セルゲイ・キリエンコ
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ロシア連邦政治家セルゲイ・キリエンコСергей Кириенко
2011年12月
生年月日 (1962-07-26) 1962年7月26日(61歳)
出生地 ソビエト連邦
グルジア・ソビエト社会主義共和国 スフミ
出身校ゴーリキー鉄道運輸工科大学造船学科
所属政党右派連合
ソビエト連邦共産党
配偶者マーリヤ・キリエンコ
子女3人
ロシア連邦
初代大統領府第1副長官
在任期間2016年10月5日 -
大統領ウラジーミル・プーチン
ロシア連邦
第2代首相
在任期間1998年4月24日 - 1998年8月23日
大統領ボリス・エリツィン
沿ヴォルガ連邦管区
初代大統領全権代表
在任期間2000年5月18日 - 2005年11月14日
大統領ウラジーミル・プーチン
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セルゲイ・ウラジレノヴィチ・キリエンコ(ロシア語: Серге?й Владиле?нович Кирие?нко, ラテン文字転写: Sergei Vladilenovich Kirienko、1962年7月26日 - )は、ロシア連邦政治家テクノクラート。現在、同国大統領府第1副長官。リベラルな経済改革派である一方、ウラジーミル・プーチン大統領からの信任が厚く、連邦内の州知事を選ぶ立場にあるとされるなど陰の実力者とも称される[1]

ボリス・エリツィン政権にて第2代ロシア連邦首相を務めた。プーチン政権で沿ヴォルガ連邦管区全権代表、ロシア原子力庁長官を経て、国営原子力企業「ロスアトム」社長を10年間務めた。剣道をたしなむ。
経歴

1962年7月26日にグルジア・ソビエト社会主義共和国アブハジア自治共和国スフミに誕生する。1984年にゴーリキー鉄道運輸工科大学造船学科を卒業。卒業後2年間の兵役ののち、造船工場職長とコムソモール書記を経て、ゴーリキー州(現在のニジニ・ノヴゴロド州)コムソモール第一書記に就任し、州の人民代議員にも選出された。1993年にロシア政府付属国民経済アカデミーを卒業。専門は、市場環境におけるマネージメントで、「最高等級マネージャー」の資格を有する。

1991年から1994年まで株式会社AMKの社長を務めたのを皮切りにゴーリキー州(ニジニ・ノヴゴロド州)で銀行石油会社の経営に携わる。1994年から1997年までガランティア銀行(ニジニ・ノヴゴロド州社会商業銀行)頭取、1996年から石油会社ノリス・オイル社長を務める。この頃、ニジニ・ノヴゴロド州知事であったボリス・ネムツォフとの結びつきが生まれる。

1997年にネムツォフがロシア第一副首相に就任すると、キリエンコはネムツォフによって同年5月に燃料エネルギー省第一次官に任命され、ガスプロムに関係する職務に就いている。11月にネムツォフが兼任していた燃料エネルギー大臣を退任したことに伴い同省大臣に就任した。

1998年3月23日にエリツィン大統領がヴィクトル・チェルノムイルジン首相を解任した際に首相代行兼第一副首相に任命された。下院による首相承認は4月10日4月17日と2回に渡って否決されたが、4月24日の3回目の投票で、賛成251・反対25・棄権120で首相に正式に任命されるという紆余曲折を経た。こうしてキリエンコは35歳の若さで首相となり、ガスプロムに対する徴税問題や経済改革に乗り出すが、若さ故に政治的力量に欠けていた。同年8月にルーブルの切り下げとデフォルトを発表したことでロシア通貨危機が発生するがこれを収拾できず、責任を取らされる形でわずか数ヶ月足らずで首相職を解任された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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