セントラル映画社
Central Motion Picture Exchange市場情報消滅
略称CMPE、セントラル
本社所在地 日本
東京都港区芝田村町2丁目15番地 兼坂ビル
設立1946年2月1日
業種サービス業
事業内容アメリカ映画九社作品の日本配給
代表者代表 チャールズ・メイヤー
支店舗数4支社
関係する人物マイケル・ベルゲル
淀川長治
高瀬鎮夫
妻鳥循雄
高梨義顕
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セントラル映画社(セントラルえいがしゃ、英語: Central Motion Picture Exchange)は、かつて存在した連合国軍占領下の日本の映画配給会社である[1][2][3][4][5]。1946年(昭和21年)2月1日、連合国軍最高司令官総司令部の外郭団体として設立され、同月28日から日本国内でのアメリカ映画のリリースを開始する[1][4]。1951年(昭和26年)12月27日、解体された[2]。日本では「セントラル映画社」のほか、セントラル・モーション・ピクチュア・エクスチェンジ(あるいは・エキスチェンジ)[1]、セントラル・フィルム・エキスチェンジ[6]と表記されることもあり、略称は英語: CMPE[1][4]、あるいはセントラル[2][7][8]。
沿革
1946年2月1日 - 設立[1][3][4]
1951年12月27日 - 解体[2]
データ
所在地 : 東京都港区芝田村町2丁目15番地 兼坂ビル[1]
現在の同都同区新橋2丁目5番5号 新橋2丁目MITビル(旧兼坂ビル・第二兼坂ビル)
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度40分4秒 東経139度45分22秒 / 北緯35.66778度 東経139.75611度 / 35.66778; 139.75611
1941年(昭和16年)12月8日、第二次世界大戦において日米開戦、太平洋戦争の開始をもって、アメリカ映画各社の日本支社が一斉閉鎖・解散、アメリカ映画の日本での商業上映は終了した[9]。1945年(昭和20年)8月15日、同戦争が終了し、同年9月2日から日本は連合国の占領下に入った。同年10月2日には連合国軍最高司令官総司令部、いわゆるGHQが設置され、その幕僚部に民間情報教育局(CIE)が置かれ、映画は同局の管轄下に置かれた。同年11月には、アメリカ合衆国国務省が派遣したマイケル・ベルゲルがアメリカから招かれ、ベルゲルはGHQ、国務省および同陸軍省と協議して1946年(昭和21年)1月にセントラル映画社の東京事務所を東京都港区芝田村町2丁目15番地の兼坂ビル(現在の同都同区新橋2丁目5番5号、新橋2丁目MITビル)に設置した[3][10]。