セルジ
名前
本名セルジ・バルフアン・エスクルサ
Sergi Barjuan Esclusa
ラテン文字SERGI
基本情報
国籍 スペイン
生年月日 (1971-12-28) 1971年12月28日(52歳)
出身地ラス・フランケサス・ダル・バリェス
身長174cm
体重68kg
選手情報
ポジションDF
ユース
バルセロナ
クラブ1
年クラブ出場(得点)
1992-1993 バルセロナB 42 (4)
1993-2002 バルセロナ 267 (6)
2002-2005 アトレティコ・マドリード 85 (0)
通算394(10)
代表歴
1990 スペイン U-181 (0)
1993-1994 スペイン U-215 (0)
1994-2002 スペイン56 (1)
1998-2004 カタルーニャ4 (0)
監督歴
2009-2011 バルセロナ (ユース)
2012-2012 レクレアティーボ
2015 アルメリア
2017 マヨルカ
2017-2019 杭州緑城
2021-2022 バルセロナB
2021 バルセロナ(暫定)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj
セルジ・バルフアン・エスクルサ(SERGI Barjuan Esclusa, 1971年12月28日 - )は、スペイン・ラス・フランケサス・ダル・バリェス出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。スペイン代表であった。ポジションはDF(左サイドバック)。
下部組織を経て10年近くFCバルセロナに在籍し、数々のタイトルを獲得するとともにキャプテンも務めた。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}移籍記者会見では「俺は何処に行こうがバルセロニスタ、一度心に染まった色は決して変わることはない。」と言い残してアトレティコ・マドリードに移籍した[要出典]。プロデビューしてすぐにスペイン代表デビューし、2度のFIFAワールドカップと2度のUEFA欧州選手権に出場した。 FCバルセロナの下部組織出身で、1993年11月24日のUEFAチャンピオンズリーグ・ガラタサライSK戦(0-0)でトップチームデビューした。その後は絶対的なレギュラーとなり、1998-99シーズンまで出場試合数が31試合を下回ることはなかった。FCバルセロナでは3度のリーグ優勝、2度のコパ・デル・レイ優勝、2度のスーペルコパ・デ・エスパーニャ優勝、1度のUEFAカップウィナーズカップ優勝、1度のUEFAスーパーカップ優勝を果たした。左サイドバックを務め、主にアルベルト・フェレールとサイドバックのコンビを組んだ。2002年にルイス・ファン・ハール監督が就任すると余剰戦力とみなされ、アトレティコ・マドリードに移籍した。アトレティコではまずまずの3シーズンを過ごし、合計33枚のイエローカードを受けたが、リーグ戦85試合に出場した。2004-05シーズン終了後に現役引退した。 FCバルセロナでトップチームデビューを飾ってすぐにスペイン代表に招集され、1994年2月9日にサンタ・クルス・デ・テネリフェで行われたポーランドとの親善試合でデビュー、この試合で代表初ゴールも挙げた[1]。 1994 FIFAワールドカップではグループリーグのボリビア戦、ラウンド16のスイス戦、準々決勝のイタリア戦でそれぞれ1アシストずつ、合計3アシストを決めた[1]。UEFA欧州選手権1996ではグループリーグのブルガリア戦で1アシスト[1]、準々決勝まで進出したがイングランドに延長PKで敗れた。1998 FIFAワールドカップではグループリーグの3試合に出場したが、決勝トーナメントにも進出出来なかった。UEFA欧州選手権2000では1試合に出場した。2002年2月13日のポルトガル戦に出場[1]、この試合が代表での最後の場して出場となり[1]、ワールドカップ日韓大会予選では4試合に出場したが[1]、本大会のメンバー入りはならなかった。通算56キャップを記録した[2] 現役引退後はマーケティング分野で働いたり、少年向けサッカーキャンプを開催したりした。2009年7月、FCバルセロナの下部組織のひとつであるフベニールBの監督に就任した[3]。 2012年5月22日、セグンダ・ディビシオン(2部)のレクレアティーボ・ウェルバ監督に就任した。 2017年4月4日、RCDマヨルカの監督に就任した。 2021年6月17日、2年契約でFCバルセロナB監督に就任[5]。
経歴
選手時代
クラブ
代表
指導者時代
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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