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センチメンタル・シティ・ロマンス
出身地 日本 愛知県名古屋市
ジャンルロック[1]
活動期間1973年 -
レーベル
CBS・ソニー(1975年 - 1976年)
キティ・レコード(1977年 - 1979年)
コロムビアレコード→ベターデイズ(1979年)
ポリドール(1982年 - 1986年)
ビデオアーツ(1993年)
BET-TALIS(2004年 - 2010年)
ワーナーミュージック・ジャパン(2011年)
リイシュー関連
GT music(2005年)
ユニバーサルミュージック(2005年)
メンバー
細井豊(ボーカル・キーボード)
野口明彦(ドラムス・コーラス)
瀬川信二(ベース・コーラス)
種田博之(ギター・コーラス)
旧メンバー
中野督夫(ボーカル・ギター)
告井延隆(ギター)
近藤文雄(ドラムス)
久田潔(ベース)
前田直人(ドラムス)
本多正典(ドラムス)
野口明彦(ドラムス)
加藤文敏(ベース)
田中毅(ドラムス)
センチメンタル・シティ・ロマンス(SENTIMENTAL CITY ROMANCE)は、日本のロックバンド。1973年に結成され、「日本最古のロックバンド」とされている[1]。バックバンド、スタジオ・ミュージシャンとしてのキャリアも豊富。通称「センチ」。
来歴
1973年3月、中野督夫、細井豊らの名古屋のロック・グループ「思案暮れる(シアンクレール)」に、東京で洪栄龍らと「乱魔堂」として活動していた告井延隆をリーダーとして迎えるかたちでセンチメンタル・シティ・ロマンスはスタートした。結成当時のメンバーは告井延隆(G)、中野督夫(Vo/G)、細井豊(Key)、加藤文敏(B)、田中毅(Ds)の5人。
1974年、 九州、山陽、関西など西日本方面のコンサートに参加し、東京では池袋シアターグリーンでの『ホーボーズ・コンサート』へ出演。また6月には地元、名古屋で初めてのリサイタルを開催し、8月に郡山市で行われた『ワン・ステップ・フェスティバル』にも参加。更に、自主コンサートとも言うべき『センチメンタル・パーティー』を定期的に開催する(1977年まで続く)など、 地味ではあるが確実な活動もしてゆく。なお『ホーボーズ』でのライブは1976年にキングレコードから発売されており、これが入手可能な最も古いセンチメンタル・シティ・ロマンスの音源である。
1975年5月、大阪で開かれた『第3回春一番コンサート』に出演。名古屋/中京地区でウェスト・コースト系の音楽を目指し活動。9月には日本武道館で開かれた『Aロック・コンサート全国大会』に優勝。8月、細野晴臣がアドバイザー(クレジットはChif Audience)として関わった1stアルバム『センチメンタル・シティ・ロマンス』がCBS・ソニーより発表。この直後、メンバーは名古屋市長よりロサンゼルス市長へのメッセージを携えて渡米。帰国後、ドラムスが野口明彦(元シュガー・ベイブ)に変わっている。この年、全国主要都市コンサート・ツアーを行う。また、名古屋を中心に活動していたシンガーソングライターいとうたかおのシングル「ラブソング/こんなに不安なんだよ」のレコーディングに参加。
1976年8月、2ndアルバム『ホリディ』を発表、この年、ベーシストとして久田潔が参加する。その後VAN、グンゼ、講談社などのCMソングも手がけ、オーバーグランド指向を見せ始める。
1977年春、CBS・ソニーを離れ、キティ・レコードへ移籍、12月に3rdアルバム『シティ・マジック』を発表。
1978年夏、名古屋森林公園での『フリー・コンサート』で、ライヴを収録。
1979年春、キティ・レコードよりコロムビア・レコードに移籍、角川映画『金田一耕助の冒険』のサウンドトラックを担当、7月に発表、同時に前年録音したライブ・アルバムも発表する。8月、5枚目のオリジナル・アルバムをバンド結成以来の夢でもある、地元名古屋のスタジオに於いてレコーディング。9月に完成。11月25日、初の名古屋レコーディング・アルバム『歌さえあれば(We Like Music)』を発表。
1980年1月?1982年、この間東京・名古屋・広島・福岡などでライブ活動及び加藤登紀子・岡林信康・竹内まりやなどのライヴ及びレコーディングで活躍。1980年にドラムが本多“taco-bow”正典に変更したが1981年コンサートツアー中の事故により前田直人に代わっている。
1982年4月28日、名古屋市民会館で10周年記念コンサート。5月25日アルバム『スマイリング』を発表。また、結成10周年記念コンサート・ツアーとして、名古屋・大阪・仙台・金沢でコンサートを開く。9月、元ドゥービー・ブラザーズのジェフ・バクスターの参加を得て、アルバムをレコーディング。11月25日、アルバム『ダンシング』、シングル「ターニング・ポイント」を発表。
1983年、ドラムスが近藤文雄に交代。アルバム『はっぴいえんど』を発表。7月より名古屋・大阪・東京でコンサート・ツアー。
1984年、2月1日シングル「ゴーイング・バック」を発表。6月5日アルバム「リラックス」を発表。
1985年、名古屋市芸術奨励賞を受賞。中島みゆきのアルバムのレコーディングに参加。
1986年、アルバム『サマー・デイズ(夏の日の思い出)』を発表。NHK・銀河テレビ小説『清水みなとストーリー』主題歌「デイ バイ デイ」を提供。
1987年、EPO、遠藤京子のレコーディングに参加。日米市長会議マルチスライド音楽担当。
1988年、楠瀬誠志郎、鈴木雄大のステージサポート、薬師丸ひろ子のステージサポート・全国ツアー及び台湾ツアーに参加。新井正人のレコーディングに参加。
1989年、『世界デザイン博覧会』(名古屋市)・テーマ館の音楽担当。
1990年、薬師丸ひろ子のステージサポート・全国ツアーに参加。
1991年、加藤登紀子『ファシネイション』のレコーディングに参加。
1992年、わかしゃち国体(愛知)キャンペーンソング。 名古屋市芸術創造センターにて細井ソロコンサート『Music Wander Land』を行う。