セルティックFC
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この項目では、グラスゴーに拠点を置くサッカークラブについて説明しています。その他の同名チームについては「セルティック」をご覧ください。

セルティックFC
原語表記The Celtic Football Club[1]
愛称The Bhoys, The Celts, The Hoops, The Tims
クラブカラー緑、白
創設年1887年
所属リーグスコティッシュ・プレミアシップ
所属ディビジョン1部
ホームタウングラスゴー
ホームスタジアムセルティック・パーク
収容人数60,411
運営法人Shareholders of Celtic plc
代表者 イアン・バンキア(英語版)
監督 ブレンダン・ロジャーズ
公式サイト ⇒公式サイト

ホームカラーアウェイカラーサードカラー

テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

セルティック・フットボール・クラブ(英語: The Celtic Football Club)は、スコットランドグラスゴー本拠地とするプロサッカークラブ。スコティッシュ・プレミアシップに所属している。

レンジャーズと並ぶ国内2強チームの一つである[2]

クラブは、グラスゴーのイーストエンドに住むアイルランド系移民の貧困を緩和する目的で1887年に設立された[注釈 1]。1888年5月に行われた初の対外試合はレンジャーズとの親善試合で、セルティックが5-2で勝利した。セルティックは、スコットランドのサッカー界で確固たる地位を築き、20世紀の最初の10年間でリーグ6連覇を果たした。ジョック・ステインが率いた1960年代と1970年代には、リーグ9連覇を果たし、1967年にはUEFAチャンピオンズカップ優勝を果たすなど、大きな成功を収めた。セルティックは、その歴史を通して、緑と白のユニフォームでプレーしてきた。1903年にフープ(横縞)を採用し、それ以来、このユニフォームを使用している。

セルティックは、その歴史の中で100以上のトロフィーを獲得した世界で5つしかないクラブの1つである[3]。クラブは、スコットランドリーグを52回、直近では2021-22シーズンに優勝しており、スコティッシュカップを40回、スコティッシュリーグカップを20回制覇している。クラブの最も偉大なシーズンは1966-67年で、セルティックは英国のチームとして初めてUEFAチャンピオンズカップを制覇し、さらにスコットランドリーグ、スコティッシュカップ、リーグカップ、グラスゴーカップも制覇した。また、セルティックは1970年のUEFAチャンピオンズカップ決勝と2003年のUEFAカップ決勝にも進出したが、いずれも敗れている。

セルティックはレンジャーズと長年にわたって激しいライバル関係にある。両クラブは「オールドファーム」と呼ばれ、世界最大のサッカーダービーとも言われている。セルティックのファンは、2003年には世界で約900万人と推定されており、20カ国以上に160以上のセルティックのサポーターズクラブがある。2003年のUEFAカップ決勝では、8万人ものファンがセビリアに集結し、敗戦にもかかわらず「非常に忠実でスポーツ的な行動」をとったことで、FIFAUEFAからフェアプレー賞を授与された。
概要

名称のセルティックとは「ケルト人」あるいは「ケルトの、ケルトに属する」を意味する。ケルト系のアイルランドと同じく、チームカラーに緑と白、エンブレムにあしらわれたシャムロックとケルト色を打ち出している。ホームスタジアムはセルティック・パーク。1888年に創立され、最初の試合を行った。

ライバルのレンジャーズは16世紀のスコットランドで起こった宗教改革によって多数派となった長老派(プロテスタント系)の支持が多いが、セルティックはカトリック系で19世紀にアイルランドからジャガイモ飢饉を逃れ渡ってきたアイルランド移民の子孫の支持が多い。また、同じ背景を持つアイルランド北アイルランドにも根強い人気を誇る。レンジャーズとセルティックの関係は宗教的なもののみならず、英国連合の政治的、民族的な関係をも含む複雑な背景がある。セルティック・パーク

ジョック・ステイン監督に率いられた1966-1967シーズンにはUEFAチャンピオンズカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)を優勝。これはイギリス勢初のビッグイヤー獲得で、セルティックサポーターにとって大いなる誇りとなっている。しかし、その後イギリス経済が不況に陥りその影響がスコットランドに及ぶと、財政難に陥り運営が難しくなった。そして有名選手を集められない、質の高いサッカーを行なえないなどの結果を招き、スコティッシュ・プレミアリーグの人気が低迷することとなった。その後不況から脱出したとはいえ、例年の優勝争いの固定化や他国リーグの人気向上といった他の要因も絡んで、スコティッシュ・プレミアリーグはかつてのような人気はもはや見られなくなった。そのため、セルティックはヘンリク・ラーションなどの有力選手を集めてかつてのように復活しようとしたのである。2002-03シーズンのUEFAカップでは決勝に進出したが、ポルトに敗れ準優勝に終わった。2006-07シーズンのUEFAチャンピオンズリーグのグループリーグではマンチェスター・ユナイテッドをホームゲームで破るなどして、クラブ史上初の決勝トーナメント進出を決めた。その一方でアウェーゲームが完全な鬼門となっており、大会名が改称された1992年から一度も勝てずにいた。2012年10月2日、グループリーグ第2戦のスパルタク・モスクワ戦に3-2で勝利し、UEFAチャンピオンズリーグのアウェーゲーム初勝利をあげた。

2005-06シーズンから2008-09シーズンまで中村俊輔が、2007-08シーズンから2009-10シーズンまで水野晃樹が所属していた。

ライバルであるレンジャーズが破産申請により4部へ降格して以降国内では完全な1強状態となり[4]、2011-12シーズンから2019-20シーズンまでリーグ9連覇[5]、2016-17シーズンから2019-20シーズンまで4年連続の国内三冠を達成。だが2020-21シーズンはレンジャーズに敗れリーグ10連覇はならなかった[6]

2021-22シーズンの夏に古橋亨梧ヴィッセル神戸から完全移籍で加入し、同シーズンの冬に旗手怜央井手口陽介がそれぞれ完全移籍で加入し、前田大然が期限付き移籍(買取オプション付き)で加入した。
歴史クラブ初期のチーム写真。ユニフォームは現在の有名な横縞のものとは異なる。

セルティック・フットボール・クラブは1887年11月6日、グラスゴー、カルトン、イースト・ローズ・ストリート(現在のフォーブス・ストリート)にあるセント・メアリー教会ホールにおける会合で、アイルランド人マリスト会修道士ウォルフリッドによって正式に結成された[7]。結成の目的はウォルフリッドが始めた慈善事業「Poor Children's Dinner Table」のための募金を集めるためであった[8]。募金を集める手段としてクラブを結成するウォルフリッドの動きは、これより数年前にエディンバラにおいて移民アイルランド集団のために結成されたハイバーニアンの例に大きく発想を得ていた。ウォルフリッドはクラブのアイルランドならびにスコットランド系であることを反映するよう意図した「セルティック celtic」という名称を提案し、同会合で採用された。クラブには公式の愛称「The Bhoys」がある。しかし、セルティック広報部によれば、新たに設立されたクラブは「the bold boys」として多くの人々に知られていたという。チームが描かれ「The Bould Bhoys」と呼ばれている20世紀初頭の絵はがきは、この特有のつづりの知られている初めての例である。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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