セリヌンテ
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セリヌス(古代の名称)Σελινο??
セリヌスのヘラ神殿(神殿E)
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}シチリア州における位置
別名セリヌンテ(現代の名称)
所在地シチリアトラーパニ県マリネッラ・ディ・セリヌンテ
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯37度35分1秒 東経12度49分29秒 / 北緯37.58361度 東経12.82472度 / 37.58361; 12.82472座標: 北緯37度35分1秒 東経12度49分29秒 / 北緯37.58361度 東経12.82472度 / 37.58361; 12.82472
種類殖民都市
面積270 ha (670エーカー)
歴史
完成紀元前628年
放棄紀元前250年頃
時代古代ギリシアからヘレニズム時代
出来事セリヌス包囲戦(紀元前409年)
追加情報
管理者Soprintendenza BB.CC.AA. di Trapani
一般公開あり
ウェブサイト ⇒Area Archeologica Selinunte (イタリア語)

セリヌス(古代ギリシア語: Σελινο??, Selinous; ラテン語: Selin?s)はシケリア(シチリア島)南西部にあった古代ギリシア植民都市で、現在はセリヌンテ(Selinunte)と呼ばれている。セリヌス川(現在のモディオーネ川)とコットーネ川(現在は溝が残るのみ)に挟まれた場所に立地していた。現在の行政区分ではトラーパニ県カステルヴェトラーノコムーネ分離集落(フラツィオーネ)であるトリスカーナ・ディ・セリヌンテとマリネッラ・ディ・セリヌンテの間にある。遺跡にはアクロポリスを中心いくつかの神殿がある。これらの神殿のうち、神殿E(en)と呼ばれるヘラ神殿のみが修復されている。最も繁栄したのは紀元前408年以前であり、人口は奴隷を除いても30,000人程度あった[1]。セリヌスは紀元前409年に一旦破壊され、その後再建されたが、紀元前250年頃に放棄された。
歴史アクロポリスから見たマリネッラ・ディ・セリヌンテと神殿E側面から見た神殿E古代都市の平面図セロリ(セリノン)の葉が刻印されたセリヌスのドラクマ硬貨。紀元前515年-紀元前470年

セリヌスはシケリアにおける最も重要なギリシア都市のひとつであり、シケリア島の南西部、セリヌス川の河口に位置し、ヒプサス川(現在のベリーチェ川)の西6.5キロメートルにある。歴史家のトゥキディデスによると、セリヌスは同じシケリアのギリシア都市である メガラ・ヒュブラエア(現在のシラクーザ県アウグスタ)を母都市とし、 メガラ・ヒュブラエア建設のおよび100年後にパミルスという人物の指導のもとに建設され、ギリシア本土のメガラ( メガラ・ヒュブラエアの母都市)から入植者を受け入れた[2]。建設時期を正確に特定することは出来ないが、トゥキディデスの言に従えば紀元前628年頃、ディオドロスはそれより早い紀元前650年ヒエロニムス紀元前654年としている。この中ではトゥキディデスの説がもっとも信頼性が高く思われる[3]。セリヌスはそこに自生していた野生のセロリを異にするギリシア語であるセリノン(古代ギリシア語: σ?λινον)に由来する思われる[4]。このため、硬貨にはセロリの葉が刻印されていた。

セリヌスはシケリアでは最も西方に位置するギリシア植民都市であり、そのためシケリア西部のフェニキア人や、西北部の先住民と接触を持った。フェニキア人は当初ギリシア人と紛争を起こさなかったが、紀元前580年頃、先住民であるエリミ人の都市であるセゲスタ(現在のセジェスタ)と領土問題で争うようになった[5]。このときは後にリパラ(現在のリーパリ)を建設することになるロドスクニドスが支援したため、セゲスタが勝利している。しかしその後もセリヌスとセゲスタは対立関係にあった。ディオドロスは紀元前454年にセゲスタとリルバイオン(現在のマルサーラ)が戦争になったと記述しているが、実際にはセリヌスとの戦争と思われる(リルバイオンの建設は紀元前396年である)[6]

セゲスタとの境界とされていたマザルス川は、セリヌスの西方25キロメートルに過ぎず、やがてセリヌスは川の対岸にまで領土を広げ、その河口には砦と交易拠点を建設した[7]。セリヌスの東側の境界はハリカス川(現在のプラティニ川)まで広がっており、その河口にはセリヌスの植民都市ミノア(後にはヘラクレアと呼ばれることになるため、現代ではヘラクレア・ミノアと呼ばれることが多い)が建設されていた[8]。このことから、セリヌスが強大な勢力と富裕を誇っていたことが分かるが、その歴史に関しては詳しいことは分かっていない。他の多くのシケリアのギリシア植民都市と同じく、政治形態は寡頭政治から僭主政治へと移行し、紀元前510年頃にはペイタゴラスが独裁政治を行っていた。しかし、ペイタゴラスはスパルタの王子ドリエウスのシケリア遠征に随伴していたエウリュレオンに追放された。その後しばらくエウリュレオンが街を支配したが、セリヌス市民は反乱し、エウリレオンを処刑した[9]。シケリアではシュラクサイの僭主ゲロンの力が強大となっていたが、紀元前480年にカルタゴのハミルカルがシケリアに大軍を率いて遠征すると、セリヌスはこれを支援した。さらにはカルタゴ軍に援軍を派遣することを約束したが、セリヌスからの援軍が到着する前にカルタゴ軍はゲロンに敗北した(第一次ヒメラの戦い[10]

セリヌスが次に歴史に登場するのは紀元前466年である。僭主トラシュブロスをシュラクサイから追放するため、セリヌスは他のギリシア都市と協力している[11]紀元前416年のアテナイによるシケリア遠征直前のセリヌスに関して、トゥキディデスは富裕で陸海双方の戦力を保有し、神殿には莫大な財宝が蓄えられていると記載している[12]。また、ディオドロスはカルタゴのシケリア遠征の記述の中で、セリヌスが長い間繁栄を謳歌し、多くの人口を有していたと述べている[13]。城壁で囲まれたセリヌスの面積はおよぼ100ヘクタールであり[14]、紀元前5世紀の人口は14,000から19,000と推定される[15]
アテナイのシケリア遠征詳細は「シケリア遠征」を参照

紀元前416年にセリヌスとセゲスタの紛争が再発し、これがアテナイによる大規模なシケリア遠征を引き起こした。セリヌスはシュラクサイに支援を求め、また自身でセゲスタを封鎖することも可能であった。しかしセゲスタはアテナイに救援を求めた[16]。アテナイはセゲスタ救援のための早急な行動は行わなかったが、その後のセゲスタとの紛争に関する記録はない。一方、アテナイの遠征軍は紀元前415年にシケリアに到着した。トゥキディデスによれば、将軍の一人であるニキアス(en)は、アテナイ軍をセリヌスに向かわせ寛大な条件で降伏させるべきと提案したが[17]、この提案は採用されず、アテナイ軍はシュラクサイに向かった。結果として、その後の進展においてセリヌスの演じた役割は小さかった。しかしながら、セリヌスはシュラクサイに援軍を送ったと言われ[18]、また紀元前413年春には、シュラクサイでアテナイと戦うスパルタギュリッポス支援のためのペロポネソス同盟軍がリビュアからセリヌスに向かっていたが、暴風でアフリカ近くに吹き流されたと記述されている[19]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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