セント=ジェルジ
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この項目では、ハンガリー語圏の慣習に従い、名前を姓名順で表記していますが、インド・ヨーロッパ語族風にアルベルト・セント=ジェルジと表記することもあります。(Template:ハンガリー人の姓名

Albert Szent-Gyorgyi
セント=ジェルジ・アルベルト

生誕 (1893-09-16) 1893年9月16日
オーストリア=ハンガリー帝国 ブダペスト
死没1986年10月22日(1986-10-22)(93歳)
アメリカ合衆国 マサチューセッツ州
国籍 アメリカ合衆国
 ハンガリー
研究分野物理学, 生物化学
研究機関ケンブリッジ大学
出身校センメルヴェイス大学
ケンブリッジ大学
博士課程
指導教員フレデリック・ホプキンズ
主な受賞歴ノーベル生理学・医学賞 (1937)
アルバート・ラスカー基礎医学研究賞 (1954)
署名
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示

ノーベル賞受賞者
受賞年:1937年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:生物学的燃焼、特にビタミンCとフマル酸の触媒作用に関する発見

セント=ジェルジ・アルベルト(Nagyrapolti Szent-Gyorgyi Albert [?s?n?or?i ??lb?rt]、1893年9月16日 - 1986年10月22日)は、ハンガリー出身のセーケイ人アメリカ合衆国に移住した生理学者ビタミンCの発見などにより、1937年ノーベル生理学医学賞を受賞。筋肉の研究などでも知られる。ハンガリー語では、姓は発音上はtが脱落してセンジェルジのように発音される。英語やドイツ語などでは名-姓の順に、Albert Szent-Gyorgyi あるいは Albert von Szent-Gyorgyi Nagyrapolt とも表記される。
略歴

初めはブダペスト医科大学で学んだが、母方の祖父とおじがブダペスト大学の解剖学教授だった関係で、叔父の研究室に入り研究を開始した。1914年、第一次世界大戦に召集されたが負傷して復員し、勉学を続けて1917年に学位を取得した。同年、ハンガリー郵政長官令嬢のデメーニ・コルネーリアと結婚。

戦後、ポジョニュ(ドイツ語名プレスブルク、スロヴァキア語名プレシュポロク:現在のスロバキアブラチスラヴァ)で研究を始めた。しかし1919年、当地がチェコスロバキア領となって追放され、いくつかの大学を転々とした後フローニンゲン大学に落ち着き、細胞呼吸の研究を開始した。さらにケンブリッジ大学フィッツウィリアム・カレッジにてロックフェラー基金研究員となり、1927年に副腎由来の還元性物質("hexuronic acid"と呼んだ)の単離により博士号を取得。

1931年にはコロジュヴァールからセゲドに移転した王立フェレンツ・ヨージェフ大学(現在の国立セゲド大学)に職を得、ここで研究員と共に地元特産のパプリカから大量精製した"hexuronic acid"が構造的にはL-アスコルビン酸であること、またこれが以前から知られていた抗壊血病因子であることを明らかにし、ビタミンCと命名した。同時に細胞呼吸の研究を続け、フマル酸などが呼吸反応(のちにTCA回路と呼ばれる)で重要な段階をなすことを発見した。1937年、これらの業績(生物学的燃焼、特にビタミンCとフマル酸の触媒作用に関する発見)によってノーベル医学生理学賞を受けた。

1938年には筋肉の生物物理学的研究を開始し、研究員のシュトラウブ・ブルノーとともに、2種類のタンパク質アクチンミオシンが会合するとATPをエネルギー源として収縮することを発見した。

ファシストがハンガリーで権力を握ると、セント=ジェルジはユダヤ系の友人を逃がす活動を始めた。さらに第二次大戦末期には首相に依頼され、連合国との和平交渉の密命を帯びて(表向きは講義のため)イスタンブールへ赴いた。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:20 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef