セントジョージ_(ユタ州)
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セントジョージ

Saint George


印章

愛称: ユタのディキシー
ワシントン郡内の位置
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯37度5分43秒 西経113度34分41秒 / 北緯37.09528度 西経113.57806度 / 37.09528; -113.57806座標: 北緯37度5分43秒 西経113度34分41秒 / 北緯37.09528度 西経113.57806度 / 37.09528; -113.57806
アメリカ合衆国
 ユタ州
ワシントン郡
設立1861年
法人化1862年
名の由来ジョージ・A・スミス
政府
 ? 市長ジョン・パイク
 ? 市マネジャーゲイリー・エスプリン
面積
 ? 合計64.9 mi2 (168.0 km2)
 ? 陸地64.4 mi2 (162.2 km2)
 ? 水域0.5 mi2 (1.2 km2)  0.72%
標高2,860 ft (872 m)
人口(2020年)[1]
 ? 合計95,342人
 ? 密度1,500人/mi2 (570人/km2)
族称St. Georgian
等時帯UTC-7 (山岳部標準時)
 ? 夏時間UTC-6 (山岳部夏時間)
ZIPコード84770, 84771, 84790, 84791
市外局番435
FIPS code49-65330[2]
GNIS feature ID1455098[3]
ウェブサイト ⇒www.sgcity.org

セントジョージ(: St. George)は、アメリカ合衆国ユタ州の都市。ワシントン郡郡庁所在地である[4]。人口は9万5342人(2020年)。州南西部、アリゾナ州の州境に位置している。ネバダ州ラスベガスの北東188km、ソルトレイクシティから州間高速道路15号線を伝って南南西488kmに位置している。

セントジョージ都市圏の中核である。2005年時点でコロラド州グリーリーに次いで、国内で2番目に成長率の高い都市圏だった。この傾向は2007年まで続いたが、その後は成長が鈍化した。この時期に白人の人口成長率では国内最速だった[5]

ユタ州南部とユタのディキシーの中心として、セントジョージ市は州内第7位の都市であり、ワサッチ・フロントに入っていないユタ州の領域では最大の都市である[6]。地域の保守的な社会文化は、一方で「事業によって推進される保守主義」と「不法移民に反発する社会の保守主義」の間の摩擦であり、また他方では、人口の多数を占めるモルモン教徒と非モルモン教徒の間の緊張感であると見られている[7]
歴史セントジョージ市にあるブリガム・ヤング冬の家と事務所

セントジョージは、末日聖徒イエス・キリスト教会大管長のブリガム・ヤングの指示で、1861年に綿花を栽培する所として設立された。それは教会が自立するための行動全体の一部だった。初期開拓者が綿花を栽培するために苦労したが、市場で競争力ある価格で生産されるには至らなかったので、最後は綿花栽培を放棄した。

1861年に南北戦争が始まったとき、ブリガム・ヤングは現在のワシントン郡となっている所の開拓地を組織した。

戦争で綿花の供給がなくなることを怖れ、彼はこの西部の地で信徒の需要を供給するに足るものを育てる計画を始めた。グレートベースンの縁より下にあるこの温かい地から、十分好都合な報告が上がってきたので、ここで綿花を栽培して成功できると確信した。1861年10月6日にソルトレイクシティで開催された教会の全体会議では、綿花産業を促進するディキシーでの任務に、約300の家族が「読み上げ」られた。信徒の大半は祭壇から自分の名前が呼ばれるまで、この遠征について何も知らなかったが、ほとんど全ての場合に善意で反応し、割り当てられた1か月の間に出発できる用意をした。これらの家族は、適切な数の農家、石工、鍛冶屋、事業家、教育者、大工のいる町を確保できるように選ばれていた。[8]

この開拓地は末日聖徒イエス・キリスト教会の使徒の1人ジョージ・A・スミスから名前が付けられた[9]
その後のできごと

1877年4月、末日聖徒イエス・キリスト教会はセントジョージ・ユタ・テンプルを完成させた。教会にとって3番目のテンプルであり、現在では連続して運営されている最古のものになっている[10]

1997年、アメリカ合衆国学術10種競技全国決勝の会場になった[11]

2005年1月、長雨でバージン川とサンタクララ川が溢れたために、100年洪水とも呼ばれた大洪水が地域全体に起こった。サンタクララ川によって、死者が1人、数件の家が破壊された。

2012年3月、ユタ州では初めてアメリカ海軍ブルーエンジェルスの航空ショー「サンダー・オーバー・ユタ」が開催された[12]
放射能汚染

1953年5月19日、アメリカ合衆国政府は、ネバダ核実験場で32キロトン (130 テラジュール) の原子爆弾(愛称ハリー)を爆発させた。この爆弾により莫大な量の放射性降下物(死の灰)が発生したので、「ダーティ・ハリー」という名前を貰った[13]。風がセントジョージまで135マイル (217 km) の距離を運び、住民は「奇妙に金属的な味を空中に感じた」とされている[14]

ハワード・ヒューズ監督の映画『征服者』は、この爆発があったときにセントジョージ地域で撮影された。そのときの俳優やスタッフの中のガン発生率が異常なくらい高いとされている。

ラスベガスの北西にあるユッカ・フラッツ/ネバダ実験場における地上核実験では、セントジョージが放射性降下物の矛先になった。風が定期的にセントジョージやユタ州南部までこれら実験の降下物を運んだ。白血病、リンパ腫、甲状腺癌、乳ガン、黒色腫、骨肉腫、脳腫瘍、消化管癌などの発生率増加が1950年代半ばから1980年代に報告された[15][16]

1962年、アメリカ合衆国原子力エネルギー委員会は、「ユタ州セントジョージに住む子供達が、甲状腺に受ける放射性ヨードの量で、120ないし440ラド (1.2 - 4.4 グレイ) であることを報告した[17]
地理サンタクララ川貯水池にある数百個の岩面陰刻、テンピポップ・トレイルにある

アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、市域全面積は64.9平方マイル (168.0 km2)であり、このうち陸地64.4平方マイル (166.8 km2)、水域は0.5平方マイル (1.2 km2)で水域率は0.72%である。

セントジョージはモハーヴェ砂漠の北東部にあり典型的な砂漠植生の乾燥した砂漠バレーにある。市域の大半は標高3,000フィート (900 m) 以下にある。コロラド高原グレートベースン、モハーヴェ砂漠が全て集まった地質的遷移帯にある。ビーバーダム山地/ユタ丘陵が西にあり、北にはパインバレー山地、東にはコロラド高原とザイオン国立公園、南はアリゾナ・ストリップである。バージン川とサンタクララ川が市内を流れ、ウェッブ・ヒルの近くで中心街の南、現在ディキシー・ドライブと州間高速道路15号線が交わる所の下で合流している。

前史時代の溶岩がバレーの中央にある高原を覆い、中心街を自然の地形で東と西に分けており、市の拡張する格子状道路にとっては障害になっている。


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