ゼップ・ブラッター
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ヨーゼフ・“ゼップ”・ブラッター
Joseph "Sepp" Blatter
2015年4月

第8代 国際サッカー連盟会長
任期
1998年6月8日 ? 2015年12月21日
(2022年まで参加禁止)
前任者ジョアン・アヴェランジェ
後任者イッサ・ハヤトウ(代行)
ジャンニ・インファンティーノ

個人情報
生誕Josef Blatter[1]
(1936-03-10) 1936年3月10日(88歳)
スイスヴァレー州、フィスプ郡
国籍 スイス
配偶者リリアン・ビナー
バーバラ・ケザー (m. 1981⁠–⁠1991)
グラジエラ・ビアンカ (m. 2002⁠–⁠2004)
非婚配偶者イローナ・ボグスカ (1995 - 2002)
リンダ・バーラス (2014 - )
子供コリーヌ (娘)
住居チューリヒ
出身校ローザンヌ大学
宗教カトリック教会
署名

ヨーゼフ・“ゼップ”・ブラッター(Joseph Sepp Blatter[注釈 1], 1936年3月10日 - )は、1998年から2015年まで国際サッカー連盟 (FIFA) の第8代会長を務めたスイスのサッカー経営者。2015年FIFA汚職事件への関与から、FIFA活動への参加を6年間禁じられている。
人物菅直人首相(右)と

ブラッターはスイスのヴァレー州フィスプ郡で生まれ、ヨーゼフ (Josef) という名を与えられた。ブラッターはサンモリッツで勉学に勤しみ、1959年にローザンヌ大学で経営学および経済学の学位を取得した。ブラッターは、地元行政区 (カントン)の観光委員会の広報局長やスイスのアイスホッケー連盟の書記長などを含む様々な経歴を長く務めた。

ブラッターはロンジン社のSports Timing and Relationsの理事であり、1972年および1976年のオリンピック大会の組織運営に関与していた[4][5][6]

経営、広報、スポーツ行政の経歴からブラッターは1981年にFIFAの事務総長になり、1998年の第51回FIFA総会にてこの組織を1974年より率いていたジョアン・アヴェランジェの後継者として会長に選出された。 ブラッターは2002年、2007年、2011年、2015年と4度にわたって再選を果たした。前任者のアヴェランジェと同様、ブラッターは様々なFIFAトーナメントの参加チームの拡大を通じて、世界のサッカーにおけるアフリカおよびアジア諸国の影響力を高めようとした。

ブラッターには、汚職および財政的失態の非難がついて回っていた。ブラッターの施策はFIFAワールドカップにより生じた収益の大幅拡大を監督したものの、それはマーケティング会社インターナショナル・スポーツ・アンド・レジャーの経営破綻やFIFA大会開催決定の入札プロセスにおける汚職に関する多数の告訴を伴うものとなった。

2015年6月2日、アメリカ政府が贈収賄およびマネーロンダリングを理由にFIFA役員数名(現職と旧役員)とスポーツマーケティング会社を起訴した6日後[7]、ブラッターはFIFAの新会長を選出するための選挙を呼びかけ、自分はこの選挙に立候補しないと発表したが、後継者選出のためのFIFA特別総会が開かれるまでは自身の会長職に留まるとも発言した[8]。2015年9月25日、ブラッターに対して「刑事上の不正管理(中略)および不正流用」に関する刑事訴訟がスイス司法長官事務所より発表された[9][10]

2015年10月、ブラッター他数名のFIFA幹部がこの調査期間中に停職を下され[11]、独立したFIFA倫理委員会が12月にブラッターを解任、ブラッターに今後8年間のFIFA活動への参加を禁止した[12]。2016年2月24日、FIFAの不服申立委員会は停職を支持したが、活動禁止期間を8年から6年に短縮した[13]。2月下旬に臨時のFIFA総会が開催されるまではイッサ・ハヤトウがFIFAの会長代理を務め、FIFAの第9代会長にはジャンニ・インファンティーノが選出された[14]
FIFAブラッター(左)と当時のFIFA会長ジョアン・アヴェランジェ。1982年4月。

1975年より、FIFAでブラッターは最初はテクニカルディレクター (1975-1981) として働き、その次に事務総長 (1981-1998) を務めて、1998年にFIFA会長に選出された[15]。2002年にブラッターはFIFA会長に再選され、さらに4年経った2007年5月31日には、ブラッターを指名したのがFIFA会員207人のうち僅か66人だったにもかかわらず、反対されることなく再選を果たした[16]

ブラッターとFIFAには、汚職の物議と疑惑がしばしば付きまとった[7][17][18]。ブラッターの任期には、財政的な不正管理の疑惑と2022 FIFAワールドカップ入札のカタール開催に至った賄賂授受をめぐる論争が見られた。

ブラッターは物議を醸す声明が原因で、メディア、サッカー界の著名人や選手達からの批判を浴びている[19]。これには、ジョン・テリーが不倫関係をしていたことに対してラテンアメリカ諸国が称賛しているという主張や、フィールド上の人種差別は握手でうやむやにできるなどの主張が含まれている[20]。ブラッターはまた、2014 FIFAワールドカップのシード組み合わせ会で、その前日に死去した元南アフリカの大統領ネルソン・マンデラへの「1分間の黙祷」を11秒で中断したことで批判を呼んだ。オランダサッカー協会のミシェル・ファン・プラーグ会長は、ブラッターの行動を「言語道断」と断じて、2015年にブラッターが再選されないことを望むと表明した[21]

ブラッターは、ソウルでの2006FIFAワールドカップや同年フランクフルトでのFIFAコンフェデレーションズカップで公然と野次られており[22]、2011年には彼の故郷ウィスプや[23]2012年ロンドンオリンピック女子サッカーのメダル授与式[24]、2013年のコンフェデレーションズカップ試合の開会でもブーイングを飛ばされた[25]。抗議を避けるため、2014 FIFAワールドカップではスピーチが行われなかった[26]
1998年の選挙詳細は「:en:51st FIFA Congress」を参照

UEFA会長レナート・ヨハンソンを上回ったゼップ・ブラッターの1998年FIFA会長選挙は、多くの物議がある中で実施された[27]


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