セント・アイヴス
英語: St Ives
コーンウォール語: Porth Ia
St Ives
セント・アイヴス
コーンウォールにおけるセント・アイヴスの位置
人口11,165人 [1]
英式座標
セント・アイヴス(St Ives、コーンウォール語では Porth ia)はイギリス・コーンウォール州にある海辺のタウンで行政教区(Civil Parish)である。コーンウォール半島の突端近くの北海岸にあり、ペンザンスの北で、カンボルンの西に当たる。かつては漁業や関連産業に依存した町だったが、漁業の衰退により観光業に重点を置くようになった。現在では陽光の穏やかなリゾートの街となっており、またサーフィンの街、芸術家のコロニーとしても知られる。
目次
1 歴史
2 観光
3 マザーグース
4 姉妹都市・提携都市
5 脚注
6 外部リンク
歴史)が上陸した地とされている。
セント・アイヴスは、1549年にコーンウォールを席巻した「祈祷書反乱」(en)の際に残虐な事件がおきている。エドワード6世は未だにカトリック的性格の濃かったイギリス国教会の改革を進め、1549年にそれまでのラテン語の祈祷書からプロテスタント的な内容の英語の祈祷書に変えたがこれは国民の評判が悪く、特にコーンウォール語が話され英語を理解しない人の多かったコーンウォールでは大反乱に発展した。この最中、憲兵の司令官がセント・アイヴスを訪れ、市長のジョン・ペインを宿屋へ昼食に招いた。司令官は市長との昼食の間、絞首台の設置をしているかと聞いた。昼食の後、市長が司令官を絞首台が設置されているところへ案内したが、司令官はそのまま台に上がれと市長に命じた。市長は未だにカトリックだったため絞首刑にあったのである。
セント・アイヴスは漁港のほか、商船の寄港地・発着地として栄えた。ここに本社を置いていたハイン海運会社(The Hain Shipping Company)は大きな船会社として知られ、後に合併を繰り返して現在世界有数のコンテナ船会社P&Oネドロイドになっている。また、コーンウォールからデヴォンにかけては錫(スズ)などの鉱山があり、鉱夫相手の商売や錫の積み出しでも非常に栄えた港であった。ところが、19世紀後半、錫産業も漁業・港湾も衰退してしまった。現在もセント・アイヴス周辺に崩れ落ちた工場など鉱山の廃墟が点在している。
近代のセント・アイヴスは1877年のセント・アイヴス湾支線(en)の鉄道敷設により変化が始まった。温暖な気候を求め、ヴィクトリア朝期の海水浴客や休暇客が来るようになったのである。街の建物のほとんどは、19世紀後半に建て直されている。断崖や湾に沿って曲がりくねる鉄道は、今も観光の呼び物として生き残っている。
1920年代以降、セント・アイヴスは芸術家村となり始めた。19世紀にははやくも鉄道建設に伴って画家たちが訪れ定住して海などを描く様になり、近郊のニューリンの村とともに芸術家コロニーが形成され、美術学校ができていた。錫の廃工場や使わなくなった漁業用の小屋や港湾倉庫が画家たちの安いアトリエとして活用された。1920年、陶芸家バーナード・リーチと濱田庄司は日本からイギリスへ移り、セント・アイヴスに日本式の登窯「リーチ・ポタリー」を開設した。リーチと濱田は、東洋の陶磁器に影響を受けた作品制作や、セント・アイヴスの畑から出土するスリップウェアなど工業化以前のイギリス民間陶器の再発見をしたが、これはイギリス現代陶芸の転換点であったほか、セント・アイヴスと国際的な20世紀美術との最初のつながりになった。