ミズーリ州セントルイス郡
郡のミズーリ州内の位置
州のアメリカ合衆国内の位置
設立1812年10月1日
郡庁所在地クレイトン
セントルイス郡(英: St. Louis County)は、アメリカ合衆国ミズーリ州の東部に位置する郡である。人口は100万4125人(2020年)[1]。郡庁所在地はクレイトンであり、同郡で人口最大の都市はフロリサントである。セントルイス郡はセントルイス都市圏(英語版)に属しており、独立市であるセントルイスとミズーリ州、イリノイ州にある周辺郡を合わせると都市圏人口は280万人になる。 セントルイス郡は1812年に組織化された。元はフランス王ルイ14世にちなんで名付けられたフランス領ルイジアナのセントルイスと呼ばれた1地区だった。当初の郡庁所在地はセントルイス市中心街、ゲイトウェイ・アーチ側にある昔の郡庁舎を含めいくつかの建物だった。 1877年、セントルイス市が郡から分離して独立市となった。市の分離は1876年8月に僅差で承認されたが、郡側の住人は圧倒的に反対していた。市の住民は「郡の課税から除外され、郡政府に対する州の影響を除去する」ことを望むと主張した。当時、市の人口は35万人であり、郡の田園部は3万人に過ぎなかった。田園部には150マイル (240 km) の砂利道しかなかった。住民投票の結果は法廷で争われ、1877年3月に分離が公式のものになった[2]。 セントルイス市にあった郡の元庁舎は市の財産になった。現在のユニバーシティシティ
歴史
1977年、セントルイス郡では3台の車を爆破するテロ行為があり、2人が殺された。爆破犯人は捕まらなかった。
セントルイス郡の人口は1970年国勢調査で951,353人となり、セントルイス市の750,026人を超えた。2010年国勢調査ではセントルイス市の人口が19世紀以来の最小となり、郡の人口も郡始まって以来初めて減少したので、郡と市を再統合する話もでてきた[5]。 セントルイス郡は1950年ミズーリ州憲法で最初に自治憲章を採択した郡となった。現在のセントルイス郡憲章は、1979年11月6日の住民投票で採択された。 郡の行政権は郡執行役員(郡長)にあり、常勤で給与が支払われている。現職は2010年11月2日に再選されたチャーリー・ドゥーリーである。任期は4年間で郡の一般選挙で選出される。 条例は郡政委員会で採決される。郡政委員会は7人の委員からなり、委員は郡内7つの選挙区から各1人が選ばれる。委員の任期は選挙区の翌年1月1日から4年間である。選挙は偶数年に行われ、奇数番号の選挙区と偶数番号の選挙区で交互に行われる。 郡の公共図書館はセントルイス郡図書館であり、20の支所がある。 セントルイス郡は他の大型郊外郡と比較して、人口10万人当たりの犯罪率が全国最小のクラスにある。例えば、2003年には100万人以上の人口がいたが、殺人は30件だった。1991年以降、犯罪件数は25%減少しており、1973年以降でも最低の水準にある。セントルイス郡警察が郡内最大かつ主要な法執行機関である。 2009年上半期は2008年の同時期に比べて犯罪件数が19%減少したと報告された。夜盗が特に減少しており35%減となった。放火も33%、自動車窃盗は17%、強盗は15%、窃盗も15%減少した。殺人事件は2008年の6件に比して2009年は2件のみだった。 大統領選挙の結果年民主党共和党 セントルイス郡は民主党寄りだが、民主党の強い隣接するセントルイス市に比べれば、昔から中道寄りである。概して、郡東部は民主党寄りであり、西部は共和党支持の傾向がある。2004年の大統領選挙で民主党が多数票を集めたのは、州内でも都市型3郡、すなわちセントルイス郡とセントルイス市、さらにカンザスシティ都市圏で人口の多いジャクソン郡だけだった。 2008年大統領予備選挙で、郡内の共和党員は41%がジョン・マケイン、37%がミット・ロムニーを選んだ。民主党では63%がバラク・オバマ、36%がヒラリー・クリントンだった。民主党予備選挙には187,234票、共和党予備選挙には95,437票が投じられた。 2008年大統領本選挙では、59.5%、333.123票がオバマを支持し、マケインは39.6%、221,705票だった。 登録有権者は796,979人である。[7]。 アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、郡域全面積は524平方マイル (1,360 km2)であり、このうち陸地508平方マイル (1,320 km2)、水域は16平方マイル (41 km2)で水域率は3.03%である[8]。 ミズーリ川が北隣のセントチャールズ郡との境界になっている。ただし、流れが変わったので幾つかの例外はある。南のメラメック川がジェファーソン郡との境界の大半になっている。東はセントルイス市とミズーリ川である。西のフランクリン郡との境界は、メラメック川とミズーリ川が最も接近する場所を南北に繋ぐ線であり、パシフィック市を2分している。
郡政府
犯罪と安全
政治
2008年[6]59.5% 333,12339.6% 221,705
2004年54.4% 295,28445.1% 244,969
2000年51.5% 250,63146.2% 224,689
1996年48.8% 225,52442.4% 196,096
1992年44.1% 235,76035.2% 188,285
1988年45.1% 216,53454.7% 262,784
1984年36.0% 173,14464.0% 307,684
1980年39.8% 192,79654.4% 263,518
1976年43.5% 196,91554.6% 246,988
1972年37.8% 160,80162.2% 264,147
1968年43.0% 165,78646.8% 180,355
1964年61.3% 213,65838.7% 134,962
1960年51.3% 166,50848.7% 157,992
地理
国立保護地域
ビッグマディ国立魚類野生生物保護区(部分、チェスターフィールドにはブーンズクロッシングがある)
ユリシーズ・S・グラント国立歴史史跡
自然の境界
地形
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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