alta)に接している。人口は404,458人(2005年)。

ソチミルコはアステカ以来の伝統を色濃く残す町で、メキシコシティの巨大化で完全にその一部となった現在も独特の雰囲気を残す。ソチミルコの運河を行くトラヒネラ(スペイン語版)と呼ばれる小舟はかつてメキシコ盆地内の重要な交通手段であったが、現在では観光資源となり多くの観光客を乗せている。1944年に大ヒットしたメキシコ映画『マリア・カンデラリア』(Maria Candelaria)をはじめとする様々な映画が、トラヒネラが行き交いチナンパ(沼の上に浮かぶ農地)の上に花が咲き乱れるロマンチックな土地としてソチミルコを描いてきた。

「ソチミルコ」という地名はナワトル語で「花の野の土地」を意味する。スペイン語ではソチミルコ([sot?i?milko])と発音されるが、ナワトル語ではショチミルコ([?o?t?i?mi??ko]、ショーチミールコ)となる[2]
地理ソチミルコ生態学公園。1989年に設立された、危機に瀕する動植物を保存するための215ヘクタールの自然公園ソチミルコ生態学公園

面積は122平方kmで、メキシコシティでは3番目に大きい。区の北部は市街地が広がるメキシコ盆地南部の平地であり、平均標高は2,200mである。区の南部は火山の多い丘陵地帯で、テウトリ火山(スペイン語版)(V. Teuhtli)、ソチテペク山(Xochitepec)など2,500m以上の山々が連なる。

ソチミルコは運河が非常に多いことで知られる。これらの運河は、古代にメキシコ盆地に広がっていた湖の一つ、ソチミルコ湖(スペイン語版)の名残である。チナンパが浮かぶ運河網の景観や文化は、1987年にはメキシコシティ歴史地区とともにユネスコ世界遺産にも登録されている[1]

アステカ時代から植民地時代を経て20世紀まで、ソチミルコはメキシコシティの食を支える近郊農業地域であった。今日でも農業は盛んだが、かつてほどの重要性はなく、運河も多くが埋め立てられ残りは観光などに使われている。世界遺産となった運河網にも住宅開発の圧力が迫っている。
野生生物

わずかに残るソチミルコ湖は、絶滅の危惧されている両生類メキシコサンショウウオの数少ない生息地となっている[3]。ソチミルコ区内には、ソチミルコ生態学公園(スペイン語版)(Parque Ecologico de Xochimilco)やボスケ・デ・ナティビタス公園(Bosque de Nativitas)など多くの自然保護区が設けられている。

一帯にガマ、Schoenoplectus americanus(英語版)、ホテイアオイ、Salix bonplandiana(英語版)などの植物が多く生えており、2004年にソチミルコとサン・グレゴリオ・アトラプルコ(スペイン語版)一帯のエヒードチナンパを含むソチミルコの運河群(スペイン語版)はラムサール条約登録地となった[3]
気候

気候は大きく雨季乾季に分かれる。海からの季節風が湿気を運んでくる6月から10月の雨季に降水量が集中し、それ以外の時期にはほとんど雨が降らない。11月から5月は乾期で、その中でも11月から2月は北極の気団が南下するため若干寒い季節であり、3月から5月は熱帯の気団が北上する年間で最も暑い季節である。

平均気温は12度から15度と暖かく、最も気温の低い季節でも最低気温が氷点下になることはめったにない。年平均降水量は1,600mmほどである。

南部の丘陵地帯では、北部の平地よりも気温は若干下がり降水量は若干増えるが、高山気候とまではならない。
歴史
植民地支配以前のショチミルコソチミルコに残る、沼の上に浮かぶ農地チナンパ除草をする農夫

ショチミルコ(ソチミルコ)における最初の集落は先古典期末期(紀元前200年 - 紀元250年)頃に遡る。このことから、彼らの文化は、同時期にメキシコ盆地南部で栄えた最初の都市であるクィクィルコ(Cuicuilco)と関わりのあったことが考えられる。

しかし古典期に入ると、メキシコ盆地の人口はテスココ湖北東部の大都市テオティワカンに集中し、ショチミルコは盆地の大半と同様に打ち捨てられ、「神々の都市」テオティワカンの支配下に置かれた。6世紀から7世紀にテオティワカンが崩壊した後、ショチミルコの地はテオティワカンの旧住民やメソアメリカ北部から来たチチメカ族などを受け入れた。チチメカ族は古典期末期の大旱魃で故郷を捨てて南のメキシコ盆地へと逃れてきており、同じくメソアメリカ北部から来た遊牧民などを移民として多く受け容れていた。「ショチミルコ」と書かれた絵文字。「Tira de la Peregrinacion」より

このほかにショチミルコに移住してきた民族に、ショチミルカ族(スペイン語版)(Xochimilcas)がいる。彼らは10世紀から14世紀の間にメソアメリカ中心部へとやってきて、10世紀には祭祀の中心地であるクァイラマ(スペイン語版)(Cuailama)を建てた。現在のソチミルコ付近の山地には先コロンブス期の絵文字などが多く見つかっており、彼らの宗教儀式に関係があるものとみられている。ショチミルカ族は、ソチミルコ湖湖岸に沿った地域、トラウアック(Tlahuac)やミスキック(スペイン語版)(Mixquic)といった湖中の島々、アフスコ山(スペイン語版)(Ajusco)やチチナウツィン山(Chichinauhtzin)を中心とするアフスコ=チチナウツィン山地(スペイン語版)に至る地域に広く住んでいた。ショチミルカ族は、チナンパ農法の発明者でありショチミルコの町の建設者でもあると信じられてきた。またチナンパの発明者ではなく、古くからおこなわれてきた農法を改良したという見方もある。ナワトラカ族(Nahuatlacas)がこの地に来た11世紀から14世紀には、チナンパの技術は最盛期に達している。チナンパはもとはメキシコ中部の湖水地帯の農法であり、アシなどの長い草を刈りとって積み上げたものを水面に浮かせて編み枝で囲い、湖底から集めてきた泥をその上に載せ浮島のようにし、その上に穀物や野菜などを栽培するというものであった。泥の養分と周りの湖の水により作物をよく育てることができた。彼らはチナンパの上に柳の木を植えたが、柳は早く成長してその根を湖底にまで下ろして根を張ったので、これでチナンパを一定の場所に固定することができた。ソチミルコの運河鮮やかに塗られたトラヒネラ

アステカ族メシカ族)は、ショチミルカ族のことを、メキシコ盆地の湖周辺の町に住む他の部族同様、遠い親戚のようなものと考えてきた。彼らは同じ神話上の故郷チコモストク(Chicomoztoc、「七つの洞窟の場所」)を共有していた。伝説によれば、チコモストクの七つの洞窟には異なった部族が暮らしていたが、その中にショチミルカ族とアステカ族がいた。チコモストクからアストランへ出て暮らしていた彼らは、やがてアストランを去り南へ向かい、メキシコ高原を放浪した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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