セントルーシー郡_(フロリダ州)
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フロリダ州セントルーシー郡
郡のフロリダ州内の位置
州のアメリカ合衆国内の位置
設立1844年3月14日
郡名の由来シラクサのルチア
郡庁所在地フォートピアース
最大の都市ポートセントルーシー
面積
 - 総面積
 - 陸
 - 水
1,782 km2 (688.08 mi2)
1,483 km2 (572.45 mi2)
299 km2 (115.63 mi2), 16.80%
人口
 - (2020年)
 - 密度
329,226人

標準時東部: UTC-5/-4
ウェブサイト ⇒www.stlucieco.gov

セントルーシー郡(セントルーシーぐん、: St. Lucie County)は、アメリカ合衆国フロリダ州フロリダ半島南部大西洋岸に位置するである。人口は32万9226人(2020年)[1]郡庁所在地はフォートピアースであり、同郡で人口最大の都市はポートセントルーシーである。

セントルーシー郡はポートセントルーシー大都市圏に属している。
歴史

セントルーシー郡となった地域には狩猟採集型のアイス(インディアン)部族が住んでおり、その領土はセントジョンズ川の南からセントルーシー入り江にまで及んでいた。スペインが母国に富を運ぶときに強力なメキシコ湾流を生かすために大西洋岸に並行して航行したので、スペイン人探検家達がしばしば気性の荒い部族に遭遇していた。この地域はスペイン人によって、「リオ・デ・アイス」(後に英語化されてインディアンリバー)や「サンタルチア」など様々な名称で呼ばれていた。「サンタルチア」という名前は、さらに南に16世紀後半にスペインが造った短命の砦に付けられた名前だった。1715年、スペインの宝船船隊がこの地域の海で沈んだという伝説があり、この地域を「トレジャー海岸」と呼ぶことになった。

19世紀初期、スペイン政府はこの地域に幾つかの土地特許を発行しており、その1つが開拓者ジェイムズ・ハッチンソンに与えられた。この特許は広さ2,000エーカー (8.1 km2) に及ぶものであり、今日海岸のバリア島がハッチンソン島と呼ばれている。1800年代半ば、セミノールインディアンと逃亡奴隷が、事実上無人の地域に逃げ場所を求めた。1837年には第二次セミノール戦争が起こった。同年12月、ベンジャミン・K・ピアース中佐の指揮する兵士集団がインディアン川を下って砦を設立し、ピアース砦と名付けた。現在セントルーシー郡の郡庁所在地はフォートピアースと呼ばれている。1841年、アメリカ合衆国政府が武装占領法の下に、この地域に進んで入植しようというアメリカ人開拓者に土地特許の発行を始めた。これら土地特許の幾つかは現在のセントルーシー郡域に入っていた。1851年の第三次セミノール戦争によって、今日のセントルーシービレッジとなっている地域に、カプロン砦という地域では2番目のアメリカ軍砦が造られることになった。

この時点から開拓者たちが健康と経済的な理由から南に下って来るようになり、次第に人口が増加していった。1890年代にはフラグラー鉄道が延伸されてきた。19世紀末の主要産業は、パイナップル栽培、漁業、海産物加工および牛の牧畜だった。柑橘類が主要産品になったのは1900年代初期になってからだった。フォートピアースは1901年に法人化された。

1905年までこの地域はブレバード郡に属していた。ただし、1844年から1855年までセントルーシー郡と呼ばれていたことがあった。1905年夏、ブレバード郡南部からセントルーシー郡が設立され、郡庁所在地をフォートピアースとした。当時郡内の開拓地としては、ジェンセン、イーデン、アンクノナ、ウォルトン、エルドレッド、ホワイトシティ、バイキング、セントルーシー、オスロ、ベロ、クエイ、セバスチャンなどがあった。1925年、郡領域の北部からインディアンリバー郡が設立され、南東部からはマーティン郡が作られた。マーティン郡はパームビーチ郡の北部も合わせた。セントルーシー郡の西部は1917年にオキーチョビー郡設立のために分割されていた。

1920年代にはインドリオやサンルーシーなどで土地投機が進み開発が計画されたが、1929年に世界恐慌が始まって挫折した。第二次世界大戦のとき、アメリカ海軍水陸両用訓練基地が、フォートピアースの南北のハッチンソン島に設立された。その運営中には14万人以上の兵士がこの基地で訓練を受けた。戦後、この地域に急激な人口増加がおこったが、その中にはこの基地で訓練を受けた兵士とその家族が混じっていた。

1958年、マックル・ブラザーズの子会社であるジェネラル・デベロプメント・コーポレーションが、新しい町を造るために郡南部、セントルーシー川沿いの土地数万エーカーを購入した。華美で人目を引く広告によって国内北東部から数多い退職者や家族を惹きつけ、後のポートセントルーシーの町の基盤ができた。20世紀後半の建設ブームにより、セントルーシーウェストや新しい計画都市のトラディションなどポートセントルーシー市の西や南の地域に町ができた。21世紀初期、2004年には大型ハリケーンに襲われ、2008年には住宅バブルが弾けて経済不況となるなど、試練の時代になった。2005年、セントルーシー郡は創設100周年を祝った。
地理

アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、郡域全面積は688.08平方マイル (1,782.1 km2)であり、このうち陸地572.45平方マイル (1,482.6 km2)、水域は115.63平方マイル (299.5 km2)で水域率は16.80%である[2]。水域の大半は大西洋である。
交通

郡内にはセントルーシー交通計画機構がある[3]。この組織は連邦政府が委任して資金手当てした交通政策立案組織である大都市圏計画機構の1つであり、セントルーシー郡の交通計画、実行計画作り、州と連邦政府の交通基金の資金手当てを任務にしている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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