ソウルフライ
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ソウルフライ
Soulfly
ドイツ・ドレスデン公演(2016年2月)

バンド ロゴ
基本情報
出身地 アメリカ合衆国
アリゾナ州フェニックス
ジャンルヘヴィメタル[1][2]
グルーヴ・メタル[1]
ニュー・メタル(初期)[1][3]
スラッシュ・メタル[1][3]
デスラッシュ[1][2][3]
オルタナティヴ・メタル[2]
活動期間1997年 - 現在
レーベルロードランナー・レコード
ニュークリア・ブラスト
公式サイト ⇒http://www.soulflyweb.com/

メンバーマックス・カヴァレラ (Vo/G)
マーク・リゾ (G)
マイク・レオン (B)
ザイオン・カヴァレラ (Dr)

旧メンバー以下を参照

ソウルフライ(Soulfly)は、アメリカ合衆国出身のグルーヴ・メタルバンド

ポスト・スラッシュ・グループの一つとして、元「セパルトゥラ」のマックス・カヴァレラ(Max Cavalera)が結成。モダン・ヘヴィネスを基本に、ブラジルアフリカワールドミュージックを内包したスタイルを展開している。
目次

1 歴史

1.1 バンド結成まで

1.1.1 マックス・カヴァレラと音楽

1.1.2 マックスの音楽活動の再開

1.1.3 バンド名の決定


1.2 1st『ソウルフライ』 - ラインナップの変化

1.3 2nd『プリミティブ』 - 3rd『3』

1.4 メンバーの大きな交代

1.5 4th『プロフェシー』 - 1stDVD『ザ・ソング・リメインズ・インセイン』

1.6 5th『ダーク・エイジズ』

1.7 6th『コンクァー ?征服?』 - 7th『オーメン』

1.8 8th『エンスレイヴド』 - 9th『サヴェージ』

1.9 10th『アークエンジェル』


2 メンバー

2.1 現ラインナップ

2.2 旧メンバー

2.3 タイムライン


3 ディスコグラフィー

3.1 スタジオアルバム


4 その他

5 脚注

6 外部リンク

歴史 若き日のマックス・カヴァレラ(Vo/G)
バンド結成まで
マックス・カヴァレラと音楽

マックス・カヴァレラ(マックスはイタリア人とのハーフ)は、1997年2月にセパルトゥラ(Sepultura)を去った。大きな原因は、セパルトゥラのドラマーでもあり、実の弟であるイゴール・カヴァレラ(Igor Cavalera)との確執である。マックスは、セパルトゥラ脱退直後、「計画的に追い出された」とも言い放ったが、悲しみや怒りと格闘しつつ、自宅で静かに作曲活動を始めた。マックスは後に“音と魂の信条(sounds and spiritual beliefs)”を掛け合わせるアイデアをもって、バンドを創設したと語っている。

彼は人気スラッシュメタルバンドからの脱退以外にも、まま息子であり親友でもあったデイナ・ウェールズ(Dana Wells、ディー・ロウ(D-Low)とも呼ばれる)が交通事故で不慮の死を遂げたことと、彼が尊敬するブラジリアン・シンガー、Chico Scienceが1997年に死去したことにも向き合わなければならなかった。それによるを乗り越えるためのセラピーとして、音楽を捉えたという。
マックスの音楽活動の再開

セパルトゥラ在籍時代より交流を続けてきたミュージシャン、そして妻でマネージャーでもある、グロリア(Gloria Cavalera)の支えが、マックスの精力的な音楽活動を促した。まず、マックスはデフトーンズ(Deftones)の大成功したアルバム、『Around the fur』(1997年)の『Headup』という曲でゲスト参加し、デイナの死について歌っている(彼はこの曲の中で、“Soulfly, Fly high, So fly, Fly free”と、後に決まるバンドの名前を歌っている)。デフトーンズのChino Morenoは、ソウルフライの『First Commandment』(『ソウルフライ』に収録)と『Pain』(『プリミティブ』に収録)にトリビュートしている。

Chico Scienceが1997年1月に亡くなった後、残ったメンバーが彼の追悼コンサートを開催するに当たり、マックスにプレイしないかと声をかけている。これを快諾したマックスは、1997年4月にブラジルでコンサートに出演した。この後、マックスはブラジル滞在中に現地の情報誌にメンバーの募集広告を掲載している。このとき、元スレイヤーのDave Lombardoもマックスに直接電話してきたが、マックスの考えるバンドの定義について認識が合わなかったことで、マックスは断っている。 マルセロ・ディー(B) 2009年 ロイ・マイヨルガ(Ds) 2010年

この頃に、ジャクソン・バンデイラ(Jackson Bandeira、ルシオ(Lucio)とも呼ばれる。かつてはChico Science & Nacao Zumbiで活動)とバンドの結成について話し合いを始める。1997年7月には、主にパンク・ロック・バンド、ハードコア・バンドが出演するパッケージ・ツアーのWARPed Tourに参加したり、同年秋にはBenji Webbe率いるDub Warのステージに立ち、“Strike It”で共演している。

この頃になり、ニューヨーク・パンク・ロック界で有名なロイ“マタ”マイヨルガ(Roy "Rata" Mayorga、かつてはThornで活動)をドラマーに、以前セパルトゥラの地方公演マネージャーを務めていたマルセロ・ディー・ラップ(Marcello D. Rapp、マルセロ・ディアス(Marcello Diaz)とも呼ばれる。かつてはThe Mistで活動)をベーシストとして正式メンバーに迎え、曲作りがスタートした。このとき書かれたものは『Eye For An Eye』、『No Hope=No Fear』、『Bleed』、『Tribe』などである。

そして1997年8月16日、アリゾナ州フェニックスのClub Pavilionで、バンドの初ライブが行われる。バンド名も決まっておらず、「Max Cavalera Project」という仮名義ながら、ヘッドラインを飾った。デイナの追悼を目的としたものだったため、ショーのタイトルも『The Soulfly Benefit Show For Dina』とした。このバンド創設時には、当時フィア・ファクトリーに在籍していたDino Cazaresも、バンドの基礎を固めるために参加していた。この初ライブでも、ギタリストとして参加している。そして、ジャクソン・バンデイラをようやくバンドのギタリストとして迎え、オリジナルラインナップを完成させている。

Malibu,CaliforniaのIndigo Lunch Studioで、デビューアルバムの製作に取り掛かる。1998年1月下旬には、ほとんどの曲のレコーディングを終了させている。その時点でも、まだアルバムタイトルは仮タイトルで『Eye For An Eye』とし、バンド名も仮名義のままだったが、数日後、急遽バンド名が「ソウルフライ」に決定する。
バンド名の決定

バンド名の由来について、マックスはこう語っている。「デフトーンズとのレコーディングの際に、『Headup』という曲でソウルフライって言葉を歌っていたんだ。いろんなクレイジーなブラジルの名前を考えていて、周りの人にこのアイディアをどう思う?って聞いてたんだけど、気に入らないって返事がほとんどだったんだ。突然、俺は別にブラジルの名前でなくてもいいことに気づいた。だってセパルトゥラのパート2になるわけではないんだからね。そこでその『ソウルフライ』って言葉を思い出し、パーフェクトな名前のように思えてきた。


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