セロ_(潜水艦)
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USS セロ

基本情報
建造所エレクトリック・ボート造船所
運用者 アメリカ海軍
艦種攻撃型潜水艦 (SS)
級名ガトー級潜水艦
艦歴
発注1940年7月1日[1]
起工1942年8月24日[2]
進水1943年4月4日[2]
就役1: 1943年7月4日[2]
2: 1952年2月4日[3]
退役1: 1946年6月8日[3]
2: 1953年12月23日[3]
除籍1967年6月30日[3]
その後1970年10月、スクラップとして売却[4]
要目
水上排水量1,526 トン
水中排水量2,424 トン
全長311フィート9インチ (95.02 m)
水線長307フィート (93.6 m)
最大幅27フィート3インチ (8.31 m)
吃水17フィート (5.2 m)
主機ゼネラルモーターズ278A 16気筒ディーゼルエンジン×4基
電源ゼネラル・エレクトリック発電機×2基
出力5,400馬力 (4.0 MW)
電力2,740馬力 (2.0 MW)
最大速力水上:20.25ノット
水中:8.75ノット
航続距離11,000カイリ/10ノット時
潜航深度試験時:300フィート (91 m)
乗員士官、兵員70名(平時)
士官、兵員80 - 85名(戦時)
兵装.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}

21インチ魚雷発射管×10基(前方6,後方4)/魚雷×24本


竣工時[5]
4インチ砲(英語版)×1基20mm機銃
1944年2月[6]
4インチ砲×1基40mm機関砲20mm機銃
1945年3月[7]
5インチ砲×1基40mm機関砲20mm機銃

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セロ (USS Cero, SS-225) は、アメリカ海軍潜水艦ガトー級潜水艦の14番艦。艦名は西インド諸島に生息するサバ科サワラ属の魚セロ・マッケレル(英語版)に因む。その名を持つ艦としては2隻目。セロ・マッケレル(Cero mackerel)
艦歴

「セロ」はコネチカット州グロトンエレクトリック・ボート社で起工する。1943年4月4日にD・E・バーベイ夫人によって進水し、艦長デヴィッド・C・ホワイト中佐(アナポリス1927年組)の指揮下、1943年7月4日に就役する。8月17日にニューロンドンを後にして真珠湾に向かった。
第1の哨戒 1943年9月 - 11月

9月26日、最初の哨戒で東シナ海および黄海方面に向かった。この時、アメリカ海軍で最初のウルフパックが編成され、「セロ」は「シャード (USS Shad, SS-235) 」および「グレイバック (USS Grayback, SS-208) 」とともに、「セロ」に乗艦したチャールズ・モンセン(英語版)司令の指揮下で行動することとなった。10月12日未明、「セロ」は.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯28度30分 東経137度28分 / 北緯28.500度 東経137.467度 / 28.500; 137.467の父島の西南西300海里の地点で3隻の輸送船と2隻の駆逐艦を発見。9,500トン級輸送船、6,000トン級輸送船および5,000トン級輸送船に対し魚雷を6本発射し、3つの命中を確認する[8]。深深度潜航で爆雷攻撃に備えたのち、正午前の二度目の攻撃で、最初の攻撃で航行不能となった9,500トン級輸送船に対して魚雷を3本発射し、3本とも命中させたが沈む気配も何も起こらなかった[9]。この時雷撃されたのは第3009甲船団に加入していた特務艦「間宮」であり[10]、「間宮」は後部を大破し、丁四号輸送作戦に従事中の軽巡洋艦五十鈴」などの救援を受けた[11][12]。10月27日未明、「セロ」は前夜に会合した「シャード」が「グレイバック」とともにマ08船団を攻撃していることを示す複数の魚雷爆発音を聴取するが、おこぼれにすらありつくことが出来なかった[13]。11月4日夜、「セロ」は北緯32度50分 東経125度57分 / 北緯32.833度 東経125.950度 / 32.833; 125.950のソコトラ岩近海で第111船団を発見し、北緯32度28分 東経125度18分 / 北緯32.467度 東経125.300度 / 32.467; 125.300の地点に至った所で、船団の先頭船3隻や船団から後落していた陸軍輸送船「旭光丸」(山下汽船、6,783トン)に対して魚雷を計9本発射し、10,000トン級輸送船に1本、7,500トン級輸送船に2本命中したと判断されたが[14]、「旭光丸」を初め第111船団に被害はなかった[15]。11月11日には北緯30度50分 東経150度17分 / 北緯30.833度 東経150.283度 / 30.833; 150.283の地点で特設監視艇に対して、4インチ砲と機銃による攻撃を行った[5]。11月16日、「セロ」は52日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投。艦長がエドワード・F・ディセット少佐(アナポリス1934年組)に代わった。
第2、第3、第4の哨戒 1943年12月 - 1944年6月

12月13日、「セロ」は2回目の哨戒でトラック諸島およびニューギニア方面に向かった。トラックとカビエン間の航路を哨戒し[16]、12月23日には北緯03度10分 東経150度45分 / 北緯3.167度 東経150.750度 / 3.167; 150.750の地点で愛宕型重巡洋艦を発見し追跡を行うが、駆逐艦と航空機の出現により追跡は継続できなかった[17]。この哨戒で攻撃機会はなく[18]、哨戒終了後はミルン湾に行くよう命令された。1944年1月12日、29日間の行動を終えてミルン湾に帰投した。

2月4日、3回目の哨戒でカロリン諸島方面に向かった。2月16日午後、北緯00度10分 東経147度34分 / 北緯0.167度 東経147.567度 / 0.167; 147.567の地点で6,000トン級輸送船と2隻の護衛艦を発見[19]。追跡の上、日付が2月17日になってから北緯00度53分 東経146度26分 / 北緯0.883度 東経146.433度 / 0.883; 146.433の地点で魚雷を4本発射し、1本を海軍徴傭船「常山丸」(拿捕船/東亜海運委託、1,086トン/旧英船チャン・シャン)に命中させて撃沈した[20][21][注釈 1]


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