セーラー服
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オーストリア=ハンガリー帝国海軍水兵のセーラー服

セーラー服(セーラーふく)は、セーラーカラーと呼ばれる独特の形状をした大きなが特徴のトップス

世界中で海軍軍服として使用され続けている他、19世紀後半から20世紀初頭にかけて子供服や女性のファッションとして世界的に流行した。

また、その頃日本でも導入され、現在の海上自衛隊においても使用され続けている。

セーラー服タイプの女子学生の制服は、コスプレ文化と共に"Sailor fuku"の名で世界中に広がっている。旧日本海軍では、軍服としてのセーラー服を当初「水火夫服」、後に「フロック」と称し(明治8年11月12日太政官第168号布告別冊)、イギリス人を意味する「John Bull」から「ジョンベラ」とも呼んでいた。
来歴アルバート・エドワード王太子(1846年)ヴィルヘルム2世一家(1896年)

セーラー服は、帆船船乗り(セーラー、英語:sailor)の甲板衣が原型であり[1]19世紀に現在のデザインが誕生した[2]。海事史家の杉浦昭典によれば、1846年にイギリス王太子アルバート・エドワード(のちのエドワード7世)が王室の船に乗船する際に着用した[2]、当時の船乗りが好んで身につけた服装の特徴を抽出したデザイン[1]の子供服(母のヴィクトリア女王は「セーラーズ・ドレス」と記している[1])が今日の「セーラー服」の起源である[2]。王室画家が描いた図像が評判となって、男児服として普及したという[2]

これについて、イギリスヴィクトリア女王(在位:1837年 - 1901年)は、英王室ヨット“HMY Victoria and Albert”乗組の水兵の制服として揃えられた[注 1]セーラー服が気に入り、同一デザインの子供服を誂えて1846年のクルージングの際に王太子アルバート・エドワード(のちのエドワード7世)にその衣服を着用させた。女王は他の王子達にもセーラー服を与え、孫であるプロイセンのヴィルヘルム王子(のちのドイツ皇帝ヴィルヘルム2世)にも寄贈した。このことから、イギリス国内では王室に倣い、海軍好きの国民性も相俟って子供服として流行した。また、この流行はその後20世紀初頭にかけて世界的なものとなった、とも説明される。

セーラー服はしばしば「水兵服」と翻訳・説明されるが、海軍が水兵の服装を制式化するのは王太子のセーラー服よりも後で、デザインも王太子のセーラー服を範としたものであった[1]。杉浦は水兵服(海軍水兵の軍服)がセーラー服となったのではなく、セーラー服の一種が水兵服に採用されたと説明している[1]#軍服節参照)。

また、19世紀のフランスでは女性のファッションとしてセーラー服が着られるようになり、その後ボーイッシュ・ブームの一環としてヨーロッパ各国やアメリカで女性のファッションとして流行した。[3](en:Sailor dressも参照)

日本では20世紀前半までに主に女子生徒用の制服として定着した(#日本の女子生徒用制服節参照)。

トーマス・マン(1884年)

エドワード7世(右)の王子たち(1908年)

クィーンズランドの女子生徒(1901年)

クィーンズランドの女子生徒(1910年)

特徴的な要素胸元がV字型ではないタイプのセーラー服を着た男性。このタイプのセーラー服も19世紀から存在していた[4][5][6]
セーラーカラー

セーラー服の特徴である大きな角襟の理由については「甲板上で風などの影響によって音声が聞き取りにくいときに襟を立て集音効果を得るため」など諸説あるが、定かではない。杉浦昭典は集音効果説について「帆船上でそのような場面はない」として退けており、もともと船乗りが甲板上で荒天時に働く際の労働着にあったフードをイメージしてファションに取り入れたものであると推測している[7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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