セルヒオ・ゴイコチェア
2011年のゴイコチェア
名前
本名セルヒオ・ハビエル・ゴイコチェア
Sergio Javier Goycochea
愛称エル・バスコ (El Vasco)[1]
ゴイコ (Goyco)[2]ファチャ(色男)[3]
ラテン文字Sergio Goycochea
基本情報
国籍 アルゼンチン
生年月日 (1963-10-17) 1963年10月17日(60歳)
出身地サラテ
セルヒオ・ゴイコチェア(Sergio Goycochea、1963年10月17日 - )は、アルゼンチン・ブエノスアイレス州出身の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー。選手時代はPKストップの名手として知られた[1]。 リーベル時代にはプンピードの控えながら[3]、リベルタドーレス・カップ、トヨタカップなどで優勝を果たした。 1990年にイタリアで開催された1990 FIFAワールドカップでは、グループリーグのソビエト連邦代表戦で正GKのネリー・プンピードが負傷するとレギュラーの座を掴んだ[5]。当初は不安定な守備を見せていたが[6]、準々決勝のユーゴスラビア代表戦、準決勝のイタリア代表戦と二度のPK戦において好守備を見せて、アルゼンチンの決勝進出に貢献した[5]。 1991年にはFIFA選抜チームに選ばれ、同年10月8日にドイツ・ミュンヘンで開催されたユニセフ・チャリティマッチのドイツ代表戦に出場した[7]。 その後もアルゼンチン代表の正キーパーとしてコパ・アメリカ1991、コパ・アメリカ1993連覇に貢献し、大会MVPい輝いた。1993年9月5日に行われた1994 FIFAワールドカップ・南米予選のコロンビア代表戦では5失点を喫した[2][8]。
経歴