セルゲイ・フィーリン
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ドミートリー・メドヴェージェフ(左)とセルゲイ・フィーリン(右手前)、2011年9月20日、ボリショイ劇場にて.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ポータル 舞台芸術

セルゲイ・フィーリン(:Серге?й Юрьевич Фи?лин、:Sergei Yurevitch Filin、1970年10月27日 - )は、ロシアバレエダンサーバレエ指導者である。ボリショイ・バレエ団の主役級ダンサーとして活躍した後、モスクワ音楽劇場バレエ団の芸術監督を経て2011年3月18日にボリショイ・バレエ団の芸術監督に就任した[1][2][3]
経歴

モスクワ出身[2][4]。バレエを始めたのは9歳のときで、ボリショイ・バレエ学校でアレクサンドル・プロコフィエフから指導を受けた[2][4][5]。1989年にボリショイ・バレエ学校を卒業する際、モスクワ音楽劇場バレエ団から入団の誘いを受けた。バレエ学校の当時の校長で名教師として知られたソフィア・ゴロフキナに報告したところ、「あなたはボリショイ・バレエ団に行くのです」と言われて、ボリショイ・バレエ団に入団した[2][6][4]。ボリショイ・バレエ団ではニコライ・シマチョフ、マリーナ・セミョーノワ、ニコライ・ファジェーチェフ(英語版) [注釈 1]の指導を受け、1990年にプリンシパルに昇格した[2][7][8]。アンドレイ・ウヴァーロフと並んでボリショイ・バレエ団を代表するダンスール・ノーブルとして評価され、世界各国のバレエ・コンサートへの出演やロシア国外のバレエ団への客演も多かった[7][9]

フィーリンは豪快な跳躍や素早い連続回転などの力技で観客を圧倒するタイプのダンサーではなく、正確な基礎技術に支えられた細やかな踊りを特質としていた[4]。そのため、精緻な足さばきなどが要求される19世紀デンマークの振付家、オーギュスト・ブルノンヴィルの作品を得意とするダンサーとして批評家から注目された[4][7]。ブルノンヴィル作品以外では、『ジゼル』のアルブレヒトや『ライモンダ』のジャン・ド・ブリエンヌ、『白鳥の湖』のジークフリート王子などロマンティック・バレエやクラシック・バレエの役柄を得意とした[4][7][9]。その一方で、ドミートリイ・ショスタコーヴィチ作曲の『明るい小川』(アレクセイ・ラトマンスキー[注釈 2]再振付、2003年)では、トゥ・シューズチュチュ姿の「バレリーナ」役でコミカルな一面を見せて好評を得た[5][6][10][11]

ボリショイ・バレエ団在団中の1988年から、ゴロフキナの指導のもとでロシア舞台芸術アカデミー振付インスティテュートに入会し、1991年に教員資格を取得して卒業した[2][7]。2006年には、ロモソーノフ記念モスクワ国立大学を卒業した[2][3]。2008年、38歳でダンサー生活に終止符を打ち、指導者の道を進むことになった[5][12]

2008年にモスクワ音楽劇場バレエ団の芸術監督に任命され、2011年までその地位を務めた[5]。モスクワ音楽劇場バレエ団芸術監督在任中は毎月10公演を行い、新作を1作必ず上演するという目標を立ててその実行に努めた他、若手ダンサーの積極的な登用やイリ・キリアンナチョ・ドゥアトなど新しい振付家の作品をレパートリーに導入するなど、バレエ団のレベルアップに取り組んだ[3][6]。2011年3月18日、前任のユーリー・ブルラカに代わってボリショイ・バレエ団の芸術監督として5年間の契約を結んでいる[注釈 3][1][2][3][5][13]


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