セーヌ県
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セーヌ県
Seine
セーヌ県章
位置

概要

県番号75
地域圏イル=ド=フランス
県庁所在地パリ
コミューン 81
統計
面積1 480 km2
1 「French Land Register data」(1平方キロ以上の湖沼、エスチュアリー、氷河などの水面積除く。
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セーヌ県(: Le departement de la Seine)は、1968年1月1日にセーヌ=エ=オワーズ県とともに廃止されたフランスの県である。当初は、パリ県として成立した。1964年7月10日の法律および1965年2月25日のデクレの施行によって、現在のパリセーヌ=サン=ドニ県オー=ド=セーヌ県及びヴァル=ド=マルヌ県に再編された。
設置経緯

1790年1月13日、国民議会により、「パリ県」の設置が宣言される。「パリ県」は、パリの街及びノートルダム大聖堂からおおむね12キロメートルの範囲のコミューンで構成されることになった[1]

1790年1月19日、パリ県の境界が画定される。

1790年2月10日、パリ県内に、パリ、サン=ドニ及びブール=ラ=レーヌの3つの地区(District)が設置されることになる。
県の歴史1860年のパリ再編前のセーヌ県のコミューン1860年パリ再編前後の市域の比較図
赤色が再編前の12区 ; 灰色が再編後の市域.廃止当時の旧セーヌ県旧セーヌ県(濃茶色の部分)及び旧セーヌ=エ=オワーズ県(茶色の部分)を再編して、新たにパリ、セーヌ=サン=ドニ県、 オー=ド=セーヌ県ヴァル=ド=マルヌ県エソンヌ県イヴリーヌ県及びヴァル=ドワーズ県が設置された。
18世紀

1790年3月4日 : 3地区で構成されるパリ県が成立した
[2]

1792年9月5日 : ブール=ラ=レーヌ地区がブール=ドゥ=レガリテ地区(District de Bourg de l'Egalite)へと改名される。

1793年9月17日 : サン=ドニ地区がフランシアード地区(District de Franciade)へと改名される。

1795年8月22日 : パリ県がセーヌ県へと改名され、地区制度も廃止される[3]

19世紀

1800年 (2月17日。
革命暦8年雨月28日法) : 14の(arrondissements)が設置され、うち2つにはそれぞれ4つの小郡(canton)が設けられた。

パリには12の行政区が設けられた。

サン=ドニ郡には、ナンテール小郡、ヌイイ小郡、パンタン小郡及びサン=ドニ小郡が設けられた。

ソー郡には、シャラントン=ル=ポン小郡、ソー小郡、ヴィルジュイフ小郡及びヴァンセンヌ小郡が設けられた。


1829年 : ナンテール小郡がクールブヴォア小郡となる。

1853年6月22日 : ジョルジュ・オスマンが県知事となる(在職期間は1870年1月5日まで。)。

1860年 : 周辺部(ティエールの城壁内部)を併合した上で、パリの行政区が現在の20区に再編される。

1880年 : サン=ドニとソーの各副知事制度が廃止される。両郡は引き続き存在したが、セーヌ県知事が直轄することとなった。

1893年 : 新たに13の小郡が設置される。

サン=ドニ郡(区)に8小郡:アニエール小郡、オーベルヴィリエ小郡、ブローニュ小郡、クリシー小郡、ルヴァロワ=ペレ小郡、ノワジー=ル=セック小郡、ピュトー小郡及びサン=トゥアン小郡

 ソー郡(区)に5小郡:イヴリー小郡、モントルイユ小郡、ノジャン=シュル=マルヌ小郡、サン=モール小郡及びヴァンヴ小郡


20世紀

1908年 : サンドニ郡に
コロンブ小郡設置。

1964年 (7月10日の法律) : セーヌ県とセーヌ=エ=オワーズ県の廃止が予定される。暗黙のうちに、サン=ドニ郡とソー郡が廃止される。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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