セルゲイ・ユトケーヴィッチ
Сергей Юткевич
本名Серге?й Ио?сифович Ютке?вич
生年月日 (1904-09-15) 1904年9月15日
没年月日 (1985-04-24) 1985年4月24日(80歳没)
出生地 ロシア帝国、ペテルブルク
死没地 ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国、モスクワ
職業映画監督、脚本家
活動期間1925年 - 1980年
セルゲイ・ユトケーヴィッチ(ロシア語: Серге?й Ио?сифович Ютке?вич, 1904年9月15日 - 1985年4月24日)は、ソビエト連邦の映画監督、脚本家である[1]。
生涯ユトケーヴィッチが住んでいたモスクワに作られた記念碑。
ロシア帝国時代のサンクトペテルブルクで生まれる。10代の頃に人形劇の仕事を始めた。1921年から23年のあいだはフセヴォロド・メイエルホリドの下で働いた[2]。1920年代に映画界に入り、1928年に監督活動を始めた。作品の多くはロシア映画であり、アメリカ合衆国のスラップスティック作品に影響を受けていた。一方で、シリアスな歴史映画、ドキュドラマ、伝記映画も撮っていた[3]。
『オセロ(英語版)』(1955年)と『ウラジミール・レーニンの想い出(英語版)』(1966年)で2度カンヌ国際映画祭監督賞を受賞した。他に『Lenin in Paris』で知られる。1959年の第1回モスクワ国際映画祭(英語版)[4]、その2年後の第2回モスクワ国際映画祭(英語版)で審査員の1人を務めた[5]。1967年の第5回モスクワ国際映画祭(英語版)で審査員長を務めた[6]。
1985年4月24日にソビエト連邦のモスクワで亡くなる。
主なフィルモグラフィ
呼応計画 Встречный (1932) 監督・脚本
三つの邂逅 Три встречи (1948) 監督
オセロ Отелло (1955) 監督・脚本
ウラジミール・レーニンの想い出 Ленин в Польше (1966) 監督・脚本
脚注^ "Sergei Yutkevich", IMDb. 2020年8月25日閲覧。
^ Багров, Пётр (2004). ⇒“Советский денди. Сюжет для небольшого романа” (ロシア語). Сеанс (モスクワ) (21/22). ⇒http://seance.ru/n/21-22/yubiley-sergey-yutkevich/yutkevich/.