セミパラチンスク核実験場
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セミパラチンスク核実験場
クルチャトフ近く カザフスタン
セミパラチンスク核実験場(地図上では赤で示されている)。面積は18,000 km2エルティシ川沿いのクルチャトフ近くに位置する。
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯50度07分 東経78度43分 / 北緯50.117度 東経78.717度 / 50.117; 78.717
種類核実験場
施設情報
運営者ソビエト連邦
状態閉鎖
歴史
使用期間1949 – 1991
実験情報
未臨界核実験不明
実験456回(340回の地下核実験と116回の地上核実験)[1]

セミパラチンスク核実験場(Семипалатинский ядерный полигон)は、旧ソビエト連邦のかつての主要な核実験場である。カザフ共和国(現・カザフスタン)の北東部、セメイの西方150kmの草原地帯にあり、面積は約18,000km2日本四国の面積にほぼ等しい)。

旧ソ連初の核実験(1949年8月29日)から、ソビエト連邦の崩壊に伴う閉鎖(1991年8月29日)まで合計456回の核実験に使用された[2]。閉鎖を記念して、8月29日は国際連合の「核実験に反対する国際デー」となっている。閉鎖後も放射能汚染は残っている[2]

旧ソ連の核実験は軍事機密として周辺住民に危険性が知らされず、放射性降下物や地下核実験で漏れた放射性ガスによる被曝白血病、新生児の障害などが多発し、健康被害を受けた人は合計150万人を超えると推定されている[2]。ソ連崩壊後はカザフスタンの所有となったため、世界の核実験場では唯一、他国による調査が可能となっている[3]
歴史 拡大地図。右上の都市は秘密都市クルチャトフ、青線はエルティシ川

1947年にソ連の原子爆弾開発の最高責任者であったラヴレンチー・ベリヤによってこの場所が選ばれた。ベリヤは、偽ってこの土地一帯が無人だと主張したとされる[4][5] 。核実験の準備に伴い、実験場郊外に秘密都市セミパラチンスク-21(現在のクルチャトフ市)が秘密警察の指揮下で囚人労働で建設され、関係者が集められた。

ソ連最初の核実験RDS-1は1949年8月29日に行われた[6]。付近の街に放射性降下物が降り注いだが、市民への避難警告はされなかった。実験を指揮した核物理学者のイーゴリ・クルチャトフは、後に、もし核実験が失敗したら、当時ソ連を統治していたヨシフ・スターリンの命により銃殺刑に処されることを覚悟していた、と述懐しており、実際に秘密警察は逮捕の準備をしていたといわれる[要出典]。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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