市旗市章
愛称 : The Capital City(都)、The Saintly City(聖者の街)、Pig's Eye(豚の目)、Shortz P、The Sliver City(銀の街)
標語 : "The most livable city in America"
位置
左:ラムゼー郡の位置(ミネソタ州)
右:セントポールの位置(ラムゼー郡)
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯44度56分39秒 西経93度5分34秒 / 北緯44.94417度 西経93.09278度 / 44.94417; -93.09278
セントポール(Saint Paul [?se?nt ?p??l])は、アメリカ合衆国ミネソタ州の州都。人口は31万1527人(2020年)で、ミネアポリスに次ぐ州第2の都市である。市名は1841年に建てられたセント・ポール大聖堂に由来している。セントポールと西に隣接するミネアポリスは "Twin Cities"(双子の都市)と呼ばれる。命名のゆえんは、ミネアポリスが州の経済・文化の中心であり、セントポールがミネソタ州会議事堂や州の各種機関が集まる州の政治の中心地であるとの事情にある。この「双子の都市」および近隣のブルーミントン、セントクラウドなどを含んだミネアポリス・セントポール都市圏は約360万人の人口を抱える。長崎市とは日米初の姉妹都市を提携した関係がある。
歴史スネリング砦とセントポールを結ぶ橋、1880年
2,000年ほど前、この一帯には古代のネイティブ・アメリカンによるホープウェル文化(英語版)が花開いていた。彼らが土葬を行った塚は、現在ではインディアン・マウンド・パークとして残っている。その後、1600年頃から1837年にかけてこの地に住み着いていたダコタ族はその塚の近くに住居を構え、土葬を行うのにその塚を用いた[2][3]。19世紀初頭、毛皮取引商人、探検家、宣教師などのグループがスネリング砦の守りとしてこの地にやってきた。彼ら初期の移民の多くはカナダから南下してきたフランス系であった。
初期の入植者はミシシッピ川とミネソタ川の合流点近くに建つ砦の近くに住んでいた。やがてウイスキーの取引が盛んになってくると、それまで砦の守りについていた軍人をあまり快く思っていなかったピエール・パラント(en)によって、軍人は砦の管轄下にあった土地から追い出された。ピエール・パラントは毛皮商人から転身した酒商人で、Pig's Eye(豚の目)という異名を持っていた。1820年頃、この地はネイティブ・アメリカン、ヨーロッパ人の入植者、アメリカ人の軍人が混住する、西部開拓時代の辺境の地であった。1820年代前半のこの地は「ピッグズ・アイ・ランディング」(Pig's Eye Landing)と呼ばれ、西へと向かう入植者たちの目的地、また重要な交易拠点となっていた。1837年、ヘンリー・スクールクラフトとおよそ200人のダコタ族との間に交わされた条約により、入植者たちにこの地が開かれる一方で、ネイティブ・アメリカンはこの地を追われた[2]。この条約が成立すると、東からも移民がこの地にやってきた。セントポール大聖堂。現在の建物は1915年に完成した。
1841年、カトリックのガルティア神父はこの地にセントポール大聖堂を建てた。このとき、ガルティア神父が最も敬う聖人の名を冠したこの大聖堂から名を取り、入植地の名が現在のセントポールに改められた。1847年にはニューヨーク出身のハリエット・ビショップがセントポール初の学校を開校した[4]。1856年には、ドイツ系ユダヤ人の開拓者がセントポール初のシナゴーグを設立した[4]。
1849年にミネソタ準州が成立すると、翌1850年にはセントポールが準州の州都になった。その後しばらくしてセントピーターに州都を移す法案がミネソタ州議会にて提案・可決され、議長の決定を待つのみとなったが、議長を務めていたジョー・ロレットが法案を持って失踪し、会期終了まで身を隠していたため廃案となり、州都はセントポールにとどまった[5]。1854年、セントポールは正式な市になった。1858年にはミネソタ州が連邦32番目の州に昇格し、セントポールがその州都になった。
セントポールが通商・交通の中心地となっていった要因のひとつに地理的条件があった。この周辺でのミシシッピ川の両岸には切り立った崖が続く。セントポールはランバーツ・ランディングと呼ばれる、セント・アンソニー滝の約22km下流にある、船をつけることのできる最上流の岸に形成された。セント・アンソニー滝を利用して粉挽き産業が発展していったミネアポリスに対し、セントポールはそういった地形を活かし、当時辺境の地であったミネソタや南北ダコタへの玄関口としての役割を担った。1958年には1,000隻以上の蒸気船が客の乗降や貨物の積降のためにセントポールに停泊した[4]。やがてセントポールを拠点としてグレート・ノーザン鉄道やノーザン・パシフィック鉄道[注 1]などの鉄道が開通すると、ミネソタと南北ダコタとを分かつレッド川流域へと通ずる道路網が整備されていった。100年以上にわたって、セントポールは辺境の町であり、鉄道の町であった。しかし今日では、セントポールは商業都市として、そして州都としての機能のほうが強い。セントポールはThe Last City of the East(東部最後の街)と呼ばれている[6]。 セントポールは北緯44度56分39秒 西経93度5分34秒 / 北緯44.94417度 西経93.09278度 / 44.94417; -93.09278
地理
セントポールはミネソタ州の東部に位置している。ミシシッピ川は市の西から南西、南東へと流れ、市境を形成している。西にはミネアポリスが隣接している。