セラム
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この項目では、猿人の化石人骨について説明しています。インドネシアの島については「セラム島」を、インドネシアの海については「セラム海」をご覧ください。

セラム(ディキカ・ベビー)
標本番号DIK-1-1
通称セラム(ディキカ・ベビー)
アウストラロピテクス・アファレンシス
年代332万年前
発見場所 エチオピア・ディキカ
発見日2000年12月10日
発見者ゼレゼネイ・アレムゼゲド
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セラム(Selam)ないしディキカ・ベビー(Dikika Baby)は、アウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人)の幼女の化石人骨で、2011年時点で発見されている中ではホミニン最古の幼児化石である。

2000年12月10日エチオピアで発見された。標本番号は DIK-1-1 だが、後述するように、発表当初は「ルーシーの赤ちゃん」(Lucy's baby)とも呼ばれていた。ホミニンの化石人骨は多く見付かっているが、全身骨格となると非常に例が少ない。まして幼体は軟骨が多いことから骨が残りにくいにもかかわらず、セラムは全身の骨格が発見された点で高く評価されている[1]
発見

セラムは2000年12月10日に、ドイツのマックス・プランク進化人類学研究所に所属していたエチオピア人の古人類学者ゼレゼネイ・アレムゼゲド (Zeresenay Alemseged)[注釈 1] によって発見された[2]。エチオピアは重要な化石人骨が多く出土しているが、それらの発見はエチオピア人以外の調査チームによってなされたものばかりであった。セラムの発見は、地元エチオピア出身の研究者が初めて達成した業績という点でも特筆に価する[3]

発見場所は、アワッシュ川の南に位置する「ディキカ1」(Locality Dikika-1) と呼ばれる地域である。エチオピア北東部のこの一帯はその種の人骨が多く発見されてきた場所で、セラムが見付かったのも、アファール猿人の最初の全身骨格であるルーシーが見付かった場所と 4 kmしか離れていなかった[4][2]。そのため、セラムはしばしば「ルーシーの赤ちゃん」と報道されることになった[5][注釈 2]。しかし、ルーシーが生きていたのは318万年前のことなので、実際には332万年前のセラムの方が、15万年近く古い時代を生きていたことになる[6]

セラムは、アレムゼゲドの調査隊の一人が、斜面から露出していた頬骨を見つけたことがきっかけとなって発見された[7]。残りの部分は砂岩に埋もれており、注意深く砂岩を削って骨格を取り出すのには5年以上を必要とした[2][8]。また、発表がされた2006年の時点でさえ、まだ全身を取り出せていたわけではなかった[9]

この化石は発見直後にアディスアベバのエチオピア国立博物館 (National Museum of Ethiopia) に移送され、オリジナルから型取りされた最初の複製も同博物館内の古人類学研究所で作製された[7]

残りの骨格を取り出す作業と並行して分析が積み重ねられた。2006年9月21日には発見者らによる論文が『ネイチャー』に掲載され[8][10]、前日にはその発見が公表された[11]。そして、関連する記事は『サイエンティフィック・アメリカン[12]、『ナショナルジオグラフィック』などに順次掲載された。

日本でも9月21日に全国紙各紙が報じ[13]、前述の『サイエンティフィック・アメリカン』の記事が『日経サイエンス』2007年3月号に[注釈 3]、『ナショナルジオグラフィック』の記事が同誌日本版の2006年11月号に、それぞれ訳出された。
名称

アレムゼゲドらは公表に合わせてエチオピア国立博物館で記者会見を行なった。これは、エチオピアの文化観光省の指示によるものだった[14]。その席上、この化石にもアムハラ語での名前が付けられるべきだという話になった(ルーシーもアムハラ語名「ディンキネシュ」を持っている)。「セラム」という名はその席上で聴衆から出され、アレムゼゲドらも賛同したことで付いた名である。偶然にも、アレムゼゲド本人の妻の名前も「セラム」だった[14]

これはアムハラ語で「平和」を意味する[15][14]。エチオピアは化石人骨が多く見付かっているが、その一方で民族対立が続いて交戦している地域もある。このセラムが見つかったディキカ周辺もアファール人とイサ人という2つの民族の対立から不安定な状況になっている[14]。「セラム」という愛称には、それらの地域に平和がもたらされるようにとの思いが込められているのだという[15][14]

もうひとつの名前「ディキカ・ベビー」は、アファール州のディキカ (Dikika) で発見されたことにちなんでいる[2]
保存状態と年代

前述の通り、セラムはその発見自体を高く評価する見解がある。それは、セラムの年代の古さ、年齢の幼さ、保存状態の良さの組み合わせに基づくものである。
年代

セラムが発見された地層を挟んでいる火山灰層をアルゴン-アルゴン法で測定した結果などから、彼女の年代が見積もられている。セラムはおよそ331万年前から335万年前の間に生きており[8]、埋もれている位置からは332万年前とされた[6]。前述のように、この年代はルーシーよりも古いものである。
年齢と性別

「ディキカ・ベビー」や「ルーシーの赤ちゃん」という愛称にも表れているように、この化石人骨は幼女のものであった。死亡時の年齢は3歳と見積もられている。この推測は、セラムの乳歯が全て生え揃っている上、生えていない永久歯も顎の中で形成過程にあることなどから導かれたものである[8][16]

性別の判定は、形成されていた永久歯の歯冠部を成体人骨から得られていた計測値と照合し、統計的処理を行うことで導かれた[8]ルーシーやAL444-2などの研究から、アファール猿人の性的二形の大きさは知られているが、第二次性徴を迎えておらずそうした特質が表れていない3歳児の性別は、こうした手法によって導く必要があったという[16][17]
保存状態

セラムの骨に、動物に襲われたりした傷跡は見られない。皮膚は残っていないが、埋没時には皮膚がついたままミイラ化したために、骨が散乱せずに済んだと推測されている[3]。死後にも動物に襲われずに済んだ理由については、河川の氾濫によって時間をかけずに土砂に埋もれたことから説明される[2][18]。このことは、同じ場所で発見された他の動物たちの骨の状態からも裏付けられている[15]。アレムゼゲドらは死後まもなく氾濫に呑まれたと推測していた[8]。ただし、セラムの死因は不明である[2][18]

幼児の骨には軟骨が多いなどの理由で、成人の骨に比べて残りにくい。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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